国立追悼施設について考える

このQ&Aのポイント
  • 国立追悼施設についての意義や問題点について考えてみました。
  • 国立追悼施設が実現する場合、A級戦犯やBC級戦犯の追悼の対象になるのかについて考えました。
  • 戦没者追悼を目的とする国立追悼施設の意味や意義について検討しました。
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国立追悼施設とは

ふと思ったのですが、 靖国参拝などの問題に絡んで、たびたび国立追悼施設を作ろうなんて言う 話が出たりしますよね。 靖国神社に否定的な人は、「A級戦犯が祀られているから」などといいます。 かりに、国立追悼施設なるものができたとして、 そこには、いわゆる A級戦犯の人たちは追悼の対象にならないのですか? または、BC級戦犯は入るのですか? どういう名目で追悼するかによると思いますが、 単純に戦没者追悼という名目であれば、当然いわゆる A級戦犯も 含まれるのが自然だと思います。 だと、するなら 「A級戦犯が祀られているから」 と、言う人たちにとっては、なんら変わらないのではないかと思います。 つまり、国立追悼施設なんて無意味なのではないでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • unname1
  • ベストアンサー率41% (35/85)
回答No.5

千鳥ケ淵戦没者墓苑を国立追悼施設と考えることもできると思うのですが、A級でもなんでも 追悼の対象になるのではないかと考える方もいるわけですから。 ご指摘のとおり靖国に対して向けられている批判についてどういう対応をするのかという、そ この考え方を決めない限り国立追悼施設は無意味だと思います。

toshih2000
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 やっぱり、靖国問題をどうするかが先決でしょうかね~

その他の回答 (6)

  • michael-m
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回答No.7

千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。つまりココに戦没者の一切を追悼する碑を作れば国立の追悼施設にすることが出来ます。べつに名簿も何も要らない、追悼するとすればそれでいいんです。 名簿を作るから問題になる。名簿を作らなきゃ名簿は自分の心の中にあるわけです。だからA級だろうがB級だろうが関係ありません。こんな安上がりな方法はありませんよね。 靖国は国の施設じゃありませんからね。つまり今現在でも国立の追悼施設はないんです。つまり靖国の代わりになんて言ってること自体おかしなことです。 でも、果たしてそんな施設が必要でしょうか?毎年武道館で戦没者慰霊祭を開催しています。オアたちが必要なのですかね。祈りが必要なのですかね。私は追悼するという行動が必要だと考えます。 それに東京都神奈川以外には護国神社があります。それ以外にも慰霊碑は全国にあります。なにも国が作る必要など無いでしょう。一箇所に集める必要も無いでしょう。 東京は靖国神社が護国神社です。神奈川は空襲で消失し、再建直前に終戦を迎えてしまったのでないのです。 しかし各地に慰霊碑が建てられています。 つまり、国の慰霊行事として「全国戦没者追悼式」を行なっています。追悼したければ出席すればいい。或いは近所の護国神社、あるいは慰霊碑(無宗教)に赴いて祈ればいい。日本は毎日でも戦没者に祈りを捧げることの出来る素晴らしい国なんですよ。 今更国の追悼施設を新たに建てるなど税金の無駄です。どうしてもやりたければ千鳥ヶ淵に碑を一つ作ればいいだけです。

toshih2000
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 名簿をつくらなければ、現在の靖国のような問題は発生しないのか? 他の回答へのお礼にも書いているとおり 問題を指摘する人が必ず出てきます。 火をつける人が必ず出てきます。 そうなった場合、結局靖国と同じ問題が発生するのではないか? ということなのですが、どうなのでしょう?

noname#203938
noname#203938
回答No.6

A級、B級戦犯といってもそれは戦勝国の連合軍が決めたもので日本人が決めたものではないという議論がありますが、戦犯は戦勝国に仇をなしたものだけでは有りません。 日本にとっても日本を破滅に導いた犯罪者ですから、中華人民共和国や大韓民国に言われなくとも敬い奉るのはおかしなことです。 先の戦争以前から祭られている日本の恩人とは一緒にすることはありません。 戦犯と分けて戦没者を慰霊する施設が靖国神社以外に作る必要があるのです。

toshih2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 少なくとも、A級は事後法に基づく認定なので 個人的には無条件に受け入れるのはどうかと思います。 確かに、戦争に負けた責任はありますが、それほど忌み嫌うべきものなのか? どのみち、日本人自身による戦争の総括ができていないことが一番の問題ではないかと思います。 その総括を受けて、戦犯を分けるべきかどうかの議論ができるのでは無いかと思います。 問題は本当に分けることができるのか? 名簿を作らなければよいという人もいて、 それで問題が解決するのか疑問が残ります。

回答No.4

>国立追悼施設なんて無意味なのではないでしょうか。 そうです。しかし理由は以下のように考えます。 A級を含む全ての戦犯は、サンフランシスコ講和条約が成立した時点で無罪放免、釈放されています。日本の国会でも全快一致で旧戦犯を赦免しています。マスコミは不勉強なのか、隠蔽ゃ捏造をしているのか、この事実を全く報じません。そのため、今でもA級戦犯が靖国に祀られているという誤解が広がっています。不当な裁判もどきの決定を受けて出された判決に対して、既に正式な議決が出されているのです。処刑されてしまった人の命を取り戻すことができない、「死人に口なし」とばかりに、今になっても罪を負わせたままで間違った情報を流すのはやめて欲しいものです。 追悼施設は今後も続く日本の歴史にとっては、無意味を通り越して、有害とも言えます。上のような事実誤認を歴史的な事実であると認めてしまうことになります。「靖国で会おう」と誓って命を散らした、当時の隊員が集うのは靖国以外ではありえません。戦後の人間がそれを取り潰してどうするのですか?と言いたいです。 連合国は日本のA級戦犯を人道に対する罪で裁こうとしました。しかし無理だったのです。アメリカの原爆投下が唯一ナチスのユダヤ人虐殺に匹敵する戦争犯罪だったからです。アメリカは戦争に勝ったのですが、正義ではありませんでした。アメリカの不正義に対して立ち向かったのが日本で、A級戦犯とされた人は、各自の役職に応じて職を全うしたのです。当時の憲法は生きていましたし、議会も機能していました。

toshih2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 戦犯は戦勝国の合意を得て、名誉回復が国会で議決されたことは マスメディア等でながれているのを見たことないですね。 そこがメディアの卑怯なところですよね。 A級戦犯を一番批判している特亜諸国はそもそも戦勝国ではないので その事実は知らないのかな? それはともかく 私の質問の論点としては 国立追悼施設をつくったとしても、現在の靖国と同じ問題が発生するのではないか? ということです。 そうだとすると、作っても無駄ではないか? という点です。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.3

”靖国参拝などの問題に絡んで、たびたび国立追悼施設を作ろうなんて言う 話が出たりしますよね”    ↑ 靖国はですね、社会主義の崩壊が決定的になってから 朝日が騒ぎ出したんです。 朝日という新聞社はもはや報道機関ではありません。 また、外国の勢力が問題視するのは理解できます。 彼らにとっては外交の武器になるからです。 しかし、日本人が問題視するのはどうかと思います。 ”靖国神社に否定的な人は、「A級戦犯が祀られているから」などといいます。”     ↑ 中国人の知人と議論したことがあるのですが、彼らは A級戦犯しか祀っていない、と信じていました。 そもそもA級なんてのは米国が勝手に創作した ものですし、その後の日本では国会決議で名誉回復 をしています。 反日日本人が問題視しているだけです。 中国といえば、中国人社会学者が次のようなことを言っていました。 「中国は靖国を批判するのではなく、見習うべきである。  日本人の団結心はこういうところから醸成されている  のである。  それに対して中国はどうだ。  戦士した人を弔うなど、誰もしないではないか。  だから、中国人はバラバラで、いつも日本に負けるのだ」 ”かりに、国立追悼施設なるものができたとして、 そこには、いわゆる A級戦犯の人たちは追悼の対象にならないのですか? または、BC級戦犯は入るのですか?”     ↑ 実際にどうなるかは分かりません。 靖国については、A級云々の他に、政教分離の問題も 指摘されています。 政教分離問題だけを解消したいと考えるひとは A級も合祀することに問題はないはずです。 ”または、BC級戦犯は入るのですか?”      ↑ BCについては議論されていないようです。 ABC云々は、日本人を分断したい勢力が主張している ことです。 ”「A級戦犯が祀られているから」 と、言う人たちにとっては、なんら変わらないのではないかと思います。”      ↑ A級だけが論点ならその通りです。 ”つまり、国立追悼施設なんて無意味なのではないでしょうか。”     ↑ 政教分離を問題視する人には意味がある訳です。 また、靖国は民間の団体ですので、国立にする ことにも意味があります。 問題は、外国や反日日本人の主張に従ってこういう ことをやることです。 一度こういうことをやると、悪い前例を作ってしまいます。

toshih2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 A級戦犯合祀は問題にしないけど、政教分離は問題にする人ってどのくらいいるのでしょう。 私の認識ではA級戦犯合祀を問題にする人と政教分離を問題にする人はかなりの割合で 重複しているのでは無いかと思っています。 ま~、どのみち批判を受けるから国立追悼施設を作るというのは 理由が消極的だし、哲学がないですね。

回答No.2

「個人の問題→施設の問題に広がって」というところがダウトですね。 「個人の問題」→「日本人が戦争を反省しているかどうかの問題」に広がる可能性は大いにありますが、施設そのものに宗教色やプロパガンダ色がなくなれば施設の問題にはならないでしょう。 現在、靖国神社が追悼施設として安倍を始めとするリビジョニストの聖地となっていますが、これがむしろ彼らの「お国のために戦った英霊に尊崇の念云々」という正当化のセリフを吐かせているわけですから、政治家が宗教施設に参拝することを禁じ、無宗教の追悼施設に参拝しながらA級戦犯に対するシンパシーを表明した場合、その政治家の歴史観の欺瞞性がより明らかになって好ましいことだと思われます。

toshih2000
質問者

お礼

たびたび、ありがとうございます。 >「個人の問題」→「日本人が戦争を反省しているかどうかの問題」に広がる可能性は大いにありますが、施設そのものに宗教色やプロパガンダ色がなくなれば施設の問題にはならないでしょう。 一部の人の見方ではそうかもしれませんが、 いくら宗教色が無いと宣伝しても、大衆に対して、どれほど意味がありますか? だれを祀るというものでもない、と言ってもどれほど意味があるでしょうか? 「A級戦犯を追悼した」言う人が出てきたら、 それを聞いた人は「あ、やっぱりここにも A級戦犯は祀られているんだ」 と、思う人がでてくると思います。 政府が「ここには A級戦犯はいない」と言わない限り (言えるとはとても思えませんが・・・) A級戦犯も祀られているという認識が広がると思います。 そうなると、国立追悼施設に不満を持つようになるひとが 出てくるのではないかと思います。 そういう意味で 「個人の問題→施設の問題に広がって」と書いたわけです。

回答No.1

国立追悼施設を作る場合は、誰かを祀るという宗教的・祭祀的なものではなく、個人の心のなかでそれぞれが想う人を追悼するという薄ぼんやりとした施設になるでしょう。誰かを追悼してはいけない、という方が不自然です。 その点、靖国神社は天皇家に刃向かった人間は別に分けていますので、差別的な色彩が強いです。戦争で亡くなった人を祀ると言いながら、日本のために戦って亡くなった、西郷隆盛も白虎隊も対象としてないのです。そもそもが長州藩のための礼拝施設です。 また、靖国神社は、A級戦犯が祀られているだけでなく、むしろその思想的バックグラウンドに日本は悪くないアメリカに騙された植民地を解放する戦いだったなどという幼稚かつ事実に基づかない政治宣伝の場になっていることが、中国や韓国だけでなく、アメリカも不快感を隠さない理由です。

toshih2000
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なぜ、他国を意識しなければならないかはよく分かりませんが それは置くとして、 そのうち、 「だれだれ(いわゆるA級戦犯の名前)の追悼をしてきました。」 と言う人が著名人の中に出てきたらどうなりますか? 何人もそういう人が政治家に出てきたら、 自ら言わないとしても、記者などが、 「追悼の対象にA級戦犯は含まれていますか?」 なんて質問したらどうでしょう。 当然、「含む」と言う人は出てきます。 多分、それに対して怒る人が出てきますよね。 個人の問題→施設の問題に広がって、結局、靖国神社と同じになりませんか? 最初の思想はぼんやりかもしれませんが、 重箱の隅をつつく人が必ずでてきます。 その当たりの事がしっかり考えて提唱されているのかが 気になりますした。

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