• 締切済み

教訓

「教訓を得る」という言葉をよく聞きますが、 教訓の意味を辞書で調べると、 1.教えさとすこと。また、その内容・言葉 教えさとす、の意味を調べると 2.物事の道理を”相手が”よく理解できるように、話して聞かせる つまり、教訓は他人に言うものであり、(自分が)得るものではないと私は考えたのですが、 間違っていますでしょうか? よろしくお願いします。

みんなの回答

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.9

先にビデオの話しましたが。 AがBに教える状況のビデオ、cが見て理解したとき、cはおそらくAに教えられたとは言わず、ビデオに教えられたというのではと思います。 では、そのビデオをあなた(自分)が見て理解したとき、教えられた、教えることの内容を理解した(得た)。 その時は他人自体が存在せず、あるのは映像です、それを見て理解し、得るのは、それを見た人です(自分であっても、他の誰であっても差し支えありません)。

  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.8

中世期にはそのように、「教訓」が「教え諭すこと。戒めること。」の意味で、特にサ変の他動詞としてヲ格を取った機能性動詞の形で、ご指摘の通り「教訓は他人に言うもの」として使役的に使われていたものでしょう。 その「教訓を与える」という態(ヴォイス)を替えて、受身にした場合、授受表現においては「教訓を受ける」という形になります。 例)親が子に教訓を与える。 → 子が親から教訓を受ける(与えられる)。 そして、平安の昔から、その身にとって好ましくない出来事を受ける/被(こうむ)ることを「得(う)=得(え)る」と遣います。 例)「罪うることぞと常に聞こゆると」(「源氏物語・若紫」)。病を得る。 そして教訓もその当人にとっては苦く好ましくないものとして、わが身に教訓を得る=教訓を受ける/被(こうむ)るという言い方が成り立ってしまうのでしょう。 つまり、日本最初の国語辞書「言海」に「けうくん(教訓)(1)ヲシヘサトスコト。(2)告ゲ戒ムルコト。意見スルコト。教戒」と載って以来、そのまま」踏襲してきた説明文ですが、近ごろでは、教訓とはその受ける当人の身にとってプラスとなることだというニュアンスが生まれるにつけ、本来の「教訓を得る」というわが身に被(こうむ)る意味から外れて、その当人に有益な「教訓」を「獲得する/理解し自分のものとする」という意味へと「偏向」「拡大解釈」が進んだものではないでしょうか。 例)「きょうくん【教訓】将来への生活指針(を与えること)」(「新明解国語辞典」) 以上から、1)伝統的な使役的「教え諭し」では受身態での「被る/受ける」意味の得るで、2)近来の中立名詞的な「将来の生活指針」としては積極的な自発態としての「理解し自分のものとする」意味での得るとなっています。 この両傾向への分離か、混淆か、その意味上での揺れが生じている表現で、その点でも実に鋭いご質問だと思います。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.7

 もっと単純に言いますと、その言葉を発した人間が最初から「これは教訓である」などと思っていたのか、そうではないのかとの問題になります。  ソクラテスも孔子も最初からそんなことは考えてもいないでしょう。そうした彼等先哲の言葉をどう解釈するかが教訓の意味ですから、それがワンピースの中にあるルフィーの何気ない一言が、ある人にとっては教訓になりもするほどの意味でよろしいのではありませんか?  質問者様が混乱しているのは、言葉には送り手と受け手の二種類があり、一つのものにそれぞれの側面があるとの問題であると存じます。  「もの」が一つの面だけで物理的に成り立っているわけでもありません。紙にしても表面と裏面は必ずあります。どちらも表面であるとはいえませんね?。

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.6

「教える」と「教えること」との相違について。 思いつきではありますが。 AがBに何かを、教えている、この状況は教えるです。 それをビデオで撮影します、そしてCに教えるとはこういう「こと」だ、と見せます。 ビデオを見たCはAに教わったと感じるでしょうか、ただ見ただけではそこまで感じないはず。 ビデオ、またはその内容が「教えること」に該当します。 そして、Cが内容を十分理解して、以後自分の行動、判断の際に利用しようと思った時点で「得た」という表現が可能になります。 単なる情報としての記憶と、自分のものとして行動、判断の基準にするための記憶は脳の中で常に読み出し可能の領域に記憶の必要があるため、おのずと別の領域になります。

  • cxe28284
  • ベストアンサー率21% (932/4337)
回答No.5

わざわざ誰かが誰かに教え諭すというより、偶然起こった出来事を体験したり、 ある件に関する人の感想など、自分のいろいろな経験などによって、教えを得る ことがある。 ご質問の1.2.は教訓を得るという受け身の意味とは違っていると思います。 教訓を与えるであれば1、2、になるでしょう。 私は教訓を与えるは非常に僭越で、対等には使えないと思います。

  • fxq11011
  • ベストアンサー率11% (379/3170)
回答No.4

「教えさとす」=確かに他人に対しての行動です。 では「教えさとす」こと、日本語では「こと」がつくとその前の内容は名詞と同等になります。 教えさとすこと、を得た、教えさとす行動ではなく、教えさとすときの内容を得た・(知った)となります。 日本語では、語幹は去ることながら、て、に、を、は、を始め文の最後の言葉によって大きく意味が異なります。 ここでは「こと」が付くか付かないかの差です。 さとす=動詞 さとすこと=名詞(化) >1.教えさとすこと。また、その内容・言葉 すべて名詞の形で表現されています。 あなたが調べたのは、動詞の「教えさとす」ですね。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 言葉を「辞書どおり」のガチガチな解釈に押し込めてしまうと、その様になりますが、言葉は文脈の中でしか生きることができないとの性質を持ってもいます。  「教訓を得る」が先人の知恵に耳を傾ける事と理解するならば、その教えを得ることは何も不自然ではありません。  ついでに蛇足ですが、今年の文科省全国学力調査の「中学校 国語A大問8-4」に「英気を養う」との言葉の意味を問うとの設問がありました。この設問は「英気を養う」との慣用的表現を無視するとのまことに無謀ともいえる発想の元に造られていたがため、「英気」と「養う」をそれぞれの単語レベルで辞書を引くとの珍妙な作業を求めてもいます。  それと今回の質問者様の姿勢は同じであって、字面にとらわれてしまうからその様な杓子定規な理解を生んでいるともいえます。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

    「教訓を得る」は、「教えさとすこと」を得る =  教えさとしてもらう     で、自然だと思います。     

  • Nebusoku3
  • ベストアンサー率38% (1441/3774)
回答No.1

教訓を得る。 教訓をたれる。 両方がありますね。 昨年の失敗から教訓を得た。(得る) (監督が)昨年の失敗に関して、長々と教訓をたれた。 津波被害からの教訓が生かされてない。 昨年の津波被害から教訓を得て、今年は、しっかりとした対応が出来た。 某学者(評論家)が津波被害に関する教訓をたれていた。 参考; http://dictionary.goo.ne.jp/examples/jn2/56111/m0u/

関連するQ&A

  • 教訓をくむ

    今朝の朝日新聞天声人語で見た「教訓をくむ」とはどういう意味でしょうか? (「教訓はくめなくなる」との表現で載っていました。) 辞書で検索しましたが、漢字も不明でよく分かりません。 ぜひ教えてください。

  • 物事の正しい道筋とは

    道理と言う言葉を辞書で調べると、「物事の正しい道筋。また、人として行うべき正しい道。」とありました。物事の正しい道筋とはどういう意味ですか?人として行うべき正しい道ではないのだから、物事の原理みたいなことなのでしょうか?

  • 「理屈」「論理」の意味について

    「理屈」「論理」の意味がよくわかりません。 「理屈」を辞書で意味を調べると、「物事の筋道(=道理)」と書いてあるんですが、そもそも「物事の筋道」ってなんですか? また、「論理」の意味を調べると色々と難しい説明がありますが、「論理」ってなんですか? 理解力が非常に乏しい人間なので、できるだけ噛み砕いてわかりやすく教えて下さい。

  • 論理用語の意味の”違い”が全くさっぱりです。

    頭が非常に悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい口語的な定義(話す上で、書く上で自分の中でこういう意味だととらえている独自の定義でも構いません)や違い、そして例文を噛み砕いて教えてくれると助かります。 日本人ですが、いつまでたっても全く理解できません。 そのため、下記にあげる訳のわからないといっている言葉を一切使用せず解説でお願いします。 (論理、筋道、理屈、道理、条理、つじつまなど)  Ex. 条理=道理。 ←× 道理という言葉の意味がわからないので申し訳ないですが、説明の際に                 は道理という言葉は使わないでください。他の言葉も同様です      条理=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○    理屈=物事の筋道 ←× 筋道という言葉の意味がわかないので申し訳ないですが、説明の                     際には筋道と言う言葉は使わないでください。他の言葉も同様です    理屈=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○ まず、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保障される法則や形式     例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 思考の妥当性が保障される法則や形式って何? なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。でも定義の意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? 意味がわからん。 ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 人として行うべき正しい道っていうのは理解できるけど、物事の正しい筋道って条理と似たような定義だ。わけわからん。それから正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって?  つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。つじつまと筋道って何が違うの? んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた。口語的な解釈だと筋道と道理と何が違うんだ。この意味からだと同じにしか見えない。      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた。論理とつじつまの意味と何が違って、どういうところと関連しているんだ?      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 物事の道理とか物事の筋道とかなんでもっとわかりやすく説明できないんだ・・・。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。

  • 論理用語の意味の”違い”が全くさっぱりです。

    頭が非常に悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい口語的な定義(話す上で、書く上で自分の中でこういう意味だととらえている独自の定義でも構いません)や違い、そして例文を噛み砕いて教えてくれると助かります。 日本人ですが、いつまでたっても全く理解できません。 そのため、下記にあげる訳のわからないといっている言葉を一切使用せず解説でお願いします。 (論理、筋道、理屈、道理、条理、つじつまなど)  Ex. 条理=道理。 ←× 道理という言葉の意味がわからないので申し訳ないですが、説明の際に                 は道理という言葉は使わないでください。他の言葉も同様です      条理=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○    理屈=物事の筋道 ←× 筋道という言葉の意味がわかないので申し訳ないですが、説明の                     際には筋道と言う言葉は使わないでください。他の言葉も同様です    理屈=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○ まず、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保障される法則や形式     例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 思考の妥当性が保障される法則や形式って何? なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。でも定義の意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? 意味がわからん。 ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 人として行うべき正しい道っていうのは理解できるけど、物事の正しい筋道って条理と似たような定義だ。わけわからん。それから正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって?  つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。つじつまと筋道って何が違うの? んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた。口語的な解釈だと筋道と道理と何が違うんだ。この意味からだと同じにしか見えない。      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた。論理とつじつまの意味と何が違って、どういうところと関連しているんだ?      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 物事の道理とか物事の筋道とかなんでもっとわかりやすく説明できないんだ・・・。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。

  • 論用語(論理・筋道など)の意味不。助けて下さい。

    頭が非常に悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい定義や違い、そして例文を教えてくれると助かります。 日本人ですが、いつまでたっても全く理解できません。 そのため、下記にあげる訳のわからないといっている言葉を一切使用せずに噛み砕いた解説でお願いします。 (論理、筋道、理屈、道理、条理、つじつまなど)  Ex. 条理=道理。 ←× 道理という言葉の意味がわからないので申し訳ないですが、説明の際に                 は道理という言葉は使わないでください。他の言葉も同様です      条理=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○    理屈=物事の筋道 ←× 筋道という言葉の意味がわかないので申し訳ないですが、説明の                     際には筋道と言う言葉は使わないでください。他の言葉も同様です    理屈=「これは~みたいな意味で、こういう時に使うよ」みたいなやさしい説明 ←○ まず、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保障される法則や形式     例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 思考の妥当性が保障される法則や形式って何? なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、世間でよく使われる筋が通っているって、「考えや気持ちがブレずに首尾一貫していること」だよな。でも定義の意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? 意味がわからん。 ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 人として行うべき正しい道っていうのは理解できるけど、物事の正しい筋道って条理と似たような定義だ。わけわからん。それから正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって? つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。 んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 物事の道理とか物事の筋道とかなんでもっとわかりやすく説明できないんだ・・・。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、書く言葉の意味合いが全く何も見えません。しかし世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。

  • 評論用語(論理・理屈・筋道)などの解説お願いします

    頭かなり悪いので助けて下さい。具体例を挙げて言葉を解説してくれたり、言葉のもっとわかりやすい定義や違い、そして例文を教えてくれると助かります。 下記にあげる訳のわからない言葉を使用せずに解説お願いします。 評論文を読んでいると、論理と言う言葉が必ず出てきます。 こういうのを国語の先生に聞きたかった。 そして、論理の意味を調べてみると、 論理=考えや議論などを進めていく筋道      例文:「筆者の論理を追え」「彼の論理は正しい」 なんだ、筋道って? 調べてみよう・・・ 筋道=物事がそうなっているわけ(理由)。事の条理。道理。     例文:「筋道を立てて話す」「筋道を追う」 なんだ条理って? 道理って? だけど、筋が通っているって、考えや気持ちがブレずに首尾一貫していることだよな。 この意味から考えると、筋が通っている=理由が矛盾なく人にも分かる? ※通っている=矛盾がなく内容が理解できる 条理=物事の筋道。道理。 例文:「これは条理に合っている」 明らかに文章じゃ筋道とか道理の意味合いとは異なるような・・・。 また、道理とか筋道が出てきたぞ。じゃあ道理ってなんだ? 道理=(1)物事の正しい筋道。また、人として行うべき正しい道。理。      例文:「道理をわきまえる」「道理にはずれた行為」      (2)筋が通っていること。正論であること。      例文:「言われてみれば道理な話だ」「道理であいつがバカなわけだ」 正論ってなんだ? 正論=道理にかなった正しい意見や議論  例文:「君の言うことは正論だ」 ※適った=ぴったり合った、当てはまった なんか意味が全て同じようで訳が分からなくなってきた。 所で矛盾ってなんだ? 矛盾=2つの物事が合うべき所が食い違っていて、つじつまが合わないこと     例文:「二人の話が矛盾している」 ※食い違う=(何か)と違っている、合わない なんだつじつまって? つじつま=合うべき所がきちんと合う物事の筋道      例文:「話のつじつまを考える」 また筋道って言葉に逆戻り・・・・。 んじゃあ良く聞くつじつまが合うって? つじつまがあう=筋道が通っている。理屈に合う。          ※「証言はまるでつじつまが合わない」 ※合う=ぴったり合った、当てはまった もうわけわからない。 気を取り直して、今度は理屈の意味を調べてみよう 理屈=(1)物事の筋道。道理。 ←また同じ意味が出てきた      例文:「君の理屈が正しければ成功する」「理屈で物を語るな」      (2)無理につじつまを合わせた論理。屁理屈。 ←つじつまと論理って言葉が出てきた      例文:「理屈をこねる」 道理。筋道。論理。だの訳のわからない言葉ばかり。 って感じで調べてたんですけど、各々の言葉が似たような意味で違いが分からず、全く何も見えません。世の中では、明らかにこれらの言葉は使い分けられて使われています。私も頭が馬鹿以外にもなんか理解できない原因があるのかもしれません。 誰か助けて下さい。

  • 四文字熟語で『がたぴし』の見(けん)って。

    こんにちは始めまして。 昔、図書館で四文字熟語の本を読んでいたら とてもいい教訓になりそうな言葉を見つけました。 それが読み方は覚えているのですが 肝心かなめの漢字を忘れてしまって・・(汗) あれから何度も図書館へ行っても その本が見当たらずに 困っています。 その四文字熟語が→がたぴしの見(けん) というものです。 意味はたしか他人と自分を比較して物事を見ていたら すべての物事がガタついてぴしっ(亀裂)してくる?・・とかそんな感じだった と思うんです。  どうかご存知のかたおられたら よろしくお願いします。

  • うさぎとかめの教訓について

    質問させてください。 ここ2、3日忙しくしていたのですが、その時にうさぎとかめのはなしが頭に浮かんで、消えませんでした。 あの話の与える教訓とは、記憶が正しければ「油断をするな」と言ったような慢心をさとすような話として理解されていたように思います。 いってみれば、うさぎに対しての教訓というかたちで読まれてますよね。 ですが、その時の自分の状況は、どう考えてもかめに近い状態にあって、なんでこの話を思い出すのか、気になっています。 うさぎとかめの話は、かめを励ますような話として読むことは出来ないのでしょうか。

  • 不条理について

    よろしくお願いします。 「不条理」という言葉の意味ですが、私は今まで、意味なく不幸に見舞われる人も、そうでない順風満帆で終える人もいる、そういう人生が、不条理だと理解していましたが、違いますか? 辞書には道理に合わないとありますし、哲学的な意味も調べましたが、私のこれまでの理解は、間違いでしょうか。よろしくお願いします。