雑草ガーデニングで多様性の豊かさを実感しよう

このQ&Aのポイント
  • 私は植物を育てるのが趣味で、手軽に世話のできる鉢植えを愛用しています。その中で、雑草を抜かずにそのままにしておくことで興味深い生態系ができることを発見しました。
  • 異なる種類の植物が競い合いながら共生し、生態系の豊かさを学ぶことができます。近代の人間が自然を制御しすぎた結果、生物と生物が共生するという大切な叡智が失われてしまいました。
  • 自然を制御することにかまけすぎた結果、脳の本来の多様性が失われる危険性もあります。雑草ガーデニングを通じて多様性のもたらす豊かさを実感してみましょう。
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私は植物を育てるのが趣味で、時々鉢植えを買ってくる。大学生の時は、ランを育てることにはまった。胡蝶蘭などはずいぶん難しくて苦労した。最近では、もっと手軽に世話のできる鉢植えを買ってくるようにしている。もちろん、水をやったりというような世話はするが、できるだけ手間をかけないようにする。そのうち、もともと鉢植えの主役だった植物だけでなく、様々な雑草も生えてくる。いつの頃からか、それらの草を敢えて抜かずに、そのままにしておくようにした。すると興味深いことが起こる。どこから種がやってくるのか、次々と草が生える。鉢の中に生物多様性の小宇宙ができる。その様子を眺めているのが、実に楽しいのである。 異なる種類の植物が、生育するための地面のスペースを求めて競い合い、やがて適当なバランスをもって共生する。そのような有様を見ているだけで、「生態系」とは何かを学ぶことができる。自らの思いのままにコントロールするという視点から離れてみて初めて、生態系が持つ本来の豊かさ、複雑さ、奥行きが実感できる。雑草は邪魔だから抜いてしまえという態度では、いつまで経っても生態系の真髄を学ぶことができないのである。 思うに、近代の人間は自然を制御することにかまけすぎたのであろう。農薬をまき、「害虫」を根絶やしにする。除草剤をまいて、雑草を絶つ。その結果、経済的には有用な効果を得られるかもしれないが、生物と生物が共生するということはどういうことか、その大切な叡智が失われてしまった。あげくの果てに、人間の内なる「自然」まで制御しようとする。もともと、脳の働きなど思いのままになるものではない。自分や他人の無意識という、本来制御できないものをコントロールしようとするから、どうしても無理が来る。歪みが生じる。私たちの脳は、有用植物だけが生え、雑草は刈り取られる管理された農園よりも、様々な雑草が繁茂し共生する荒れ地に似ている。脳の本質は内なる多様性であると肝に銘じていないと危ない。思わぬしっぺ返しを受ける。受験や仕事など、ある特定の目的のために様々な雑念を抑えつけることは、いきすぎれば脳の健康に悪い。多様な想念が共生してこそ、初めて脳は強靭になる。創造性も生まれる。 雑草ガーデニングをやって、多様性のもたらす豊かさを実感してみてはどうか。これからの時代に保護されるべきは外なる自然の多様性だけではない。内なる自然も同じことである。

noname#201073
noname#201073

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • jzajza
  • ベストアンサー率34% (444/1296)
回答No.2

100字もいらないと思います。 植物も人間の脳も、主軸だけではなく、もろもろの要素も必要だという事でしょう。 なんだかんだと飾り立て、文章を長くするのは、言いたい事が何なのかを、分かりにくくしてしまう無駄な努力です。

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