• 締切済み

検討されている国立追悼施設とはどのようなもの?

靖国神社に変わる国立追悼施設の建立を検討されている人がいますが、一体どのようなものを作ろうとしているのでしょうか? 「何人もがわだかまりなく」とのことを言っておりますが、私は国費の無駄遣いだと思うので、私としては絶対に反対なので、私一人だけでも反対者がいるのですから、「何人もがわだかまりなく」などとはどだい無理だと思うのですが、代替施設建設推進派は私の感情などはどうでもいいと考えているのでしょうか? そもそも、一体どのような施設を作るというのでしょうか? まず、仮に代替施設ができたとしても、神道を信仰している人であれば、代替施設に行かず、伝統ある靖国神社に参拝するでしょう。 また、追悼対象は軍人だけなのか、民間人や旧敵国民も含めるのでしょうか? 靖国神社には本殿には霊璽簿に名前を書かれた人たちが祀られていて、鎮霊社には、本殿に祀られていない全戦没者が祀られております。 対して、千鳥が淵戦没者墓苑では軍人だけでなく一般邦人をも含み、また既に遺骨の一部を遺族に渡された人々をも含む全戦没者のお骨が収められておりますが、靖国神社と違って、全ての軍人および戦没者の遺骨があるわけではありません。 しかし、浄土真宗は千鳥が淵戦没者墓苑で「全戦没者追悼法要」を行っております。一部の戦没者のお骨しか納められていないのに、なぜか「 全 戦没者」とのことになっております。 とはいえ、私は他の宗教のことは知りませんが、浄土真宗門徒ではあるので、推測で書きますが、真宗では墓がなくても構わないということです。実際、私の曽祖父は一応墓には入っていたのですが、戦争により墓の場所が特定できなくなりました。しかし、過去帖には名前が書いてあるので、お坊さんにはその過去帖を置いた仏壇に対して、念仏をあげてもらっておりました。 つまり、浄土真宗門徒であれば、わざわざ追悼施設を作らなくても、一部のお骨しか納められていくても千鳥が淵戦没者墓苑で追悼すべき人たちの名前を書いた過去帖があれば、十分追悼可能です。 まあ、すでに千鳥が淵戦没者墓苑で「全戦没者追悼法要」を行っておりますので、このことからも代替施設の必要はないといえるでしょう、千鳥が淵戦没者墓苑で追悼すればいいのですから。 そうなると、代替施設が必要になってくるのは神道および浄土真宗を信仰していない人たちのために作られることになりますが、一体どのような施設を作るべきだと考えているのでしょうか?お骨を納める気なのでしょうか?

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.1

まぁ、信教思想の自由はありますから、タダでさえ、信仰や思想の要が無いと言って世界中から信頼に値されない国との定評のある日本で、例えそれが世界中から呆れ返られるほどの考えであっても自由です。 私は神道を素晴しい思想だと考えています(神道は宗教ではないですよ)でも靖国には行きません。 靖国には「銃後の支え」と軍部が思想を押し付けた国民が居ません。 それにアーリントン墓地には和解後に南部の兵士も追討されていますが、靖国には幕府軍が居ません。彼らはどちらも日本の国を思って戦った人たちなのにです。 私は靖国は一神社で充分で、国がどうのとか言うべき施設ではないと考えています。単立でも神社神道でも構いませ。国が特別視すべき物ではありません。 但し、多くの人は軍部の扇動を信じた犠牲者ですから、それを忘れてはいけないと思います。 それにドコの仏教宗派でもいいですが、神道だから行かないなんて言うのなら、歴史を知らない証拠です。 もっとも浄土真宗と神道には別の確執があるのも事実ですから、行かないというのは理解できますけど。 現在、戦没者慰霊祭は武道館で行なわれていますが、日本には千鳥ヶ淵位しか慰霊所がありません。 千鳥ヶ淵戦没者墓苑も大東亜戦争の犠牲者だけです。 つまりどこに行っても日本を護った人の慰霊施設が無いというのが日本の現状なんです。 日本を支えてくれた人たちを思い、日本の為に祈る施設が日本には無いということです。 国土の狭い日本で、遺骨を納めるのは非常に困難でしょう。既に各所に納められている遺骨もありますし。 私は慰霊施設だけで充分だと考えています。そんなに広大な土地や大きな施設など要らないと思います。 なんなら千鳥ヶ淵の横に碑を立てるか、慰霊の規模を広げてもいいのではないでしょうか?原爆慰霊碑のように芳名簿を納めるだけでも充分だと考えますし、日本の為に戦った人や日本を守るべくして犠牲になった人などを祀っている事が判れば、名簿なども要らないでしょう。 大体、戦没者=第二次大戦という考え方自体おかしいです。日本の戦争はそれだけじゃないんですから。 自国の歴史を省みない国民も世界では珍しいらしいですよ。

peed10
質問者

お礼

>私は神道を素晴しい思想だと考えています(神道は宗教ではないですよ)でも靖国には行きません。 そうなんですか、てっきり神道に敬意を払っている方であれば、靖国に行くものと思っておりました。 >それにドコの仏教宗派でもいいですが、神道だから行かないなんて言うのなら、歴史を知らない証拠です。 >もっとも浄土真宗と神道には別の確執があるのも事実ですから、行かないというのは理解できますけど。 私は質問文で"代替施設が必要になってくるのは神道および浄土真宗を信仰していない人たちのために作られることになりますが"と言っております。 多くの日本人は神も仏も信仰していたのは知っております。 例えば神社で般若心経を読んだり、平家が厳島神社に仏経典を奉納したことも知っております。 ですので、浄土真宗以外の仏教徒が神社への参拝にあまり抵抗がないということは想像に難くありません。 しかし、抵抗がないからといって参拝するかどうかがわからないので、質問しました。 >千鳥ヶ淵戦没者墓苑も大東亜戦争の犠牲者だけです。 そうでしたっけ? 日中戦争の犠牲者もいたと思うんですが、違うんですかね。 >大体、戦没者=第二次大戦という考え方自体おかしいです。日本の戦争はそれだけじゃないんですから。 >自国の歴史を省みない国民も世界では珍しいらしいですよ。 michael-m様の「戦没者=第二次大戦という考え方自体おかしいです。」とのお考えはわかりましたが、 新しい追悼施設の建立を希望している多くの人は、 先の大戦(あるいは日中戦争を含む)の戦没者のみを追悼の対象にしているのではないでしょうか? そうなると、誰を追悼対象にするのかという問題も生じるのですね。 新しい追悼施設の建立をすべきだと考えている人たちは、誰を追悼対象とするのかというところも、 誰からも賛同を得られるような案を用意しているのでしょうか?

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