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この説話がわかる方、教えてください

Tefu_Tefuの回答

  • Tefu_Tefu
  • ベストアンサー率27% (87/322)
回答No.4

こんばんは glass-rabbitさん >この話の意味するところは、なんなのでしょうか? この話はお坊さんの視点からより、村人の視点で考えてみると理解できます。 前半の文章から、「溺れる者は藁をも掴む」という諺を連想しました。 後半の文章から、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という諺を連想しました。 村人が困っていた時は、村人は若いお坊さんの親切心だけでありがたかった。 しかし、若いお坊さんが村からいなくなってから、村人は村の問題を話し合いで解決するようになった。その結果、村は豊かになった。 若いお坊さんが立派になって村に帰ってきても、村人は他人に縋るより自分達で話し合い、そして、考えて行動するこが必要なことが分かった。 村人にとって立派になったお坊さんの説教は、もはや、何の意味も無いものに聞こえたのでしょう。 >立派になったお坊さんも「無知の知」を理解できれば良かったんですが。 明らかに、村人にとって必要(自分達で話し合い、そして、考えて行動する)なのは、一緒に考えてくれるお坊さんだと思います。

glass-rabbit
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お坊さんがいないあいだも、村の現実問題は続いてゆき その間もなんとかしなければいけないので、 村人は自分たちで成長して解決した。 このように捉えると、はしごは登ってしまえば不要になる、とか 法華経で、お釈迦様は実は死んだのではなく常にこの世界にいるが、 人々が頼りすぎるのもよくないので一度亡くなったのであるという お話しにつながる気もします。

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