• 締切済み

連合国がパリを解放した、の意味

連合国がパリを解放した、の意味 中学レベルの歴史を復習中の社会人です。 参考書に連合国がパリを解放したと書いてあったんですが ・フランスは連合国側の国だと思うんですがフランスとその他の連合国が戦ったのでしょうか。 ・歴史で一般的に使われる「解放」とはどういう意味ですか。国がどのような状態になることを解放と言うのでしょうか。

  • eibu
  • お礼率71% (196/276)
  • 歴史
  • 回答数2
  • ありがとう数3

みんなの回答

  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1661/4818)
回答No.2

>フランスは連合国側の国だと思うんですがフランスとその他の連合国が戦ったのでしょうか。 そう単純な話しではない。 第二次大戦中、フランス政権は2つあった。 1つは、ナチスドイツの電撃戦で占領されたフランス国内に樹立された親ナチス(傀儡)のヴィシーを首都とした「フランス国(通称、ヴィシー政権)」。ヴィシー政権は枢軸国を中心とした少数の国から国家承認を受けた。 「フランス共和国」側は脱出したシャルル・ド・ゴール等を中心にイギリスに「自由フランス」を樹立。連合国を中心に、フランスの正統政権は自由フランスにあるとする国が多かった。 自由フランス軍は連合国の一員として枢軸国と戦ったし、フランス国軍は枢軸国の一員として連合国と戦った。 第二次世界大戦中の”亡命人部隊”はフランスだけの話しではなく、ナチスドイツに占領されたポーランド人の将兵がイギリスで亡命人部隊を編制し、連合国の一員として参戦している。 また、一国が連合国、枢軸国に割れて第二次大戦に参戦したケースはムッソリーニ失脚後のイタリアでもあって、連合国に降伏したイタリア共和国軍は連合国の一員としてナチスドイツと戦い、イタリア北部に樹立された親ナチスのサロ政権側の軍はナチスドイツと一緒に(半ばやけくそで)連合国と戦った。 >歴史で一般的に使われる「解放」とはどういう意味ですか。国がどのような状態になることを解放と言うのでしょうか。 他国の占領下にあった国土が、戦闘行為の結果、主権を回復すること。 記憶に新しいところでは、イラクに占領、傀儡政権が樹立されたクウェートが、多国籍軍、クウェート軍将兵を含めたアラブ連合軍に手により奪還されたコトを「クウェート解放」と呼んでいる。 なお、一度占領下にあった国土の回復であっても、外交交渉などにより平和裏になされた場合は「返還(ex.沖縄返還)」と呼んでいる。

eibu
質問者

お礼

1つの国が2つの軍に分かれて対戦相手になるケースもあるんですね。参考になりました。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.1

フランスは連合国側でしたが、ナチスドイツが侵攻してきて占領されていましたね。 首都であるパリも占領されましたが、ノルマンディ上陸作戦以降徐々に占領体制が崩壊して、ドイツ軍を撤退させたので、象徴的なパリを開放と言ったのだと思います。 基本的に首都を征服するか制圧するかは、イメージ的に大きいです。 解放というのは、征服していた側のあらゆる力が及ばなくなったことを言うと思います。

eibu
質問者

お礼

なるほど。ドイツはパリを占領していたが、連合国がその占領を終わらせた、というような意味だったんですね。納得がいきました。

関連するQ&A

  • パリのファッションの「重み」

    数年前パリで取材したテレビニュースだったか、ファッションについてフランス人女性が「自分たちのファッションを日本人がカワイイと呼ぶなんて失礼よ」と言ってました。あれはどういう意味だったんでしょう。たとえば日本人は「着物」について「カワイイ」とは決して表現しない。5歳の女の子が着ている場合は別として、やはり歴史と伝統を背負っているのが日本の着物ですから。フランス人にとってはパリのファッションもそのような重みのある文化なんでしょうか。

  • パリの絵描きに対する出来事について

    油絵が趣味です。以前、フランスのパリの町中のベンチに座りワインを飲みながらでスケッチをしていたら、私の後ろに車を止めて覗き込む人がいて、暫くしたら車から出てきてその絵を僕に売ってくれないかとフランス語で語りかけてきたことがありました。  ジェスジャーをまじえての会話だったのですが、確かに自分のためにこの絵を売ってくれか、プレゼントしてくれの意思内容でした。 そのようなことを数回パリで経験しました。フランス・パリの人達の名もない芸術家を育てようとする意思の働きなのかなあと思って非常に感激した思い出があります。  フランス・パリや芸術に詳しい方いらしたら、実際のところ、この出来事はどのようなものだったのでしょうか。 フランスの芸術に対する一般大衆の層の厚さだったのでしょうか。 私の絵は決して上手くもないし自己流で趣味レベルでやっている程度のものです。

  • フランス・パリの物乞いの人々について

    フランスはパリの街中で、よく物乞いの人を見かけます。かなり驚くことに、10代の女性(特に白人、イスラム教徒)までもがいて、この国の社会状況はどうなっているのかと疑わざるを得ません。 さて、きょうは子供連れの親子がスーパーの前で物乞いをしていました。母子家庭かどうかは別としても、これだけ社会保険が手厚い国で、生活保護も出ないのかと困惑してしまいます。もちろん、フランスに限らず、どの国でも発展国の貧困問題はあるでしょう。それにしても、と思います。 このような若い女性や親子が物乞いをしなくてはならない社会状況・問題はどこにあるのでしょう? また、このことを論じた書籍(日仏英語、どれでも可)や新聞の論説、あるいはサイトなどがあれば、ご教示ください。

  • 「国際連合」=「連合国」にしたい人達。

    最近一般的には国際連合と訳されているのを何故かは知らねど、連合国と訳したがる人がネットでは散見されます。 そしてそういう人は、これまた何故かは知らねど、意地でも「現在も国際連合は連合国=戦勝国の組織」って事にしたい人とダブる事が多いようです。(例えば、日本が国連の常任理事国になれないのは“敗戦国”だからだ、みたいな“あなた国際外交に関するTVや新聞社が流すニュース、全然読んでないでしょ”と言わざるを得ない様なトンデモ説の主張者とか(笑)) そう言う人達は大抵 『そもそも国際連合は英語で記すと、The United Nationsだ。これは第二次世界大戦中の連合国という意味だ。戦後日本の外務官僚は、国際連合があたかも公平公正な機関であると見せかけようとして、連合国と異なる意訳をあえてしたのだ。』 と言った具合に主張します。 が(the) United Nationsを国際連合と訳し始めたのは、戦後の話ではありません。 国立公文書館アジア歴史資料センターのレファレンスコードB02033038700の『9 昭和20年2月19日から昭和20年2月28日』という標題の資料の全25画像中9画像目に「国際連合(ユナイテッド・ネーションズ)其の後の進展状況」と言うタイトルの資料が見られますが、これはポツダム宣言受諾の約半年前の1945年2月に(the) United Nationsの設立準備の状況を報告したものですから、日本ではまだ「鬼畜米英撃滅」とか言っていた頃のものです。 その頃の外務省が、敵国が作ろうとしているthe United Nationsを『あたかも公平公正な機関であると見せかけようとして』連合国ではなく国際連合と訳した、なんてどう考えてもても変ですよね? 戦争中の外務省が“League of Nations”(日本語訳では国際連盟)の後継組織として“The United Nations”という名称の国際組織を敵国(=連合国)が作ろうとしている時に、国際連盟に類似した国際連合という訳を考えるのは当然です。 いや戦争中の外務省が、連合国が新たに作ろうとしている、その国際組織の名称“The United Nations”をまた「連合国」と訳したら「連合国が作ろうとしている連合国」って事になってしまって、日本語としては寧ろそちらの方がどう考えてもおかしいです。 正しい訳が「連合国」と言うよりも、戦時中に「連合国が作った連合国」って訳にならない様に「国際連合」にするのは寧ろ自然な訳し方ではないでしょうか?

  • ルイ14世がパリを逃れた理由

    フランスのルイ14世がパリを逃れて、ベルサイユの城?を宮殿に変えた理由は、 一般的にフロンドの乱の記憶があり、パリを嫌った為だと言われていますが、 パリの街の不衛生な状態を嫌ったというのも大きいのですか? パリだけではないと思いますが、2階の窓からは汚物が捨てられ、川には死体が流れ、 疫病も流行りやすそうな環境だったようですが、ベルサイユもトイレがなく、 住んでいる方はおまるを使っていましたが(これは、華麗なソース入れのような柄のおまるを見たことがあります)、 他は「薔薇摘み(この言い方が本当かどうかは存じません)」といって、庭でしていたと読んだことがあります。 やはり、どちらも不衛生だとは思いますが、パリを逃れた時の理由には、どういう理由が挙げられているのでしょうか?

  • フランスを敗戦国扱いしようとした経緯。

    第二次世界大戦に於いて、戦後にアメリカがフランスを枢軸国・敗戦国にしようとしていたって話を聞いたのですが、これって何故なのでしょうか? ドゴールの政治上努力によって自由フランス軍をポーランド、オランダ、ベルギーの亡命政府と同格にしようと必死に頑張り、紆余曲折ありましたが結果的に成功して連合国・戦勝国になったと言われてますが、第二次世界大戦が勃発した時点ではフランスは連合国側で参戦しています。 1939年、ナチスドイツのポーランド侵攻により同盟国であったイギリスとフランスが相互援護条約を元に9月3日にドイツに宣戦布告しています。 1940年5月10日、ナチスドイツがヨーロッパ西部への侵攻を開始し6月14日にはドイツ軍はパリを占領、フランスを降伏させ、その後、講和派のフィリップ・ペタン元帥率いるヴィシー政権が樹立されるのですが、ロンドンに亡命した元国防次官兼陸軍次官のシャルル・ド・ゴールが「自由フランス国民委員会」(後に自由フランス)を組織する傍ら、ロンドンのBBC放送を通じて対独抗戦の継続と親独的中立政権であるヴィシー政権への抵抗を国民に呼びかけ、イギリスやアメリカなどの連合国の協力を取り付けてフランス国内のレジスタンス運動を支援し、フランスは二つに分かれます。 大戦後半になり、連合軍がノルマンディー上陸作戦を開始すると自由フランスのフィリップ・ルクレール将軍指揮下の自由フランス第2機甲師団が連合国側に参加して参戦し、パットン将軍らとパリ入城を果たしフランスを解放します。 ヴィシー政権は解体され、その正当性は認められず、自由フランスが正式なフランス政府として承認されましたので、フランスは連合国であり、開戦直後に降伏した訳でもないし、上記の様に宣戦布告から降伏まで1年弱、実際は兎も角両国は交戦状態でした。 ならば枢軸国・敗戦国する必要等ないですし、ドゴールの政治上努力しなくても、簡単に連合国・戦勝国扱いされる気がするのですが。

  • 歴史が苦手な中3に分かりやすい本

    中学3年生の女子です。 私は歴史が苦手というか好きではなくて、頭にあまり内容が入ってきません。 習っても覚えられなくて、復習もしないので、何時代がどうかすらも分かりません。 今度歴史についての本を買おうと思っているんですが、 歴史が嫌いな私でも覚えられるような、おすすめの参考書などはありますか? 「復習しないのが悪い」、「言い訳するな」などの厳しい回答は しないでくださると嬉しいです。 回答よろしくお願いします。

  • 社会の問題集・サイト

    中学社会の総復習が出来る市販の良質の問題集、もしくはサイトを探しております。問題形式は問いません。レベルは定期テスト~一般的入試程度でお願いします。よろしくお願い申し上げます。

  • 国連で採択され、日本はそれに批准した。ってどういう意味ですか?

    中学社会の参考書に 『女子差別撤廃条約は1979年に国連で採択され、日本は1985年に批准した』 と書いてるのですが、条約とは国と国とが結ぶ取り決めですよね??ここでいう条約に採択する、批准するとはいったいどういう意味なのかわかりません。お知恵をお貸しください。

  • 中学生レベルの英語の復習

    中学生レベルの英語の復習をしたいと考えています。 何か良い参考書がありませんか? お願いします。