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梅に鶯の物語り
「 (鶯)鶯の留守に情けない梅が、事もあろうにあの夜ガラスに宿を借すとは。 (梅)昔聞き馴れた鶯の鳴き声、落ち葉になったのでもー聞くことはできません。 (鶯)梅と鶯は離れられない縁なのに、他人の心に迷って慣れていくんだろうね。 こーなったのはいったい誰のせいか。 (梅)暫しの慰めに夜ガラスに心迷い、あとは心悔やんで泣くのはなんと情けないことか。 そーなったのはいったい誰のせいか。 」 さて質問ですが梅に鶯の物語り、哲学的に解釈するとどーなりますか。
専門家の回答 ( 1 )
- 専門家吉田 修(@osamucom0409) 産業カウンセラー
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