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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:空海と景教の関係)

空海と景教の関係

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.11

 お返事ありがとうございます。本格的なお盆直前なので、時間の関係で短めに。 >>ニュートンは万有引力を発見と運動力学の法則をつくりました。惑星探査機の軌道もその法則で計算されます。発見する前から引力はあったのですが、それを発見し法則化するのは偉大なことです。地球が円いなら南極の人は宇宙に落ちてしますはずなのに何故に落ちないのかを考えた人は過去にも居たはずです。その人とニュートンとでは価値が違うのです。  これは過去七仏についての事かと思いますが、私はもちろん史学的視点や考古学的視点のような客観的な視点は重要であると思っておりますが、仏教を理解するには経典は経典そのものを素直に読むという主観的な視点は忘れてはいけないとも思います。  経典を経典として読むという視点からすればお釈迦様を含めた過去七仏は『大譬喩経』ではちゃんと悟りを開きそれを体系化してお弟子たちに説いていたとあります。経典の中では、決してお釈迦様に劣った存在であるとは説かれてはいません。結局は経典に書いてあることを、客観的立場に見せかけて主観的に取捨選択しているにすぎないわけです。 >>阿弥陀佛の理屈を考えた人は釈尊と同等になるために阿弥陀佛を置いたと思うのです。大日如来も同じだと思っています。自分を釈尊と同等もしくはそれ以上と思う心根はあっぱれです。しかし、私にはそのことが素直に飲み込めないのです。中国、朝鮮を経て日本に伝わった大乗仏教に違和感を感じるのです。  私の誤解かもしれませんが、これは「俺はお釈迦様と同じ悟りもしくはそれ以上の悟りを得たんだから新しい経典をつくっても問題ないぜと思って大乗の経典はつくられた」ってことですかね?  もしそうであるのならば、それは大乗のみに向けられるというのはいかがなものでしょう?仏教の経典はその初期の段階から新作、増稿、増補、がおこなわれています。最初期の経典といわれる『スッタニパータ』でさえ、例えば第三章の誕生説話は『大譬喩経』からの引用であるといわれていますし。『大譬喩経』についても、最初期は誕生説話として新作され徐々に増稿・増補されたものと考えられています。また、パーリアーガマとと漢訳阿含の比較研究などによって、アーガマに無い内容が阿含に増稿されているわけですが、阿含に増稿されたものは、すでにパーリアビダルマ文献の中に見ることができ、ただの解説であったアビダルマが経典に格上げされていった経緯もわかってきています。そして、それはパーリ『増支部』の中にはすでに「仏教的にうまいこと言ってればお釈迦様の言葉と扱ってよい」という一文も存在していますが、仏教ってそもそもその立場なんですよね。  そうであるならば、上述のような「俺はお釈迦様と同じ悟りもしくはそれ以上の悟りを得たんだから新しい経典をつくっても問題ないぜと思って大乗の経典はつくられた」という立場であるならば、大乗以前からすでに仏教は経典を新作、増稿、増補、定着というプロセスを行っています。ですから、大乗のみにその視線を向けるのはおかしなことであると思います。  私はむしろ大乗経典にはお釈迦様への原点回帰の意気込みのようなものを感じます。  まず、大乗が生まれ始めたころのメインの仏教はアビダルマ仏教と呼ばれ、一つの見方をすれば経の解説書(アビダルマ)をメインに扱うものでした。私たち現代人もよくやることですが、解説書を参考にして経典を読むのではなく、解説書をメインに経典を読むという事になってしまていたわけです。解説書にこう書いてあるから、経典のこの言葉はこういう意味だという具合です。経と論の立場は本末転倒してしまっていたんですね。そんな中生まれたのが大乗であり、大乗は多くの要因を持って生まれてきたわけですが、その一つの要因は経典の権威の復活であり、お釈迦様の言葉への回帰です。  そして、その最初期大乗が大乗であるという自覚を持つ以前にできたと考えられる経典を学者によっては原始大乗と呼びます。これは大乗と初めて名乗った『道行般若経』以前に成立していたであろう経典の事です。その中の一つが、阿弥陀仏を中心に説く『無量寿経』といわれています。この『無量寿経』は海外論文では『スッタニパータ』第五章である『パーラーヤナ』との関係が研究されておりますが、大変近い構造を持った経典でもあります。例えば、『無量寿経』には至心・信楽、欲生という三つの信心が説かれていますが、『パーラーヤナ』にもsaddha、pasīdāmi、adhimuttacittaの三つの信心が説かれています。『無量寿経』信楽という信心は同経の異訳やサンスクリット、チベット語のテキストには見出せませんが、これは後半の「その名号を聞きて信心歓喜せん(阿弥陀仏の名前を聞いて信心歓喜する)」という一文からとられたものと考えられます。この、「その名号を聞きて信心歓喜せん」の部分は、現存する『無量寿経』の中で最も古い形態を残すといわれる『大阿弥陀経』の中では、「阿弥陀仏の声を聴いて信心歓喜する」と説かれています。これはまさに『パーラーヤナ』において、 1146 (師ブッダが現れていった)、「ヴァッカリやバドラーヴダやアーラヴィ・ゴータマが信仰を捨て去ったように、そのように汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸にいたるであろう。ピンギヤよ。」 1147 (ピンギヤはいった)、「わたくしは聖者のことばを聞いて、ますます心が澄む(=信ずる)ようになりました。さとった人は、煩悩の覆いを開き、心の荒みなく、明察のあられる方です。 という、ピンギヤ尊者が経験したことと重なります。ちなみに信楽はサンスクリットではcitta prasādaという語で漢訳では「浄信」と訳されることもあります。『パーラーヤナ』の中では先の引用の1147に出てくる「心が澄む(信じる)」というのがパーリのpasīdāmiという語であり、『無量寿経』の信楽のサンスクリットと同じです。こんな風に、『無量寿経』のような大乗経典だったとしても、過去の経典に説かれていることへの回帰という事を実はあらわしているんですよ。    こんな感じですかね。時間がなくて、私の考えを押し付けるような形でダーッと書いちゃいましたが、この辺を考慮に入れてご自身仏教観をつくっていってください。誤字脱字乱文はご容赦を。 合掌 南無阿弥陀仏

titelist1
質問者

お礼

>仏教を理解するには経典は経典そのものを素直に読むという主観的な視点は忘れてはいけないとも思います。 私は理屈屋なので、素直に読むには前提条件に納得する必要があるのです。仏教はやはり万人を経由した教えでしたか。なので万通りの解釈がある。釈尊が長く生きたことも関係しているのでしょう。 このお礼をもって終わりにします。皆さんありがとうございました。

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