• ベストアンサー

王と公の違いは何でしょう?

モナコやルクセンブルクは「公国」で、君主に「公」なるものが居ます(アルベール2世公とか) 王は 何となくどういう者か分かりますが 公は よく分かりません 王と公の違いは何でしょうか?

  • 歴史
  • 回答数9
  • ありがとう数16

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#212058
noname#212058
回答No.3

Wikiには以下のように記載されています。  ヨーロッパの君主には皇帝、国王、大公/公(プリンス)の  3つの概念がある。元々は各地域ごとに君主の名称があった訳  だが、ローマ帝国以降のヨーロッパの秩序においては、皇帝や  教皇から王として承認を受けた存在のみが王であり、そのよう  な承認を受けない小君主が総称的にプリンスと呼ばれた。 詳しくは以下のリンクの『西洋の王』の項目を見てください。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%8E%8B
azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

その他の回答 (8)

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.9

「王」というのを「公爵より上位にある一種の爵位」と思えば話は簡単. ただし, たとえば「神聖ローマ帝国内では『王』という『爵位』は許されていなかった」というネタもある. この辺はプロイセンの君主の称号の歴史などを調べてもらうといい. 余談だけどいまのルクセンブルクは「大公国」.

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.8

>モナコやルクセンブルクは「公国」で、君主に「公」なるものが居ます。 その通りで、モナコ公国・ルクセンブルク公国・リヒテンシュタイン公国などがありますね。 王様が君主でなく、爵位を持った貴族(侯爵)を君主にいただいています。 ですから、公国と記載したり侯国と記載したりもしますね。 >王と公の違いは何でしょうか? 王様は、専制君主ですよね。 この王様の家臣団を構成する貴族が、侯爵です。 つまり、王様の家臣です。 アジアでもヨーロッパでも、家臣には「領地」を与えます。 現在ある公国の多くは、神聖ローマ帝国皇帝から領土を得た侯爵が支配する地域が元になっています。 中世・近世、侯爵は支配する土地を守ったのですね。 例えば、モナコ公国。 神聖ローマ帝国滅亡後はフランス王国と渡り合い。近世では、ムッソリーニ・イタリアに支配されても、大戦後領土を回復しました。 本来なら、国王を名乗っても良いのですが伝統を重んじているのでしよう。 ※歴代モナコ公には、絶対君主として君臨した侯爵も存在しました。 まぁ、独立国家ですから「侯爵・国民が望めば、王国になる」事が出来ます。^^; 国王を任命する権力を持った者は、既に存在しませんからね。あくまで、国内問題です。 アジアでは、歴代中国皇帝が高麗・朝鮮国王を任命していました・・・。 1895年。日清戦争で日本が武力で朝鮮を奪ったので、独自に国王即位が可能になりました。 ※下関条約第1条。清国は、朝鮮の独立を承認する。 1945年。日本の敗戦により朝鮮半島は戦勝国に返還しました。 今でも、南北朝鮮主導者は中国に度々朝貢していますよね。DNAが、求めるのでしようか。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

回答No.7

「王」も「公」も漢字であり、中国の史書から判断すべきです。 西欧の言葉を翻訳して用いることも可能ですが、何処の国の言葉かを明確化しておかなければ、意味を取り違えてしまいます。西欧には西欧の独特の用語がありますから、原文をどう理解するかはその国の言葉の意味を知るしか有りません。 古代中国では国の大小を問わず、統率権を持つ者が王であり、後に「帝」ともされました。秦の始皇帝の時代から、諸国の王の上に君臨する大王が、自ら「皇帝」を名乗りました。 公は貴族の中の特筆的人物への敬称です。 釣り人を「太公望」に例えますが、大公はとても立派な人という意味での尊称。従って、太公望は「望」という名の偉人の意味です。もっとも、その当時の王の補佐役は偉人視されていましたから、公と高官は通用されています。 王の中にも個人名に公を付して尊号とすることは可能でした。 「公」と呼ばれる人が全て王になり得た訳でも有りません。 「こう」の読みは同じでも、「候」の場合は、王族ではない臣下の地方長官を指しています。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (812/3031)
回答No.6

明確なものではないですが概念的には 公→一大地方を束ねる貴族・領主 王→一民族を束ねる君主 帝→複数の王・民族を束ねる国家の君主 それで公が治める地域がそのまま国を名乗っているのが公国なのでしょう。 ただこの定義からすると天皇が帝位なのがおかしくなるのですが、中国の皇帝と肩を並べるためには必要だったと解釈されていると思います。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#212313
noname#212313
回答No.5

 王は明らかに地位ですが、公は公爵という地位の他に、敬して呼ぶときにも用いるので注意が必要です。しかし、公国は定義としてははっきりしていて、爵位が公爵である者が君主である国のことです。  日本語に訳している場合の、王、公については、(皇)帝というものも含め、古代における中国での君主の地位、自称が強く影響していることがあります。  古代の周王朝前期(最盛時~春秋時代まで)ですと、周の君主だけが王を号し、中原(中国中央部、当時の先進地域)の頂点に君臨しているとされていました。王の上位として帝はあったのですが、伝説上の神に等しい存在であったので、それに遠慮して一段低い王を名乗ったわけです(それだけに、例えば有名な一句「帝力、何ぞ我にあらんや」は「神なんぞ知ったことではない」と同義の、かなり大げさな言いようであったりする)。  春秋時代となり、各地に実力者が自立しても、周王に遠慮して、あるいは簒奪者と思われることを恐れて、公を名乗っていました。権力としては事実上の王ですが、権威として周王を頂く姿勢を示していたわけです。  しかし、春秋時代末期に周辺国である楚などでは、君主が王を名乗るようになります。周の使者に対して楚王が「鼎の軽重を問う」(自分が周王に取って代わる用意がある、の意)といったことが起きています。続く戦国時代になると、各地の強国の君主は全員、公ではなく王を名乗るようになります。  そして、秦の中国統一となります。秦王は各地の王の上位であることを示すため、帝を用いようとしましたが、単なる帝では飽き足らず、二文字の「皇帝」としました(さらに、歴代の皇帝は番号で呼ばれるように計画した)。  それ以降、中国の君主は○○帝と呼ばれるようになります。しかしその後、呼ばれるのは死後ですが(贈り名であるため)、○○宗となります。死後も○○帝のままだと、贈り名をされなかったことを意味し、何らかの事情で皇帝にふさわしくなかったとされたことが分かるようになっています。  まとめますと、日本語での尊貴の順位の基本は「帝>王>公」ということになります。権威としてだけだとしても「帝」と目される人がいれば、他の実力者は王以下の称号で呼びます。やはり権威だけだったとしても「王」と目される人がいれば、他の実力者は公とします。  なお、ヨーロッパについては、kingが王、(皇)帝がemperorですが、ローマ帝国時代にそうした地位概念が確率し、それに応じて帝、王を訳語として採用し、王以下について必要なら公と呼び、さらにその後に生まれた階級である爵位に応じて、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵を新たに訳語として採用しています。これは、明治維新後に公卿(上級貴族)、諸侯(上級武士)を華族として整理し、彼らに与えた称号に対応しています。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

  • ithi
  • ベストアンサー率20% (1960/9577)
回答No.4

azuki-7 さん、こんばんは。 王とか公とかは君主の称号にすぎません。ただ、一般に王よりも公のほうが格下だそうです。 詳細は下記のURLを参照ください。 貴族の称号 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%88%B5%E4%BD%8D

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

  • ddeana
  • ベストアンサー率74% (2976/4019)
回答No.2

公とは、貴族の称号の略です。対して王とは君主の称号の一つです。 ですから、モナコ、ルクセンブルグなどは、貴族としての「公」が君主としての地位を持っている国ということになります。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございました

  • DJ-Potato
  • ベストアンサー率36% (692/1917)
回答No.1

王は王様です。 公は公爵様です。

azuki-7
質問者

お礼

ありがとうございます

関連するQ&A

  • 韓国人はモナコやルクセンブルクやリヒテンシュタインの君主も王と呼んでいるのでしょうか

    「韓国人が天皇を日王と呼ぶのは外国の君主だから王と呼んでいるだけだ。」という話を聞いたことがあるのですが、韓国人はモナコやルクセンブルクやリヒテンシュタインの君主も王と呼んでいるのでしょうか。

  • 公国や侯国の家臣は爵位を持っていた?

    欧州では歴史上様々な公国や侯国が存在しました。 これらの国は身分秩序からいえば「王国」よりは一段 下がった国だった……つまり宗主国によって君主の地位が保証された 国だと思いますが、これらの国の君主は「~公」「~侯」と呼ばれてはいても 事実上の王だったと思われます。 では彼らの家臣は爵位という者を持っていたのでしょうか? 爵位は普通国王が与えるものとすると、持っていなかったとも思えるし、 しかし、日本の官位は陪臣であっても「~守」「~介」などと名乗っていました。 比較できるかどうかは分かりませんが、欧州での公国や侯国では家臣は 爵位を名乗っていたのでしょうか?

  • 「王」と「皇帝」の違い

     「王」と「皇帝」の違いについて、疑問をもちました。  取り敢えず、国語辞典で調べてみたのですが、 王 → 国王 国王 → 国の君主 王国 → 王が治める国 皇帝 → 帝国の君主 帝国 → 皇帝が治める国  というふうに、たらい回しにされてしまいました。  歴史的に見ると、ヨーロッパにおける封建時代には「王」が多かったと思います。でも、ローマ帝国は「帝国」ですから、代々「皇帝」です。中国では、今までいくつもの国が生まれては消えていきましたが、殆ど「皇帝」だったと思います。  いったいどうゆう基準で王と皇帝、王国と帝国は分けられるのでしょうか?

  • 架空の君主号について

    小説を書いております 君主号について王国なら王、帝国なら皇帝、公国なら公、など各々呼称があると思います。 小説の中に「神国」という架空の国を作りたいと思っております ただし、神国の君主は神ではなく、神の声を聞く事が出来ると言われる人間だったり 神の化身という事になっている人間であったりと、 一番偉く絶対的権力を持っているのは神であるという体制ですが 実際は、上記に述べた人間が上に立っているという国です。 この場合、この神国の君主の呼称はどんなものが良いと思いますか? お知恵をお借りしたいです!!

  • PS2、三国志7(皇帝、王、公)について

    今、三国志7をプレイしているのですが、朝廷貢献度を挙げるだけでは皇帝、王、公にはなれないようなのですが、 どうすれば任官出来ますか。 もしご存知の方がいればお願いします。

  • 【巌窟王】 フランツが好きだった相手は誰ですか?

    【巌窟王】のフランツが想っていた相手を教えて下さい。 私はアニメを最後まで視聴して、その相手はアルベールではないかと思いました。 しかし知人は、フランツの想い人はユージェニーだと断言しています。 知人いわく「そもそも同性でしょ?あの二人は」だそうですが、 私にはどうみてもフランツ→アルベールと思えて仕方がないのです。 ・マクシミリアンとの「結婚できなくても…」という会話 ・アルベールを救うために奔走している ・決闘を代わりに受けて亡くなってしまう などが、私がそう思ってしまった理由です。 知人にはかなり馬鹿にされました。私が変な解釈をしているだけなのでしょうか? 【巌窟王】を視聴したのはつい最近なのですが、何か公式的な見解は発表されていたりするのでしょうか。 とても気になっているので、ご回答いただけると嬉しいです。

  • 王・女王について

    日本の皇室では天皇の子・孫等を親王・内親王、それ以外の王・女王として区別しています(どこで分けるかは時代により違いますが)。 俗な言い方をすると王・女王は親王・内親王より位が下と言うことになります。 それとは別に、現在日本では他国の君主を一般的に王・女王と言っています。つまりKingとQueenの訳語として王・女王が使われています。 そこで疑問なのは、なぜこのような二つの用法ができたのでしょうか。 皇室の王・女王は漢字が伝わったとき中国での相当する地位を表す文字を当てはめたのでしょうが、よく考えると中国でも(皇帝の臣下ではありますが)君主としての王というものがあったと思います。 なぜ、このような違う概念に同じ漢字が当てはめられるようになったのかご存じの方はいませんか?

  • 国と公国の違い。

    世界史の授業でヴァイキングの侵略の話をしていて 「~国」と「~公国」とあるのに疑問を持ちました。 なぜ、どちらかに統一しないのでしょう??? 「公国」の公とはどういう意味なんでしょうか? 教えて下さいお願いします。

  • 「専制君主制」と「絶対君主制」の違い

    無知な者で恐縮ですが…、「専制君主制」と「絶対君主制」は微妙に違うと思うのですが、その違いについて教えてください。

  • モナコ公国の政治について

    モナコ公国の政治体制について詳しく知りたいです。