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きせき

「きせき」で変換しても、「帰責」とは出ません。 「責任」とは? (【人が引き受けて、為すべき任務】)

質問者が選んだベストアンサー

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  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.4

帰責、とちゃんと変換されますよ。 ”「責任」とは?”    ↑ 使われる場面で、変化します。 例えば、民法では、財産によって担保されることを 意味し、 刑法では、非難可能性を意味します。

kurinal
質問者

お礼

hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 >「帰責、とちゃんと変換されますよ。」 はい。「(バージョンが)古いのでは?」というご指摘は、既に頂きました。 >「”「責任」とは?”    ↑ 使われる場面で、変化します。 例えば、民法では、財産によって担保されることを 意味し、 刑法では、非難可能性を意味します。」 憲法では、どうでしょう。

kurinal
質問者

補足

「法律用語も、考え直そう」、というように、思いました。

その他の回答 (7)

回答No.8

君の起こす奇跡の証人として、私が予定表に組み込んでいるのは「V字開脚の快感」かな。 それ以外なにも期待していないが、予想外のV字観音力を発揮できればそれに越したことは無い。

kurinal
質問者

お礼

Flareon様、こんばんは。 >「君の起こす奇跡の証人として、私が予定表に組み込んでいるのは「V字開脚の快感」かな。 それ以外なにも期待していないが、予想外のV字観音力を発揮できればそれに越したことは無い。」 「それ」以外もなにも、期待しないことでしょう。 (なんだ、結局、(仮面ライダーが)「他力本願」ですか?)

kurinal
質問者

補足

仮面ライダーが他力本願では、「仮面ライダー菩薩」とか。

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 責任とは現在は【人が引き受けて、為すべき任務】なのでしょうが、漢字の意味から強引に語源をイメージすると、「責めを任される事」・・・。  まさに、   「失敗したら、てめぇ~の責任だからなっ!」  アア、責任・・・(^^;)。

kurinal
質問者

お礼

ddtddtddt様、ご回答ありがとうございます。 「大航海時代」ですね。 (現代では、もっと細かく、「失敗しても、当社の責任ではない」が規定されてるでしょう)

noname#208196
noname#208196
回答No.6

国連食糧農業機関の組織・人名の日本語表記 http://okwave.jp/qa/q8986278.html いつものことだけど異常だと思う。 精神異常者の集まりなのだろうか。 精神が身体に由来するなら身体の不具者たちなのだろうか。 Heinrich Lüders (Orientalist) http://de.wikipedia.org/wiki/Heinrich_L%C3%BCders_(Orientalist) Publikationen[Bearbeiten] Beobachtungen über die Sprache des buddhistischen Urkanons. Aus d. Nachlass hrsg. von Ernst Waldschmidt. Berlin 1954. Abhandlungen der Deutschen Akademie der Wissenschaften zu Berlin. Klasse für Sprachen, Literatur und Kunst.

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 ノルウェーと言えば、アトランティック・サーモン(養殖)ですかねえ。

noname#208196
noname#208196
回答No.5

Buddhism Downloads Suttanipata Suttanipata (Pali Text) PTS Version (Andersen/Smith) https://www.shemtaia.com/BU/DL/suttanipata.shtml ~~~~~~~~~~~ Ete vivādā samaṇesu jātā, Etesu ugghātinighāti hoti; Etampi disvā virame kathojjaṃ, Na haññadatthatthi pasaṃsalābhā. sutta nipāta 4.8 Pasūrasutta https://suttacentral.net/pi/snp4.8 Pali text from the Mahāsaṅgīti Tipiṭaka Buddhavasse 2500: World Tipiṭaka Edition in Roman Script. Edited and published by The M.L. Maniratana Bunnag Dhamma Society Fund, 2005. Based on the digital edition of the Chaṭṭha Saṅgāyana published by the Vipassana Research Institute, with corrections and proofreading by the Dhamma Society. Prepared for SuttaCentral by Blake Walshe and Bhikkhu Sujato. ~~~~~~~~~~~~~~~ suttacentralのテキスト情報は左上のアイコンのMETADATAを参照。 時々、サイトの仕様が変わっている。 ~~~~~~~~~~~~~~~ 七、『ティッサ・メッテイヤ』 823 束縛されている gadhita. gathitaに同じ。ganthati(縛る、つかねる)の過去分詞。 gadhitaと濁音になっているのは古代東部インド語(マガダ語)の痕跡がそのまま残っているのである。 八、『パスーラ』 828 論争を――kathojjaṃ. これは古代東部インド語におけるablativeである(Lüders :BSB.§192,S.140)。 一四、『迅速』 925 あとで後悔するようなことを―― kukkuccaṃ 古代東部インド語のablative singularである(Lüders :BSB.§192,S.140)。 岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元 訳   ~~~~~~~~~~~~ 中村元が翻訳したのはPTS版です。 ですので、番号とかもPTS版がベースになるわけですが、 私は仏教を調べていて見つけたサイトのsuttacentralが便利で利用しています。 それで時々気になったのは、PTS版とテキストが異なっているところがあって、 今回の、古代東部インド語に関しても、『ティッサ・メッテイヤ』は微妙。濁音が根拠でもPTS版では gathitāが本文で 脚注で、 gadhitāになっている。 >823 束縛されている gadhita. gathitaに同じ。ganthati(縛る、つかねる)の過去分詞。 >gadhitaと濁音になっているのは古代東部インド語(マガダ語)の痕跡がそのまま残っているのである。 中村元の註でgadhita. gathitaに同じ。とか書いてあっても 違うだろうと私は言われるだろうから、微妙である。 suttacentralでは、gadhitāではあるが、微妙だろう。 次に『パスーラ』これは、PTS版もsuttacentralも同じ。kathojjaṃ 次に『迅速』は、PTS版ではkukkuccaṃ で、 suttacentralでは kukkuccā 頻繁に『迅速』に言及しているけれど、微妙であり、違うだろうと言われと思う。 だから、ハインリッヒ・リューダースがどのような内容を述べているのかわからないので、 学者の人は、翻訳とか解説とかして読めるようにして欲しいけれど とりあえず、中村元の注釈を参考に、個人的に考えたのは、 『パスーラ』がブッダのことばを伝えていると思いました。 できれば嫌みとか揶揄とかではなくて、客観的な根拠をあげて「批判=吟味」していただければ 建設的な議論をすることができるかもしれませんが ~~~~~~~~~~~~~ 828 これらの論争が諸々の修行者の間に起ると、これらの人々には得意と失意とがある。ひとはこれを見て 論争をやめるべきである。称賛を得ること以外には他に、なんの役にも立たないからである。 岩波文庫 ブッダのことば スッタニパータ 中村元訳 ~~~~~~~~~~~~~~ まあ、仏教っぽいよね。

kurinal
質問者

お礼

kazamidori365様、ご回答ありがとうございます。 >「とりあえず、中村元の注釈を参考に、個人的に考えたのは、 『パスーラ』がブッダのことばを伝えていると思いました。 できれば嫌みとか揶揄とかではなくて、客観的な根拠をあげて「批判=吟味」していただければ 建設的な議論をすることができるかもしれませんが」 はい。 (私では、あきらかに力不足なので、他力を願いたいです(笑))

  • auagcu00
  • ベストアンサー率37% (166/447)
回答No.3

「しょうばん」で変換しても「床版」とはでません。 専門用語だから他の方も言われているとおり単語登録するしかないでしょう。

kurinal
質問者

お礼

auagcu00様、ご回答ありがとうございます。 つまり、「専門用語だから、仕方無い」ってレベルなのね。

noname#210533
noname#210533
回答No.2

それは、法律用語ですもん。普通のワードでは変換されなくても 不思議はありません。 2007以降では出ますよ? {帰責}で検索してもちゃんとヒットします。 ですので、ウィキなどの公式な記述については私が言及する必要は 無いと思いますので、それらをご参照頂くとして、一応回答なので 私見の一つをひとふさ、投稿しておきたいと思います。 責任とは、匿名ではなくなること。 端的な例ですが、ある事件の加害者と被害者、双方に何らかの 責任の所在が問われます。 加害者を責めるだけが責任、では ありませんから。 そしてそれは、双方とも社会において匿名の個人ではなくなり、 人々が名指しできる「加害者」「被害者」というレッテルを貼ら れることです。 (ここでは、その是非は問いません。) 会社においても学校においても、地域社会、例えば町内会や議会に 於いてもそれは同じで、立場、とか具体的な権利の発動や義務の 履行要求とか、特定される個人になって初めて負わされるもの ばかりです。 その考えからすれば、責任、とは個人としてそれぞれの社会の中で 『特定された個人になる・顔を持つ』、ということでもあるでしょう。 つまり、責任とは「人々が名指し出来る、<名>を持つ」という 意味に集約できると考えます。 その<名>が負うべきものを全て包括した、顔のある、二人いない、 ユニークな存在であることの表明。 顔の無い匿名の誰か、ではなく。 それを「責任」と言い換えたのだ、と。 別な視点、別な概念で異なる方角から、 同じものを見た姿を、責任、或は権利・義務と 呼び換えただけのもの。 という解釈も成り立ちます。 ・・・一つの私見でした。

kurinal
質問者

お礼

rasenkaidan様、ご回答ありがとうございます。 >「それは、法律用語ですもん。普通のワードでは変換されなくても 不思議はありません。 2007以降では出ますよ?」 ・・・なるほど。 >「{帰責}で検索してもちゃんとヒットします。 ですので、ウィキなどの公式な記述については私が言及する必要は 無いと思いますので、それらをご参照頂くとして、一応回答なので 私見の一つをひとふさ、投稿しておきたいと思います。」 はい。 >「責任とは、匿名ではなくなること。 端的な例ですが、ある事件の加害者と被害者、双方に何らかの 責任の所在が問われます。 加害者を責めるだけが責任、では ありませんから。 そしてそれは、双方とも社会において匿名の個人ではなくなり、 人々が名指しできる「加害者」「被害者」というレッテルを貼ら れることです。 (ここでは、その是非は問いません。) 会社においても学校においても、地域社会、例えば町内会や議会に 於いてもそれは同じで、立場、とか具体的な権利の発動や義務の 履行要求とか、特定される個人になって初めて負わされるもの ばかりです。 その考えからすれば、責任、とは個人としてそれぞれの社会の中で 『特定された個人になる・顔を持つ』、ということでもあるでしょう。 つまり、責任とは「人々が名指し出来る、<名>を持つ」という 意味に集約できると考えます。 その<名>が負うべきものを全て包括した、顔のある、二人いない、 ユニークな存在であることの表明。 顔の無い匿名の誰か、ではなく。 それを「責任」と言い換えたのだ、と。」 いやいや、「匿名性」というのは、被害者のみならず加害者においてさえ、重要になり得ます。 (ネットで、仰る文脈では、「ハンドルネームを固定している(所謂「コテハン」)」ということが、それを担保している、という理解もあるようです。) >「別な視点、別な概念で異なる方角から、 同じものを見た姿を、責任、或は権利・義務と 呼び換えただけのもの。 という解釈も成り立ちます。 ・・・一つの私見でした。」 民法における権利・義務(債権・債務)と、、、公民的な「責任」ということは、 一緒にするとかなりオカシイのでは? (オラ、「債権」持ってんだ!、・・・だから?裁判所池っての)

  • lisa6708
  • ベストアンサー率30% (100/330)
回答No.1

一般的にあまり使わない言葉は変換候補にあがりませんね!私の業界の言葉も出ないのもあります。 単語登録するしかない。

kurinal
質問者

お礼

lisa6708様、ご回答ありがとうございます。 次のウィンドウズって、「10」とか。

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