ヒトは二度造られた?(創世記)
- 聖書・創世記には神がヒトを創造したという記事が二度出て来ます。二度ってどういうことか?について問います。
- 一度目は神にかたどって創造された男と女に創造された。二度目は主なる神が土で人を形づくりその鼻に命の息を吹き入れた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女が造られた。
- ヒトに男と女との性差については一度目で述べられているが、なぜ二度目にもう一度人が創造されたのかについての解釈は様々あります。
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ヒトは二度造られた?(創世記)
聖書・創世記には 神がヒトを創造したという記事が二度出て来ます。二度ってどういうことか? について問います。 ○ 一度目: ▲ (創世記1章 27節) ~~~~~~~~ 神は御自分にかたどって人を創造された。 神にかたどって創造された。 男と女に創造された。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ○ 二度目は込み入っています。: ▲ (創世記 2:7-24 ) ~~~~~~~~~ 7: 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 8: 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 ・・・ 18: 主なる神は言われた。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」 19: 主なる神は、野のあらゆる獣、空のあらゆる鳥を土で形づくり、人のところへ持って来て、人がそれぞれをどう呼ぶか見ておられた。人が呼ぶと、それはすべて、生き物の名となった。 20: 人はあらゆる家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名を付けたが、自分に合う助ける者は見つけることができなかった。 21: 主なる神はそこで、人を深い眠りに落とされた。人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。 22: そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、 23: 人は言った。 「ついに、これこそ わたしの骨の骨 わたしの肉の肉。 これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」 24: こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 単純に解釈するなら 二度目は ヒトに男と女との区別があることを述べたまでという見方があります。しかし 一度目にすでに 男と女との性差については述べてある。 ほかに解釈はありますか? また 問題はありますか? 一度造られているのに ふたたび造ったというところは おかしいと考えられます。 これは 聖書記者〔グループ〕が分かれていて それぞれの書いた記事をともに採用し載せたという見方があるようです。 そのほか自由なご意見をどうぞ。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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bragelonne さん おはようございます。 ちょっとこの問題を考えるにあたり、追伸的知識。 No.5 の私のお礼に 「そのため 人間の精神がその部分から永遠の理性に固着し それを直視し それに訊ねることをしないなら 神の似像は留まらない。この精神は男のみならず女も持つことは明らかである。」 (アウグスティヌス:三位一体論 12・7) とありましたが、この「神の似姿」というものをちゃんと理解しているかが問題。 神は霊であって、体を持たないと解釈されている。 これは、ヨハネによる福音書4章24節に書かれている。 「神は霊である。だから神を礼拝するものは、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」 神の子、イエスが言うのだから「間違いない。」長井秀和 クリスマスに靴下をベットに置いていたら、次の日洗われたっとたです。ヒロシです、ヒロシです、ヒロシです・・・。 最近、漫才を見てません。かなり古いネタですが、彼らは最近テレビで活躍しているのか、消えたか? ここで、立川談志の奇跡の「芝浜」第2弾。 妻から酒をすすめられた夫は、「久しぶりに飲むとするか。」「いけねぇ。また夢になってしまう。」「安室奈美恵が chase the chance で言っているように夢は見るものではなくて叶えるものだから」「あなた、私より安室奈美恵が好みなの(怒)たまにはクラッシクのドビュシーの夢でも聴きなさい。」「男はいつまでも、井上陽水の「少年時代」なのさ。夢がさめ、夜の中、長い冬が~窓を閉じて~♪」 おあとがよろしいようで・・・。 桂歌丸「山田くん。あめんぽてぷさんに座布団10枚!」 では、お礼お待ちしてます(笑)
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- takuranke
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>ううーん。微妙ですね。微妙だと思うのですが。 自由な意見じゃなかったのですか? 確実に納得できる答えを求めているならここでは無理でしょう。
お礼
ご回答をありがとうございます。 ★ 確実に納得できる答えを求めているならここでは無理でしょう。 ☆ どうしてですか? 問い求めというのは それぞれの人が暫定的にでも確実に納得できるひとつの・もしくは複数のこたえを見出そうとすることではないんですか? ★ 自由な意見じゃなかったのですか? ☆ 質問者は 自由な意見を述べてはいけないとは思いませんが。 どこそこがまだ納得いかないというお話でお応えするほうが よいと思ってのことです。
- takuranke
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#2です >ヒトが造られたと二度語られているが それほどの問題にはならない。つまり 同じひとつの話がていねいにあらためて説明されているのだから。 2度改めて語られているのは、人が他の生き物より特別であるということを強調しているのだと思います。 他の生き物の名をつけたり、本来つがいでなければ子をなさないのはわかっているはずなのに、あえて人間だけ女性を創った話が出てきます(そのあと貶められますけどね、このために女性の創造を出したのかも)。
お礼
ううーん。微妙ですね。微妙だと思うのですが。 ご回答をありがとうございます。 たとえば ★ あえて人間だけ女性を創った話が出てきます(そのあと貶められますけどね、このために女性の創造を出したのかも)。 ☆ でも エワにすすめられてアダムもその木の実を食べましたからね。そう大した違いはないと思うんです。 ★ 2度改めて語られているのは、人が他の生き物より特別であるということを強調しているのだと思います。 ☆ たぶん強調したりあらためて丁寧に記したりすることと違うと思われるのは のちにエワと名づけられる女が 男のアダムのあばら骨からつくられたというところだと思います。 違いではなく 詳しく説明しただけだとすれば 最初に《男と女とから成る人間》をつくったときにも そういった創造のされ方に男女の違いがあった。ということになります。たぶんこれは 思想としてよわい。あるいは 劣っている。と思われます。のではないでしょうか? といったことを考えます。
ああ、創世記の[1:1–2:3]がP資料というのはすでに話題になっていましたか。 私の回答は必要なかったですね。失礼しました。
お礼
資料の仕分けのあとどう考えるかのもんだいだと思います。 ご回答をありがとうございます。
見つけたばかりで、ほとんど読んでいないので 間違っていたらすみませんが、 創世記の[1:1–2:3]は the Priestly source で、 [2:4]とかが Yahwist なのでは? ~~~~~~~~~~~~~ Genesis, chapter 1 [1:1–2:3] This section, from the Priestly source, functions as an introduction, as ancient stories of the origin of the world (cosmogonies) often did. http://www.usccb.org/bible/genesis/1 ~~~~~~~~~~~~~ Genesis, chapter 2 [2:4] This is the story: the distinctive Priestly formula introduces older traditions, belonging to the tradition called Yahwist, and gives them a new setting. http://www.usccb.org/bible/genesis/2 ~~~~~~~~~~~~~ <人間的な神> 実際、ヤハウィストの描く神は、おおらかで、神人同形的とさえ言える。P資料による「創世記」冒頭の天地創造が、もっぱら神の言葉により、全能の神の力を強く印象付けるのに対し、ヤハウィストが描くアダムとエバの創造は、「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。・・・人が眠り込むと、あばら骨の一部を抜き取り、その跡を肉でふさがれた。そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた」(2:7-22)というように書かれ、いわば、手作業で、神がアダムを土でこね、形を作り、そして抱き上げて息を吹き込んでいる姿が見えるようである。イブの創造も、そのように、目に見えるように描かれている。アダムとエバが堕罪を犯した時も、神は超越的な位置からそれを察知するというのではなく、園の中を歩いてきて(その、足音も聞こえるのである)アダムと女に「とって食べるなと命じた木から食べたのか」(2:11)と尋ねる。これは、顔と顔を突き合わせての、対話である。神の声だけが聞こえてきたとか、まして、心の中で良心の声がした、というのとはまるで異なる、実際の対話なのである。 http://www8.plala.or.jp/mihonda/Yahwist.htm ~~~~~~~~~~~~~~~
お礼
★ 見つけたばかりで、ほとんど読んでいないので ☆ ここに抵抗感をおぼえます。 ご回答をありがとうございます。
- amenhotep2000
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bragelonne さん こんばんは。 クリスマスイブというのに、聖書を深読みしすぎるのは、どうかと私は思います。 もう、ご存知と思いますが、アダムはヘブライ語の土(アダマ)に由来します。 そして、主なる神(ヤハウェ)は、その鼻に息を吹きいれ、人は生きるものとなった。 ねむ猫さんの説が正しいとするなら、注意点は、この「主なる神(ヤハウェ)」と訳される、創世記2章4節までは、神はヘブライ語で「エロヒーム」と書かれている。 そして、アダムから造られた「女(イシャー)」は土からは造られなかった。しかし、同じ肉から造られた。この「女(イシャー)」は創世記3章20節で、園の中央の果実を二人が食べて、神に怒られて、初めて、アダムからエバという名前をもらった。 エバという名前は、生きることや命を意味する。創世記3章20節にあるように「命あるものの母」となったから。 bragelonne さんのような知識がありすぎる方は、コヘレトのように、毎日、むなしい、むなしいと生きているのでは。 ですから旧約聖書の「コヘレトの言葉」から裏づけします。 「塵は大地に帰り、霊は与え主である神に帰る。」 コヘレトの手紙 12章7節 「ひとりよりふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。更に、ふたりで寝れば暖かいが、ひとりではどうして暖まれようか。ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。三つよりの糸は切れにくい。」 コヘレトの言葉 4章9節~12節 女性が社会進出しないと、経済がなりたたない日本において、いまだに、こんな男尊女卑の投稿して、この投稿が、ネット炎上したり、女性ハッカー集団が、bragellone さんのパソコンに総攻撃して、北朝鮮のようになっても私は知らない。 おっと。こんな時間だ。サンタクロースを世界に送り届けるために、私は今年は、トナカイの「足役(あしやく)」に選ばれてしまった(笑)。 では、メリー・クリスマス!
お礼
★ トナカイの「足役(あしやく)」に選ばれてしまった(笑)。 ☆ 《足役》ですか? 足か脚かいづれにしても トナカイの役ではなく その部分ですか? いやはや。でも 大事なお役目 おつとめなさってください。 こんばんは あめんほてぷ2000さん。ご回答をありがとうございます。 エローヒストとヤハヰスト それに祭司資料といったそれぞれの聖書記者グループがいたといった研究がなされて来ていることは知っていますが くわしくは読み取ってはいませんでした。少しでも知りたいと思い そういう場へ自分を送り出したところです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~ 女性が社会進出しないと、経済がなりたたない日本において、いまだに、こんな男尊女卑の投稿して、この投稿が、ネット炎上したり、女性ハッカー集団が、bragellone さんのパソコンに総攻撃して、北朝鮮のようになっても私は知らない。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たしかにビミョウな問題が このヒトの創造ないし男女の誕生の物語をめぐっては よこたわっているようです。 ねむねこさんとのやり取りで 次のようなことにまで触れて書き込んでしまいました。 ☆☆(No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~~ 次の一つの仮説です。: ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一度目は ヒトとしての男女間の同等・平等を言っている。 二度目は 性差にもとづく或る種の能力の特徴を分けて捉えようとしている。 すなわち アウグスティヌスによると: 女は身体の性によって男と異なっているから その身体の蔽いによって宗教的な典礼で 時間的 なものを管理するために下に向けられる理性の あの部分を象徴し得たのである。 そのため 人間の精神がその部分から永遠の理性 に固着し それを直視し それに訊ねることをしない なら 神の似像は留まらない。 この精神は男のみならず女も持つことは明らかである。 (アウグスティヌス:三位一体論 12・7) 《時間的なものを管理するために下に向けられる理性の――理性の です―― あの部分を象徴し得たのである》と言っていて いま一つ分かりにくいようですが 言ってみればひょっとして《経済的な管理》を言っているのでしょうか。形而下の分野という意味です。 末尾の一文では 《一度目の創造》すなわち《男も女も互いにひとしく歴史の共同相続人である》ことを言っていると思われます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ ビミョウですね。 コヘレトの言葉をありがとうございます。
- NemurinekoNya
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念のために、ヘブライ語を確かめてみたところ、 『創世記』の主なる神は Yehovah elohiym ですね。 アドナイではない。 私の記憶違いでした、すいません(ペコリ)。 ───こうした話を調べたのは、なにぶん、数年前の話なもので(ポリポリ)─── すると、創世記の世界創世は、 E資料とJ資料の混淆となるのですかね~。 ですが、 http://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt0101.htm などを見ると、 創世記第1章にもP資料が混じっているような・・・。 文末に{P}と書いてあるのは、たぶん、{P(riest)}資料を指しているのでしょうから。 ヘブライ語はまったく知らないので、ヘブライ語に関する議論は、plapotaさんと是非。 私に訊かれたとしても、私は答えることができませんので(ペコリ)。
お礼
つづいてのご回答をありがとうございます。 ◇ ~~~~~~~~~~~ 『創世記』の主なる神は Yehovah elohiym ですね。 ~~~~~~~~~~~~ ☆ これは ヤハヱーという名を口に出さないという決まりから アドナイ(わが主)という言葉でじっさいには読んでいたと言います。 ▽ (キリスト教千夜百話) ~~~~~~~~~~~~~ http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/026.htm § E資料とエロヒスト ・・・ヤハウェは発音するのは畏れ多いとされアドナイ(主)と発音され、日本語訳もヤハウェは「主」と訳されます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ですが、 http://www.mechon-mamre.org/p/pt/pt0101.htm などを見ると、 創世記第1章にもP資料が混じっているような・・・。 文末に{P}と書いてあるのは、たぶん、{P(riest)}資料を指しているのでしょうから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この問題にかんしましては わたしは研究を詳しく読んだことがありません。お手上げです。(それで質問をしておこうとも思いました)。 ▽ (キリスト教千夜百話) ~~~~~~~~~~~~~ § P資料と祭司資料編集者 P資料の最初は創世記1章1節~2章4節前半で、ヨシュア記まで続くとする説が一般的です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ とはありました。 ぷらぽた氏も 来てくれますかね。
- NemurinekoNya
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こんばんは。 ☆ これは 聖書記者〔グループ〕が分かれていて それぞれの書いた記事をともに採用し載せたという見方があるようです。 ◇と言われていますね。 旧約聖書は、 エロヒスト・E資料 と 祭司階級・P資料 の二つをもとにしている、と言われている。 詳しくは、たとえば、こちら↓ http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/026.htm 創世記冒頭の記述の相違は、E資料とP資料が混在しているためである、と言われている。 2・4以降では、 「主なる神」 とエロヒームの前に主・アドナイが付いていますけれども、 それ以前は 「神」でエロヒーム。 エロヒームVSアドナイ の立場、世界観の相違があらわれている。 ☆☆ 単純に解釈するなら 二度目は ヒトに男と女との区別があることを述べたまでという見方があります。しかし 一度目にすでに 男と女との性差については述べてある。 ◇「女は、二度、作られた」とするユダヤ教のタルムードの一派があるようですね。 最初に作られた女は、《リリス》(or 《リリン》)と呼ばれ、 二度目に作られたのが《エヴァ》。 ~~~~~~ 最初の女としてのリリス 『創世記』1章27節のくだり「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女にかたどって創造された」(アダムの肋骨からイヴが誕生する前の節である)から、アダムにはイヴ以前に妻がいたという伝承が生まれた。この発想は、創世記2:21のイヴがアダムの肋骨もしくは脇腹から造られたという記述との矛盾を解消しようとするものであったと考えられる。 リリスがアダムの最初の妻であるとした中世の文献は『ベン・シラのアルファベット(英語版)』で、8世紀から11世紀ごろにかけて執筆された(著者不詳)。それによれば、アダムの最初の伴侶となるはずであったリリスは、アダムと対等に扱われることを要求し、同じく土から造られたのだから平等だと主張してアダムと口論となった(「彼女は『私は下に横たわりたくない』と言い、彼は『私はきみの下になりたくない、上位にしかいたくない。きみは下位にしかいてはならないが、私はきみより上位にいるべきだ』と言った」)。リリスは神の名を叫んで飛び出し、紅海沿岸に住みついた。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%B9 ~~~~~~~ おもしろい解釈だとは思いますが、さすがにコレは無理がある(ポリポリ)。 ですが、ファンタジーや、神話や悪魔がらみのゲームでは、リリスはエヴァより前に作られた、アダムと対等、つまり、完全な人間の女として描かれることが多い。 というのは、 リリスを最初に作ったとき、神さまは「はなはだ良し」と言ったけれど、 アダムの肋骨からエヴァを作ったとき、神さまは「良し」とは言わなかったから(笑い)。 エヴァは不完全なんですよ、きっと。 エヴァは、愛すべきおバカさんだったから、《ヘビ》にたぶらかされてしまった(ポリポリ)。 これで、すべて辻褄が合う。 めでたし、めでたし。 今日は、クリスマス・イブですので、 ヘンデル 『メサイヤ』から「ハレルヤ」を♪ https://www.youtube.com/watch?v=5NokjNCbCY4
お礼
こんばんは。ご回答をありがとうございます。 まづは 次の説が前提となるでしょうか。: ▽ (キリスト教千夜百話) ~~~~~~~~~~~~~ http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/night-tale/026.htm 26.E資料とエロヒスト&P資料と祭司資料編集者 ● P資料の区別 創世記1:1-2:4前半「これが天地創造の由来である」までは、神名に「エロヒーム」だけが用いられていますからP資料である事が分かります。 これに対して創世記2章4節後半「ヤハウェ神(ヤハウェ・エロヒーム)が天と地を造られた日」から同24節まではJ資料です。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ◇ ~~~~~~~~~~~~~~ 「女は、二度、作られた」とするユダヤ教のタルムードの一派があるようですね。 最初に作られた女は、《リリス》(or 《リリン》)と呼ばれ、 二度目に作られたのが《エヴァ》。 ・・・ おもしろい解釈だとは思いますが、さすがにコレは無理がある(ポリポリ)。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ まるで 古事記のイザナキとイザナミを思い出させます。先に 女のイザナミが 《あなにやし え‐をとこ‐を》と言ったので まぐはひをしても 蛭子が生まれた。ので流し捨てたのだと。男のほうが女よりとうといという。 ◇ リリスを最初に作ったとき、神さまは「はなはだ良し」と言ったけれど、 / アダムの肋骨からエヴァを作ったとき、神さまは「良し」とは言わなかったから(笑い)。 ☆ あぁ これで思い出しました。つまり 次の一つの仮説です。: ○ ~~~~~~~~~~~ 一度目は ヒトとしての男女間の同等・平等を言っている。 二度目は 性差にもとづく或る種の能力の特徴を分けて捉えようとしている。 すなわち アウグスティヌスによると: 女は身体の性によって男と異なっているから その身体の蔽いによって宗教的な典礼で 時間的 なものを管理するために下に向けられる理性の あの部分を象徴し得たのである。 そのため 人間の精神がその部分から永遠の理性 に固着し それを直視し それに訊ねることをしない なら 神の似像は留まらない。 この精神は男のみならず女も持つことは明らかである。 (アウグスティヌス:三位一体論 12・7) 《時間的なものを管理するために下に向けられる理性の――理性の です―― あの部分を象徴し得たのである》と言っていて いま一つ分かりにくいようですが 言ってみればひょっとして《経済的な管理》を言っているのでしょうか。形而下の分野という意味です。 末尾の一文では 《一度目の創造》すなわち《男も女も互いにひとしく歴史の共同相続人である》ことを言っていると思われます。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ハレルヤ 聞きました。
- takuranke
- ベストアンサー率31% (3923/12455)
1章が大雑把な説明で2章で人が何故作られたのか詳述しているように解釈していました。 2章2:4 これが天地創造の由来である。 主なる神が地と天とを造られた時、 と、あるので2章は、天地創造中の話だと思っています。 3章では、話が唐突に切り替わっていますので。
お礼
たくらんけさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。 ★ 1章が大雑把な説明で2章で人が何故作られたのか詳述しているように解釈していました。 ☆ ということは 同じ記事があらためて語られ 二度目にはその詳しい内容がつづられている。こういうことでしょうか? つまり ふたつの別の記事ではなく あくまで同じひとつのものである。こういうご見解ですね。 ★ ~~~~~~~~~~~~~ 2章2:4 a これが天地創造の由来である。 b 主なる神が地と天とを造られた時、 と、あるので2章は、天地創造中の話だと思っています。 ~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たぶん だとすると 次のようにこの2:4a と 2:4b とのあいだにひとつの区切りがあって 物語はふたつに分かれているとは 見られるようであるかも知れません。 ▲ (創世記2:1-7) ~~~~~~~~~~~~ 1: 天地万物は完成された。 2: 第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息なさった。 3: この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別された。 4: a これが天地創造の由来である。 b 主なる神が地と天を造られたとき、 5: 地上にはまだ野の木も、野の草も生えていなかった。主なる神が地上に雨をお送りにならなかったからである。また土を耕す人もいなかった。 6: しかし、水が地下から湧き出て、土の面をすべて潤した。 7: 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 2:4a までは 第一章の初めからつづく物語すなわち第一日から第七日までの天地および万物の創造の話で そしてそれはここでひとまづ終わっている。 ところが いま一度あたかも天地創造が語られている。特には ヒトの誕生にかかわる話として。それが 2:4b からのくだりであると。こちらでは 第一日から第二日へという語り方にはなっていない。 だから ひとつの段落がある。しかもあったとしても それはふたたび詳しく語ったに過ぎない。とも捉えられる。こういうことでしょうか。 ★ 3章では、話が唐突に切り替わっていますので。 ☆ 第三章からは エデンの園での 善と悪を知る木から採って食べるという話になります。 まとめとして: ヒトが造られたと二度語られているが それほどの問題にはならない。つまり 同じひとつの話がていねいにあらためて説明されているのだから。 こうでしょうか。
自由なご意見ということで 一度目の創造で、イデアとか魂とかが創造されて 二度目の創造で、現実の世界が土から創造された
お礼
そうですね。 二度目にも: ▲ (創世記 2:7) 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 ☆ とあります。《いのちの息》とは おそらく霊ないしたましいのことでしょう。 そうすると 一度目で そのときにこそ(そのときにのみ)《魂》がかかわっているというのは まだ納得が行きません それに なぜ《イデア》という概念が出て来るのか。これは 何とも理解が成りません。 というのは ヘブル語の文章は もっと現実的でありむしろ即物的であると思われるからです。 と考えます。 ご回答をありがとうございます。
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- 旧約聖書「ノアの箱舟」とは?
旧約聖書『創世記』5~10章の物語です。 ウィキペディアで内容を見たのですが、この物語にはどんなメッセージが込められれいるのでしょうか? 「神と共に歩んだ正しい人」は神に滅ぼされない~ただそれだけなのでしょうか? 回答おねがいします。
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- 聖書の口語体を文語体に。
聖書の以下の部分を文語体で知りたいのですが、どなたかご存知の方、お教えください。 (1) マルコ、第一章17節↓ イエスは、「私について来なさい。人間を取る漁師にしよう」と言われた。 (2) 「初めに神は天地を創造された。」で始まる創世記、第一章 1~5節まで、全文。 上記の部分を、文語体の聖書の内容そのままにどうぞ引用してください(漢字や句読点などもすべて同様にお願いします)。
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- 創世記第一章(第一節~第五節)についてご造詣の深い質問(神が天地をつ
創世記第一章(第一節~第五節)についてご造詣の深い質問(神が天地をつくったのか)がこの哲学カテにでました。 聖書の勉強をしたことがないので、教えてください。 http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)より。 1:1 はじめに神は天と地とを創造された。 1:2 地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。 1:3 神は「光あれ」と言われた。すると光があった。 1:4 神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。 1:5 神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。 (質問) 1. この創造のときに神は存在していたのですか?どこに存在していたのですか? 2. 光がないときをやみと指しているようですが、光の出現の前にあったのであればそれは、光よりも神に近いものであり、光よりも本源的だといえませんか? 3. 光とは可視光線ですか?可視不可視を含めた光線ですか?やみとはそういう可視不可視の光線もないという事ですか?(可視光線もものに反射してから見えます。反射しないと見えません。反射しない状況を私たちは闇といいます。ここでいうやみはそういう闇ではないのですね?) 4. 神は光を為し、それとやみとを区分したかのようです。 仮に区分したのであるなら、その境界は何なのでしょうか?夜と昼との間、朝と夕べでしょうか? 5. そしてそのどちらに神はいるのですか?境界にいるのですか?
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お礼
ヒロシのギャグがおもしろかった。 お早うございます。ご回答をありがとうございます。 談志のお話は 酒が夢とどうつながっているのか。夢が醒めたりまた見たりというようなことなのかなぁ。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~ この「神の似姿」というものをちゃんと理解しているかが問題。 神は霊であって、体を持たないと解釈されている。 これは、ヨハネによる福音書4章24節に書かれている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 分かりました。 アウグスティヌスの文章は 《宗教》という言葉が無造作に出て来ます。そして 宗教組織つまり教会が大前提に成っています。 それでも個人の《信仰》を語っていると言えるのは 教会やオシエをめぐって《ナゾ》を残してあるからです。 つまりそのことは 組織宗教の採ったずるい手段なのですが それでも信仰――《からだを持たない霊》との関係――を逸脱していないと見るのは けっきょく《サクラメント(秘蹟)》という考え方を持ち出しているところです。 たとえば バプテスマは 水によるそれをするにせよ・しないにせよ けっきょくやはり聖霊によるものです。水による洗礼のときに(またはあとで・あるいはすでに先に)聖霊による洗礼もおこなわれるということを ナゾとしてのサクラメントで説明するところです。 つまりそこで――サクラメントなるナゾにおいて―― 個人の信仰を容れている・含んでいるところです。 あと 《精神》という言葉を 人間にとって思考の緑野なる経験的な精神のほかに けっきょく経験事象を超えた《非思考の庭》なる信仰の場としても用いています。 ちょっと不案内でしたね。 あと 神の似像(にすがた)は 神なる《非知》のナゾにいくらかは似ている けれどもそれがいかに似ていないかを たしかに考え心得ていなければならない。と おっしゃるようになるでしょうね。 次のようにわたしは解釈しています。 【Q:ひとは カミの似像である。(つづき)】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7326391.html ☆☆(その趣旨説明欄) ~~~~~~~~~~ ▲ (創世記1:27) 神はご自分にかたどって人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。 ☆ 次の図式が この文章の意を取って《ひとが神の似像である》というその内容を明らかにしようとしたものです。 ○ (ひとは カミの似像である。) ~~~~~~~~~~~~~~~~ ――ひとと社会の成り立ちについての図式―― 光のたとえ・・・・・・・・・光(光源・・・・・・発耀・・・・・明るさ・暖かさ) 三位一体なる神・・・・・神(父なる神・・・子なる神・・・聖霊なる神) ____________________________ スサノヲ市民( S )・・・アマテラス公民( A ) ____________________________ 身体〔の運動〕・・・・・精神・概念(記憶・・・・・知解・・・・・意志) ・・・・・・・・・・・・・・・・・↓・・・・・・・ (↓・・・・・・・↓・・・・・・・↓) [S者/S圏] 個体・・・・・・・・・・・・家 族 ( 秩序・・・・・労働・・・・・・愛) 社会主体・・・・・・・・自治態勢(自治組織・・〔生産〕・・共同自治) 経済主体・・・・・・・・生産態勢(組織・・・・・・生産・・・・・・・経営 ) 政治主体・・・・・・・・・↓ ・・・・・・・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓ [A者/A圏] ・・・・・・・↓・・・・・・ ・↓・・・・・・・・↓・・・・・・・・↓ 社会科学主体・・・・・社会形態(社会組織・・経済活動・・・政治 ) 〃・・・・・・・・・・・・・(国 家 : 司法・・・・・立法・・・・・・・行政 ) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 政治は 共同自治であり経営であり愛であると。光の持つ明るさ・あたたかさに譬えられる聖霊なる神にあたかも当てはめることも 類似の問題としてゆるされる。のではないかと。 この社会の全体が ひとりの人の自然本性(記憶‐知解‐意志)に当てはめられるという意味です。《わたし》の精神が この社会全体をふくむと。それは 人間には神の似像としてのチカラであり役割りですよね。 このことは 一度目の創造において語られていると見ますが 二度目の場合は どうか? 分かりにくいので 男女の特徴の違いだとか 言いだしているわけです。