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学問は唯物論と観念論で構成されていますか?

urigadai2013の回答

回答No.3

補足に対して、再度回答します。 すでに申し上げましたように、唯物論・唯心論、観念論・実在論、というのがまだ残っているのは承知していますが、それは17世紀のデカルトの心身二元論に始まる対立で、心とか精神が実体だという考えは批判され、否定されたのですから、いまや心身二元論というのはありません。 したがって、唯物論・唯心論、観念論・実在論という対立の構図そのものがもはやないと考えています。 何度も繰り返すようですが、その構図が残っていて、依然として議論されているのは承知していますが、それはトラック競技でいえば周回遅れのランナーと同じだと思っています。 せいぜいそれが有効なのは19世紀と20世紀の半ばまででしょう。 今は21世紀ですからねえ。 学校も周回遅れの考えを生徒に教えているので、生徒も洗脳されて、デカルトの心身二元論を正しいものと思っているのです。 何の根拠もなく、無批判に。 あなたもカントの「純粋理性批判」の弁証論の中の1章、「実体論的誤謬推理の批判」を読んでみてください。 デカルトの心身二元論がもはや無効だということが分かると思います。 私たちは「私は・・・・・」といったり、「時間は・・・・・・」といったりすると、その主語を実体的に存在するものと錯覚する傾向があるのです。 アリストテレスも「文法で主語に置かれたものが実体である」といっています。 そういって、主語と実体を同一視しました。 主語が具体的なもの、物質であったら、実体と考えたとしてもそんなに間違いではありませんが、ひとたび、抽象的なものを主語において語ると、それも物体のように実体的に存在するように錯覚します。 かつて、古代ギリシャのプラトンも「魂は・・・・・・」といって、その魂を実体、そして永遠に不死の実体といいました。 それも「魂」を主語において、それを実体と錯覚したものでした。 カントはそれを激しく攻撃しました。 主語に置かれたからといって、実体とは限らない、と。 それは実体論的誤謬推理なのだ、と。 それが実体であるかどうかは言葉だけからは判断できない、直観によって規定される必要がある、と。 直観によって規定される必要があるとは、それが感覚によって確かめられるか、どうか、ということです。 心とか精神は目に見えません、感覚もされません。 どうしてそれが実体であることがあるでしょうか? このカントの批判以降、心身二元論は維持できなくなりました。 同時に、唯心論・唯物論、観念論・実在論という対立も維持できなくなりました。 ても、まだ周回遅れのランナーが今もいるということです。

Mokuzo100nenn
質問者

お礼

再度の投稿ありがとうございます。 すると、学問領域を大分類しようとするときに、分類のキーワードには何がふさわしいのでしょうか? 私は数学や論理学、哲学など、実験や実地調査を必要としない学問領域と、歴史学や医学や心理学、経済学など、実験や実地調査が必要な学問とに大分類するのが良いと思いますが、いかがでしょうか?

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