同性愛者は減っていますか?そんな気がします。

このQ&Aのポイント
  • 男性性の価値が下がっており、男らしさが不要視されている傾向がある。
  • 女性の地位が向上し、男性性が社会的に価値を下げられている。
  • 草食系男子と呼ばれる男性が増えており、物理的な男らしさよりも収入や優しさなどが重視されている。このような状況下で同性愛者は減少している可能性がある。
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同性愛者は減っていますか?そんな気がします。

また更に言うと、草食系男子というのは草食系と言うのは名ばかりで、草食系であればある程異性にうるさいんじゃないかと思うんです。 ここはどうなんでしょうか? 以下根拠と考察です。 まず第一に、現在男性性ってどんどん価値が下がって来ている様に感じます。 いわゆる「男らしさ」というのが日本では不要に、むしろ下手をすると有害な存在と看做されているかと思います。 なぜかというと、今の社会ではテクノロジーも進んだし、基本的に日本は戦争をしない国ですよね。 だから所謂「力持ちの男」「物理的に強そうな男」「見た目がかっこいい熱血な男」 こういうのが不要になってきているからです。 そんな中、女性の地位が向上して来ている訳で、男性性というのは女性に(性犯罪だので)害をなすもの、男性中心社会の象徴、暴力の象徴、などとしてどんどん社会的に価値を下げられています。 だから男性の方も、そういう所謂「男性性の強い、男らしい男」というのへの憧れが無くなって来ているんだろうと感じます。 そうして残されるのが、そういう「男性性が薄い、草食男子」と言われる物が無害な存在とされて、更にその中から物理的な男らしさではなくて、如何に勉強ができて、いかに収入が多くて、いかに女性に優しいか、という男性だけが持ち上げられているかと感じます。 右翼的な発想が引っ込んで、左翼的な考えが強まり、価値観が昔とはあべこべになってきています。 僕自身が所謂オタク系なので少しだけフィクションの話を織り交ぜて例を出します。 かつてはアニメオタクやゲームオタクというのも、今みたいに美少女キャラに偏重する人はそんなに多くなかったです。 ガンダムのランバ・ラルみたいな渋いオッサンキャラが好きな人も居ました。 またファンタジーRPGの典型的な逞しい男子青年勇者が大好きな人もゲームオタクには少なくなくて、僕もそれの一人です。 また、ファッションでも昔は男の人の半ズボンとかも今よりも短めで、男の人も太ももを晒してもっと肉体美を大切にする、マシーブな男性らしさを大切にする時でした。 男性用下着もブリーフやビキニがあの頃は主流で、今はトランクスやボクサーが主流です。 無論フィクションでも男の生脚キャラって昔結構いたのに、今はかなり減っています。 先述の通り、そういう男性性が要らない世界になったから、そういうキャラクターも駆逐されて、また女性の価値観がよりアップしたことで美少女キャラが跋扈し、オタクの人気はそちらへ行ってしまい、またそういう男性性をアピールする事を「恥ずかしい」「社会でも不人気」という考えが男性の間にも広まった事で、男性のズボンも長くなっていきました。 男性性への拒否度がいかに高いかは最近本当に強く感じます。 上であげた「男性の半ズボンはタブーだ」なんて言う意見もまま聞きます。 勿論直接女性に迷惑をかける物はNGだけど、そうでない些細なものまでもが「セクハラ」扱いされたりします。 前に蘇民祭のポスターで、ガチムチのヒゲのおっちゃんのふんどし姿がポスターに載っただけで、セクハラだと頓珍漢なクレームをつけた女がいて、市がそれを撤去するというこれまたナンセンスな事件が起きました。 恐らく、男性が肉体美をアピールして、男性性をアピールすることを、前述の通り「暴力の象徴」に直結させてしまったのでしょう。 なにかとこういう「男性の肉体美」「男性性を表に出す」事に関しては近頃事ある毎に「セクハラ」「悪い事」とされやすいです。 まあ女性の地位が高くなるのは良いと思うし、実際のセクハラや男中心社会はいけないことだとは思います。 しかしながら男性性をそこまでしてネガティブキャンペーンするのはどうかと思うし、正しくないと思います。 悲しい事に、男女問わず、社会ぐるみで男性性の魅力は急降下し男性の去勢化は行くとこまで行ってしまったのでしょう。 人に迷惑を掛けないなら、それを暴力として行使しないのであれば、男性性をもう少し大事にしてもいいと思うし、魅力に思うのもやぶさかではないだろうと僕は思います。 空手や柔道、剣道などの格闘技を習うことは良い事だけど必ず言われることがあります。 それを絶対に使ってはいけないと。 同じ様に、物理的な意味で強い男と暴力男は異なると思いますが、上で書いた様な頭の悪い女を筆頭になんでも一緒くたにしている人が社会にたくさんいます。 ナイフは、バイクは、危ないから持たせるべきではない、理科の実験は危ないから減らせ、などと的外れな左翼的発想が広まっています。 そんなこんなで感じるのが、草食系男子って言われる人はその「男性性」をとことん抜かれた、男性性を悪だと頭ごなしに教え込まれた被害者なんじゃないかと思います。 そういう人が男性を毛嫌いして、女性こそが至高だと思うのは仕方ない事だと思います。 だからこそ草食系こそが、同性である男性に(男性性にもっとも繋がる肉体的など物理的な)魅力を感じることは無く、同性愛から一番遠いだけにより女好きなんじゃないかな、と思う訳です。 その点、戦争が絶えなかった戦国時代や、古代ギリシャの兵士の間では同性愛が盛んだった事も説明が行きます。 あの頃は戦いこそが、力こそが、またそういう魅力を秘めた肉体こそが正義であり美しさであったので、男にとっても男らしさこそが至高でした。 だから男が男に物理的、つまりは肉体的に惚れるという事は今よりも考えられることですし、同性愛が多かったんだろうと思います。 僕は原則セックスレスではありますが、男性がベースになったエロが好きですし、男性的な肉体美やエロスにとても惚れており、またオタクなのでそういうちょっとエロっぽい男性キャラクターが大好きです。 正直そういう姿やシチュエーションにすごく憧れています。 更に女性に今の所興味がないし、回りでは同年代が結婚したりなんなりしたりしているけど、だから自分も彼女が欲しいだのなんては思いません。 羨ましいと思うのは「普通の生活になっているなあ」「マジョリティだな」という様な感じの事だけで、だからといって異性愛に走る気が起きません。 そんな中、同性愛への理解が広まっただの、同性カップルが一部の地域で認められる様になったとは言われつつも、その一方では男性性がこんなに左翼思想によって失墜させられて、ゲームやアニメなどオタク向けコンテンツは昔と違って美少女がゴッロゴロ溢れかえっている訳で、なんだかんだで同性愛って昔よりどんどん消えていっている様に感じます。 男に対して萌えとかを抱く、肉体的な憧憬を抱く余地がなくなってきていると感じ、懸念をしていますし悲しいです。 だからすごく心配でこんな疑問を感じました。 どうでしょうか?

  • LGBT
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質問者が選んだベストアンサー

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  • moritaroh
  • ベストアンサー率56% (657/1170)
回答No.2

根深い悩みですね。質問者さまのお悩みに毎回、何かしらお答えしている気がしていて、どうも申し訳ありません。 私が以前のご質問に、現代の男性は去勢されている、とのようなことを述べたので、困惑させてしまったのかも、と。 端的に、同性愛者は増えてもいなければ減ってもいないと思います。 今は同性愛への理解が増していますが、かつては同性愛を公言しやすかったのは比較的インテリ層の人たちで、また都市部に限られていました。しかし地方でもネットで出会いができるようになったり、妙齢の男性が独身のままでもそれほど周囲が気に留めなくなったり、また見合い結婚などをすすめられる風潮が、若干少なくなっていることなどから、インテリ層に限らず同性愛者が異性愛者を装い偽装的に結婚する必要がなくなってきたと思います(けっこう、地方都市なんかだと、世間体を気にして妻子持ちのゲイって多いですよ)。 以前より同性愛者が増した、と考える人は、とくに若者の中で同性愛への情報が流通しやすくなったので、同性愛者として『デビュー』するのが低年齢化したことと、妻子持ちの同性愛者という存在が減って独身者が増えたことでの意見だと思いますが、結果として、かつては異性愛者を偽装し潜在的だった同性愛者が、表面に見えてくるようになっただけですので、それらの総計としての絶対数はさほど変わっていないのではないか、と思います。 で、質問者さまが考えられているのはそういうことではなく、いわゆる草食系のような男性が増え、その逆のマッチョでマッシブなタイプ(俗に同性愛者に人気なガチムチ)が世間的に好まれにくい状況から存在が減り、つまりは需給のバランスを考え同性愛者が減っているのではないか、ということですよね。 その思考は理解できるのですが、これって、男性性の話であって、同性愛の話題ではないように思いますし、質問者さまが考えられることはともすればマスメディアの中での話に過ぎないのかもしれません。 同性愛か異性愛かを問わず、数十年前の男性の属性は以下2つに大別することができます。 ・体育会 ・インテリ これが、現在では、以下のように4つに増えた、という感じでしょう。 ・体育会 ・インテリ ・草食 ・オタク 現在、マスメディアの中での情報として、オタクに関するものは数十年前より圧倒的に増えたでしょうし、体育会でもなくインテリでもなくオタクでもない、言い換えれば個性のない『ごく普通』の存在を、マスメディアが新しく「草食」とカテゴライズしたのだと思います。 オタクは産業として大きな利益を生みますし、草食は無個性な普通の存在を、あたかも個性的に見せてくれるのです。逆にインテリも体育会も、ある意味でそれらに関する新しい情報が生まれていないわけですから、自然と情報量では差がついてしまうのでしょう。 ですから、需給のバランスや相対的な情報量のみでは、それらの絶対数は計れないと思います。 まあ、以前のご質問の中でも述べましたが、マッチョでマッシブな男性というのは世間的にやや肩身が狭い存在となっていますが、いくつかファッションなどの事例を挙げておられますが、その点では、むしろ近年はマッチョでマッシブなものを好む傾向がやや盛り返していると思いますよ。 ほんの2~3年前は、膝上のショートパンツなんて『ゲイしか穿かない』という雰囲気だったのに、今じゃショートパンツが膝上なのは当たり前で、おしゃれに敏感な男子ほどそうなっています。 要するに、体育会もインテリも草食もオタクも、以前はそれらを体格やファッションで認識できたのかもしれませんが、情報が増えたことで、「見た目は体育会だけど中身はオタク」とか「見た目はインテリだけど中身はマッチョ」とか「見た目は草食で中身はオタク」とか「オタクに見えて体育会」とか、属性とそれらを表すアイコンがクロスオーバーしているのだと思います。 さまざま懸念されていることは分かります。 ただ、アイコン的な目に見えてわかりやすいものや、情報のような一過性でしかないものだけでは、人の属性は見抜けないと思います。 「マッチョを好むオタク」というのも、「マッチョを好む」という共通点で、オタクだけでなくインテリや草食系や体育会などあらゆる属性と渡り合えると思いますし、質問者さまだけでなく必ずどこかに一定数は存在しますよ。 ですから、たとえば「オタク文化」の中で「マッチョ」が市民権をはく奪されたかのような気がされているのだと思いますが、「オタク文化」の外で、まだその嗜好性は生き続けていると思いますから、それほど不安になられなくてもいいのではないでしょうか。

GreenLink
質問者

お礼

毎度ありがとうございます。 毎回本当にすみません。 >ほんの2~3年前は、~おしゃれに敏感な男子ほどそうなっています。 確かにそうですね、とはいえ一つだけ気になるのが。 これ、一度TwitterかSNSで短パン男子、という言葉で流れて来たので、コラムや批評などを見たのですけど、評判は基本的に良くなかった覚えがあります。 なんだかんだでぼろくそに貶している様な意見が多めで、見ていて不快感しかしなかったと思います。 不快感というのも、勿論その「ぼろくそに貶している様な意見」についてです、無論。 とはいえ、中途半端感もあったので、やるならもっと思い切りが欲しかった気もしました。 踏ん切りが微妙についてないので、否定派に貶されたのかな?という気も就中ありました。 質問とあまり関係ないですが、クールビズという物には賛成ですが現状には反対です。 過ごし易い服といいつつも、あくまでビジネスカジュアルなんだ、という点で踏ん切りがついてなくて、単にネクタイとスーツを取っ払っただけなので、ファッションとして安定性が無いんですよね。 単に、ネクタイとジャケットを着忘れたオッサンファッションになってる様に見えるんです。 正直、アメリカ西海岸のIT企業や新興企業みたいにやっちゃえと思ってますしそっちの方がしっくりきます。 そんな感じで前述の短パン男子も、今とあまり変わらないけど妙に短い、だけど短パンにしては長過ぎの間に入ったことで不安定感があって、突かれたんじゃないかと気になっています。 やるなら80年代並みにがっつりやれば、また逆に肯定意見も出たのかな?と僕はやや感じています。 要は今と同じ物の延長でなにか足りないもの、という印象を受けたのじゃないかと感じるのです。 気持ちは分かりますし、僕としてももっと男性性が受け入れられても良いと思う訳ですが、踏ん切りのつかない人が多いのであまり期待できずに心配です。 >たとえば「オタク文化」~気がされているのだと思いますが よくよく考えたらそこが一番の問題な気がします。 そもそもなんでオタクがそういう方向を好まなくなったのかな?と思う訳です。 で、僕としてはそういう方面に関しては、性的な意味も含んだ上で結構好みな訳ですが、今のオタクはそこは全く理解してくれないです。 なんで萌えキャラが好きなのか?なんで男キャラは需要が無いか、と問うても、男は女が好き、子孫を残す為に仕方ないだろ、で即刻片付けられるだけで、それ以上は誰も考えてくれません。 昔はアニメにもゲームにもそういうキャラがたくさんいて、かえって男キャラの方が微妙な萌え要素があったんですよね。 萌え要素といっても「女っぽい」とかいう事ではなくて、しっかり男っぽい、間違いなく男キャラだと分かる、そう見える上での萌え要素があった訳です。 そんなものがあったってことは、オタク層にもそういうのが好まれてたんだろうと思います。 現に小学生の頃ですが、僕が一時期ドラクエIIIの勇者に憧れていた事があります(やっぱり年がバレそうですね)。 頭つんつんにするにはどういう物を使ったらできるのかと考えてた事もあります。 中学生の頃、整髪料丸々一本使ってドラクエ勇者の髪型が再現できるか試した事もあります(できませんでしたが)。 で、そういう自分の考えに関しては、周りの他の子供達は「オタク」扱いしていたと思います。 別に美少女の話なんて殆ど言わなかった訳ですけどね、だから当時はそれがオタクのある意味マジョリティだったと思います。 あと余談ですが、一応僕はマッチョだけが好きな訳じゃなくて、ある意味「ショタ」も好きですが、あくまで最近ありがちな「女の子に男性器をつけただけ」みたいな意味合いのショタではなくて、ドラクエの勇者とかゼルダのリンク(最近のじゃなくてスーファミ世代ぐらいの古いのを思い浮かべて下さい)とか、ああいう見た目はしっかりと男の子した勇ましい少年で、あり得ない様な超美形ではないが整っていて恰好良い、なのも好きですね。 でもある意味それは若々しさに強さをある程度足している訳だから、方向性としてはあまり変わらないのかな? そこに対しては結構好きだし、ある種の「萌え」なんてものもあると感じています。 特に神トラや夢見のリンクは、ミニスカに生脚のキャラクターだったので、萌え分も強めだったと思います。 とはいえ、スカートだから女性的なのかというと、そんなことはなくてれっきとした男のキャラクターですし、それがむしろ僕にとっては好感だったと感じます。 僕自身がスカート男子を目指そうと考えた切っ掛けでもあるので、物凄い影響があったんだと思います、僕としては。 とまあ、最近はこういうキャラクターが足りません。 >「オタク文化」の外で、~ないでしょうか。 だと良いですね、あくまでそうだと良いですが。 正直ファッション界隈を見てもまだまだ不安があるし、違和感のある紹介をするコラムニストや、これは良い!と思った物にダメ出しする人を見るとなんだか不安なんですけどね。 まあ、少しずつはマシになっていくでしょうね、あなたのおっしゃる通り方向はそうだと思います。 とは言え、生きている間になんとかなるのかな?ということもありますが。

その他の回答 (3)

  • k205t
  • ベストアンサー率13% (345/2543)
回答No.4

あなたは何所にお住みなのですか? 地方の田舎なら分かりません。 今では東京の渋谷区で、同性愛者を認めていますよ。それだけ多いと言う事です。 新宿2丁目に行った事はありますか? 物凄く多いですよ。 男性一人で歩いていると、何所からか声をかけられますよ。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 福岡です。 新宿二丁目なんて簡単には行けないです。

noname#217538
noname#217538
回答No.3

海外ですが、減っていないと思うのですが… 特に高学歴な男性。大学教授や研究者、エンジニア、多いですよ。一緒に暮らしている教授も数組いるそうです。息子が医学科に入って思ったのは、男子学生の半数以上はゲイ(風)だということです。そして息子も常に男子生徒に囲まれ勉強グループも男だけ。親として静観しようと思っているところです。このゲイ(風)ですが、萌えとか肉体美とかそういう問題ではなく、知的な部分の尊敬が強い結びつきになっているようです。 異性愛というより、その方が楽だと感じるのでしょう。自然に笑って一緒にコーヒーを飲んだりケーキを食べたり何処までも喋る喋る、大学で喋って家ではスカイプ、男子学生達に囲まれて、息子も常に楽しそうです。休日も男だけでランチに行っています。なんだか男、女という枠を超えて、人として男は同性同士の群れが楽なのかもしれませんね。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうなんですね、海外だと。 ちょっと羨ましい気がします。 日本ではここんところ、全然感じられなくてなんかが寂しい気がします。

  • smi2270
  • ベストアンサー率34% (1640/4699)
回答No.1

逆に増えていると思いますよ。 東京の何区だったかが 証明書を発行するくらいですから これからカミングアウトする人も 増えると思います。

GreenLink
質問者

お礼

ありがとうございます。 そのことは知っています、渋谷区でしたよね。 確かにそれは分かるのですが、その反面男性性の魅力とか価値観というのは下がっているので、同性愛者の減少に繋がっているんじゃないかと思いますがどうでしょうか? 僕が小学生の頃は(年がバレますね)、光GENJIが男女問わずめちゃ流行していましたけど、今では男性の間ではAKBみたいなのが流行っている訳じゃないですか。 勿論、嵐などの男性アイドルも居ますけど、主なファンは女性ばかりですよね。 オタク界隈も男性が男らしさや男の肉体美とかで惚れられる様なキャラクターも減って、美少女キャラに一面持っていかれているのもなんだろうかと思っています。

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    • LGBT
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    生物学的には議論が分かれるかと思いますが、人間や社会のあり方としては、これ以上無い大正解だと思います。 なぜわざわざ異性と関わらなきゃいけないんでしょうか? まず分かると思いますが、異性と関わると危ないです。 危ないからこそ、「女性専用○×」があるんですよね? また、異性との関わりは女性のみならず、男性にとっても危険です。 最近頻発していることですが、たかだか電車内で男性と女性がトラブルになって、それがこじれると男性側は線路を走って逃げて、更に逃げ切ってしまわないと解決ができないなんてことになっているし、異性と関わったら男性にとっても危険なんです。 それに、異性というだけで、同性間では考えられない様な心遣いが必要になります。 異性同士では人助けをしても、善意でなにかをしても、曲げて取られるリスクが高いんです。 善人程、自分の本音を押し殺す必要があって、矛盾に悩まされると思います。 異性が相手の場合、善人でも悪人でもなく、冷淡な人でないと直ぐに社会的に抹消される恐れがあるんです。 同性しか居ないところなら、突発的になんか泊まり込まなきゃいけない場合も雑魚寝ができますが、異性がいるとなるとそれすらできません。 強いて言うなら、どっかで徹夜ができない、サバイバルもできないってことですね。 トイレだって、サバイバルするなら、野グソや立ちションが同性しかいないならできますけど、異性がいるならなんらかの配慮をしないといけません。 ま、早い話が異性間は、同性では無い配慮や気遣いが必要だってことです。 勿論同性同士でも配慮や気遣いは要りますが、異性になるとプラスαの物がないといけないのは分かると思います。 そういうストレスを避ける為にも、男性は男性とだけ関わる様にする、女性は女性とだけ関わる様にする。 早い話が皆同性愛者になれば、どんだけ楽になれるかと思います。 今の所結婚は男女ですることが一般的な様になっていますけど、正直男同士でも女同士でも、共同生活を送るにおいては、特に問題もないように思います。 たった異性同士というだけで、事件も起きる、犯罪も起きる、人の命も奪われる、人生は壊れる恐れがいっぱいあります。 同性間なら起きないリスクがたくさんあります。 ほんとそんな訳で同性愛を僕は推奨したいと思います。 異性のことを考えなければ、無用な事件に巻き込まれずに済みますし、逆に事件を起こそうという気もなくなります。 元々肉体的にも、同性同士であれば常に対称的な関係が築けますし、お互い「不平等間」を感じるようなストレスも大分減ると思います。 絶対に同性愛は安全だと思うのに、なぜ同性愛にならないのでしょうか? 人間社会的には、同性愛であった方が正解だし生活も安定するのに、なぜそうしないのでしょうか?

  • 同性愛と自己愛というのは近いものでしょうか?

    実際の所どうなんでしょうか? 例えば、自己愛とは同性愛の一種の形なのか、それとも逆に同性愛の方が自己愛の一種なのか、あるいは自己愛の一部と同性愛の一部が被っているのか、それとも単に部分的に類似しているだけの所謂「似て非なる物」なのかどれなのでしょうか? というのがそもそもが自己愛というのは、自分自身に対するものなので、自分自身が異性になる訳もないという点がまず主となりますね。 それを踏まえ、自己愛が強い人って、そうでない人に比べて性的要素を含めた関心が異性よりも同性に向いている傾向にあると感じますし、それ以外の感情に関しても普通なら異性に向きそうな感情が同性に向く傾向が強いと感じるからです。 自分の経験も混ぜて、以下に書いて行きます。 まず前提として、コスプレ文化を取り扱うメディアだと、可愛い女の子とかばかりを扱うことが多いですね。 そっちの方が売れるからでしょうし、それを支持する層が多いからでしょう。 その分、男性のコスプレというのはメディアも扱わないし、コスプレイベントでも不遇に扱われることが多めです。 ところが、これに対して不満を言う層もある訳です。 じゃあどこかというと、それはレイヤーの男性層なんですよね。 彼らは自分のコスプレの利害も当然理由にはありますが、他の同性のレイヤーさんを結構大事にしていますし、女性だけを持ち上げまくる様なことをする人はあまり居ません。 一応、これらの人達はレイヤーである以上、多かれ少なかれ自己愛が強い人だとは思います。 普通のオタク系男子とは異なり、異性ばかりを大事にするのではなく、同性のレイヤーさんを応援している辺り、そこらへん正反対だなと感じる訳です。 また、自己愛が強い人って、「なりたい自分」や「こうありたいセクシーな理想の同性」というのを考え、間接的に同性に視点が向きやすいことが多いです。 上で例に挙げたコスプレイヤーという人も、異性装をする人も中にはいますが、どちらかというと女性は女性キャラを、男性は男性キャラをやる人が多めです。 当然、そのキャラが「好き」だからというのには間違いないでしょう。 嫌いなキャラや興味のないキャラのコスプレをするコスプレイヤーは、まずいないでしょう。 当たり前ですよね!? 基本的に、例えば男性で女性の萌えキャラとかじゃなく、男性キャラを愛する人って、ある種の自己愛に思います。 特にRPGなどの主人公キャラクターを愛するのであれば間違いなくそうだと思います。 なぜならRPGの主人公キャラクターというのは、プレイヤーにとっての「アバター」ですからね。 僕自身もプロフィールのアイコンを、ゼルダの伝説のリンクにしていますが、彼のように美しくてセクシーな雰囲気になれたらいいなとよく思いますし、中高生の頃に「耳が尖ったらいいな」と思ったこともあったりします。 基本的に僕は女性キャラよりも、リンクしかり、男性キャラの方が遥かに好きですね。 愛着持てるし、「僕だってこんな風になれればいいのに!」という気持ちが強いです。 Twitterのフォロワーの人で、タイツフェチを自称している方がいますけど、彼の場合もまた「時のオカリナ」の大人リンクが穿いていた「白タイツ」を見てから目覚めて、彼自身もリンクのレイヤーですし、ヒマがあったら白タイツを穿いて外出を楽しんでいる方です。 男キャラを通じて、タイツが好きになり、そして白タイツを穿いている自分自身のことも好きな人なんだろうと思います。 僕にせよ彼にせよ、リンクがもしも女だったらここまで入れ込むことも絶対になかったと思います。 リンクが男だったから、そして男なのにすごくセクシーだったから、ここまで入れ込んでしまい更に「こんなセクシーな男になれたらいい」という気持ちまでもを抱いたと思います。 一種の自己愛だと思います。 また、わざわざセクシーな格好をする人だってそうでしょう。 中には「異性ウケ」を狙ってやる人もるかも知れませんが、正直ここは自己満の方が強いと思います。 特に、相手の性的魅力を「視覚」から得る男性に比べ、女性はそういう傾向は少ないと言われているだけに、女性は兎も角男性がセクシーな格好をした所で、女性ウケは良くないでしょう。 それでもやる人はいる訳です。 じゃあ誰のためかというと、自分のためだとしか思えません。 自分が美しいと思うからやるのに過ぎません。 で、こういう人がなにが美しいかとか、なにに憧れるかと考えると、なんだかんだで同性ですよね。 こんなにセクシーになりたいとか、そう思う訳ですよ、勿論同性に対して。 自己愛の強い人というのは、そうじゃない人に比べて、異性よりも同性の魅力に興味を持ったり、自分という存在を通じて同性に対して「性的に美しい(そして自分もそうなりたい)」という感情を抱くと思います。 そして中には自己愛が強い人だと、同性に性的に興奮する人もいると思います。 自分もそういうところがあります。 どういうことかというと、「自分だってこういうシチュエーションならエロいと思う」とか、そういうのをリアルに感じれるからですね。 男キャラにハァハァする男の人が知人にいますけど、なんだかんだで自己愛かなり強い人ですし、どことなく自分と性別が同じという理由からリアルさを高めているように見えましたよ。 だから、自己愛が強い人って、基本的にそうでない人に比べて同性の性的な物を含めたあらゆる魅力に関心を持ったり、憧憬したり、あるいは性的なシチュエーションに興奮したりする事が多い様ですよ。 特にオタク系の人で人と付き合いの少ない人とかで、マトモに他の人と恋愛をしていない人、経験していない人とかだと、いつのまにか普通の恋愛はどうでもよくなった分、色んな事が内向的になっていって、性的なものまでもが自分の中にある幻想を追い求める様になっていくこと、自己満足こそが一義になっていくことは決して少なくないと思います。 そこを踏まえた上で、同性愛と自己愛の関係というのはどうだと思いますか? 知る限り人によっては意見がものすごくまちまちで混乱します。 同性愛者の人は「同性愛と自己愛は根本的に違うものだと思う」と言う人が多かったです。 かたや異性愛者の人は「いずれにせよ同性に性的魅力を感じていることや、性的に興奮する要素を感じているには間違いないし、自分にはそういうことは理解できないし、同性愛と言って差し支えないと思う」という意見を半分ぐらい聞いた事があります。 こうも意見が分かれてる訳で、実際に自己愛というのは異性愛なのか同性愛なのか、確かに自己愛も同性愛傾向はあるけど同性愛の一種と捉えていいものか、違うのか。 実際同性愛とはどういう物なのか、ある程度詳細に知りたいと思っています。 大雑把に「男が男を好きなら同性愛」「女が女を好きなら同性愛」という感じではなくて、もう少し詳細な面も入れて、自己愛に絡めて説明して頂けると幸いです。

  • これって同性愛に関係ありますか?

    これ同性愛に関係ありますか? 結論から先に言うと、一般的な同性愛者は同じ様な理由で同性を愛する訳ではないと思いますし、一般的な異性愛者は同じ様な理由で異性を愛する訳ではないと思います。 でも、同性愛者でないなら理由はどうあれ異性にしか興味はないだろう、って考えもあったりで複雑です。 男性ですが、男性の着エロが好みなのです。 全裸とか性行為とかの画像ではなくて、着エロが好みなのです。 着エロと言っても色々あるのですが、具体的に言うと以下の二つです。 ・露出度が高めで、普通見えない身体のパーツを見られる着衣 ・密着度が高めで、身体のラインが見える着衣 なぜ好きかというと、理由が主に二つです。 一つ目が、そのモデルがしている格好が自分もしてみたいから、またその格好をするとその格好自体に萌えを感じるからというのが強いです。 だから、そのモデルに対しても好感を持つ事が可能である、萌えを感じられる。といった感じですね。 でも、女性が着ても自分の着ているイメージや、その服を男性が着たらどうなるかのイメージとは大分異なりますので、やはりそこは自分と同じ男性が着てくれた方が萌えるよ、って思う訳です。 二つ目の理由なのですが、結局現在の所は女性の方が所謂「着エロ」や「萌え」に該当しそうな服を着ますよね。 ミニスカートやホットパンツも女性は穿きますが、男性はなかなかそういう格好はしません。 だから、そういう格好をした女性はどこでもいますが、男性は殆どいません。 またそういう着エロ写真やイラストも、女性の場合は「売れる」からいっぱい出回っていますが、男性のそれは殆ど出回っていません。 しかしながら、男性の肉体が女性のそれよりも劣っている訳では決して無く(性指向や性嗜好の問題を全部取っ払った美的な意味のみで)、単に好みや人気や文化の問題で市場が偏っているのみだと思います。 だからなんだかんだで、男の人がそういう格好をしても、それはそれで「セクシー」だったりするのだと思います。 問題としては、女性がそういう格好なのは極普通なので、慣れる訳です。 ところが男性のそれは珍しいので、余計に目立つ訳です。 元々黒っぽい所に黒い点を書き足しても見えませんが、白い所に黒い点を落とすとよく見える現象です。 それがある意味、女性の着エロよりも、男性の着エロの方がよりセクシーでエロい、という印象を自分に与えているのだと思います。 この二点から、僕は男の人の着エロが好みで仕方が無いです。 これは同性愛というのには関係あるのでしょうか? 『こういう理由で』男の人が男の人の着エロに萌えを感じるのは、同性愛になるのか、その一種なのか、どうなのでしょうか? もし、同性愛とは無関係だとすれば、同性愛者でない人は基本的にこういう物を好みませんが、それはなぜでしょうか?

    • ベストアンサー
    • LGBT
  • 同性愛を治したいです。

    同性愛を治したいです。 自分は18歳男の同性愛者です。 中学校二年生の時から、男性を意識し始め、今は男性しか好きになれず、性対象も完全に男性です。 友達の男性の中で好きな人が何人かいます。 好きな人の肌に触れると、すごく安心します。 しかし、好きではない男性と触れると思わず避けてしまいます。 好きな男性には優しくできるけど、そうでない人には優しくできません。 このように、自分は、友達を差別している最低な人間です。 誰とでも平等に仲良くしたいのに、そうできません。 ちゃんと異性を好きになって、男性が恋愛対象にならなければ、そんなこともなくなると思います。 なので、同性愛を治したいです。 それに、好きな友達にばれて、今までの関係でいられなくなることがとても怖いです。 毎日が苦しいです。 早く同性愛を治したいです。

  • 同性愛について

    多様な「性」のあり方が問われているなかで、日本でも ようやく同性愛という観念が取り上げられるようになってきています。しかし、偏見や差別、同性愛そのものの存在の否定は根強くあります。 「男」と「女」の性の区別は、遺伝学的・解剖学的(肉体的)・生物学的な判断であると私は考えています。 この区別そのものにも疑問を感じざるを得ません。 どんな事でもかまいません。皆さんのご意見をお伺いしたいです。よろしくお願いします。