- 締切済み
人の道に優る信仰など存在しません
まず現実を見れば分かります。 ユダヤもイスラムも争ってばかりではないか。 これらの中に人の道など微塵も存在しません。 キリスト教国家アメリカは日本に2発も原爆を落とし、ベトナムでは枯葉剤を蒔き続けた。 完全に人の道から外れている。 ヒンズーにあってはカーストに縛られ、レイプ事件ばかりが氾濫しているという。 人の道は無く、畜生ばかりである。 我が国にあっては何らの政治理念も持たぬ宗教政党が与党に紛れ込み、居座り続けている。 完全に人の道を踏みにじっている。 まず「宗教の前に人の道がある」のではないか。 如何なる神、如何なる仏であろうと人の道に優るものは存在しないのではないか。
- hitonomichi33
- お礼率55% (428/771)
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数7
- ありがとう数9
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
>それは人の道ではなく、畜生の道という そうだよ。 君の堕している道だ。
- kanto-i
- ベストアンサー率30% (180/596)
宗教は教義の内容より、同業相手を見下したり引き下げたるすることで いつも争いの種を作っているように思います。 それをやるなら、表看板が何であろうといくら変えようと どこに入信しても根元は争う姿勢であり、攻撃体制ですよね。 それが宗教戦争の常でありますよね。 信仰を調べてみました。 命名字解より 「信」は《言部》に分類され、「誠也。従人従言。会意。」=「誠である。“人”と“言”に従って成り立つ。会意文字である。」と記す。 ◆「信」の部首である「言」について、『説文解字』は《夊(チ、なつあし)部》に分類し、「直言曰言,論難曰語。従口䇂声。」=「直に発言するを言といい、論難するを語という。“口”と“䇂”に従い、“䇂(ケン)”を音とする。」と記している。(“䇂(ケン)”については未詳)。 ◆また、「言」が「口」と「辛」から構成され、「辛」を“針”とする解釈が一般的である(下図参照)。 《字形成り立ち図:「辛」、「言」、「信」》 ◆上図に明らかなように、「辛」は「言」と「信」の部首=パーツとなってはいるが、「辛」が意味するのは“針”ではなく、植物の種子である。例えば、ひまわりが花を咲かせた後に残る種子である。 ◆山椒(サンショウ)や唐辛子(トウガラシ)、胡椒(コショウ)などの植物の実は香辛料として使われるだけでなく、漢方薬としても古くから用いられた。 ◆そして、本来は種子を意味する文字であったものが、それが持つ「辛さ(辛さ)」から“からい”、“(涙が出て)つらい”という意味が派生したものである。 ◆人の口から発せられた音を植物の実に例えて「言」という漢字が生まれ、それに「人」(=イ:にん偏)が加えられて「信」という字になったのである。 ◆「信」は「申」に通じて「もうしのべる(申し述べる)」といういう意味を持つ。 ◆そして申し述べたことに対する責任を負うというのが「信」の字義である。 ◆ということで、以上が「信」という漢字の解字、成り立ちと字義である。 「仰」は《人部》に分類され、「挙也。従人従卬。=挙げるなり。“人”と“卬(ゴウ、ギョウ、たか‐い、われ)”から成り立つ。」と記す。 ◆「卬」という字は、立った人と跪(ひざまず)くひとが向かい合う形に象(かたど)ったもので、跪くものが目上の者の話しを拝聴している様子を表している。 ◆「卬」という字には、「たかい」、「むかえる(迎える)」、「たかぶる(昂る)」「あおぐ(仰ぐ)」、「」あおぎみる(仰ぎ見る)、「われ(吾)」などの意味があり、「仰」の古字でもある。 ◆上述のように、「卬」という字には、幅広い意味があることから、“イ(にんべん)”を付けて「仰」、“之繞(しんにょう)”を付けて「迎」、“日(ひへん・にちへん)”を付けて「昂」というように、意味付けを細かくして伝わりやすくした。 ◆これが「仰」の成り立ちであり、その字義は位置とか位のたかいものを見上げる、リスペクト(尊敬・敬意)を持つtぽいことである。 【主な意味】 [1]あおぐ(仰ぐ)。見上げる。 [2]あおぐ(仰ぐ)。尊敬する。敬意をはらう。 [3]公文書で通達文のタイトルに付ける文字。 [4]【日本】:仰(おお)せられる。仰(おっしゃ)る。[尊敬語として使う]。 [5]【日本】:仰(おお)せ。身分が高い人から出された、言葉や命令。 ・・・・・・など。 偉いとされている人が、おっしゃった言葉なのでしょうが 信仰は「教えを鵜呑みにして疑いを持たず」であるなら 言われたことそのまま従うアホウでいろってことに感じます。 私が大切に思うのは「自分の道」であり、それは自分の中にあります。 人の道も、あらゆる教義も精査の対象ではあれども 外のものを崇めたて祀るという信仰は、個人的には必要としていません。 自身で咀嚼し、自身の力で自身の身になったものだけが 自分の道の一部となり、いずれも全体採用ではありません。 自身の外に掲げてあるだけにとどまるものは、本当に必要なのでしょうかね? 必要としてる人が採用するのは構いませんが それは自分で考える力をなくさないの?と聴きたくはなります。 誰でも好きにするのはいいですが、争いの種は撒かないでほしいと思いますね。
- 0fool0
- ベストアンサー率18% (134/738)
時に殺し合い、時に助け合う それが生きる道、人の道
- DESTROY11
- ベストアンサー率23% (785/3377)
そもそも宗教とは「神の教え」ということにしてモラルを説くものです。 昔は欲しければ奪う、気に食わなければ殺す、ヤりたければ犯すというのが当たり前でした。 が、「これじゃいかん!」と思った人が「神が言ってますよ」ということにしてモラルを説くようにしたわけです。 モーセの十戒は「あたりまえじゃん」と思うようなことしか書いてないですが、あえて言わなければならないほどアンモラルな世界だったわけですね。 「宗教の前に人の道」はなく、宗教が出来て人の道が出来たのです。 それはそれでいいんですが、神が乱立し、それを利用する政治家達が現れてから、今度は宗教同士の争いになっちゃったわけです。 結果、今の現実になっているのです。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
お早うございます。 話し合いに入ったなら 相手の言うことを聞いて 自分の考えをしっかりと答える。 このことを怠るなら 人の道はすでに廃れています。 ★ まず現実を見れば分かります。
- kurinal
- ベストアンサー率10% (128/1195)
人の道様、こんばんは。 >「まず「宗教の前に人の道がある」のではないか。」 「「信教の自由」にも限界がある」、他者の人権を侵害出来ない。
- vigbanban
- ベストアンサー率16% (12/71)
全ては 神の道に背き 人の道を走ったからの結果です 結果論に何を言っても過去なのだから仕方無い・・ だから 人の道を変える為に宗教はあるのです
関連するQ&A
- 世界の6大宗教を2つに分けると
世界の6大宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教、神道、ヒンズー教)を二つに分けると、アブラハムの宗教(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教)とアジア宗教(仏教、神道、ヒンズー教)の二種類になるんでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 宗教は人を救うものであり、人が宗教を救うのではない
洋の東西を問わず、なぜ宗教は斯くの如く腐敗し堕落したのか。 キリスト教は奇跡を説くカルトであり、 世の仏教と坊主たちは戒名料をせしめることだけに奔走し、 イスラムはジハードを掲げては自爆テロに明け暮れ、 ヒンズーはカーストを掲げてはインド中でレイプ事件ばかりを起こしているではないか。 いったい人の道は何処へ行ったのか。 本来の宗教は人を救うためにあるはずであるが、これらの腐敗し堕落した既製宗教は人によって救われたいと願っているのではないのか。 如何に腐敗し堕落しても信仰の自由さえ説いていれば人が救ってくれると考えているのではないのか。 何か本末が転倒したように感じるのは果たしてこの私だけであろーか。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 宗教の教えをおしえて!
仏教とキリスト教とイスラム教とヒンドゥー教とユダヤ教の教えが知りたいんです! それと、各宗教の神を教えてください。それに当たることでも良いので。 お願いします。
- ベストアンサー
- その他(学問・教育)
- キリスト教、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教・・・などなど、さまざまな宗教の考え方や特徴を知りたいです。
最近、宗教について興味を持つようになりました。たとえばイスラム教では女性の地位が低かったりヒンドゥ教にはカーストがあったりと、宗教によってさまざまな考え方の違い、特徴があると思います。そんな宗教の違いなどについて分かりやすく解説していただけたら幸いです。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 宗教の分派と争いの有無
世界には色々な宗教が存在します。 しかもそれらは必ずといって良い程分派を形成し、それら分派の間に血なまぐさい闘争の歴史を繰り返しているように思います。 キリスト教、イスラム教、仏教、がそうですし、それがないのはヒンズー教、儒教、ユダヤ教のように思うのですが私の不勉強かもしれません。 後者の宗教に分派は存在しないのか、闘争の歴史はないのかについてご教示下さい。 ユダヤ教には3分派が存在する事は存知ていますが分派間の血まみれの闘争は聞きません。 これは何故でしょうか。
- ベストアンサー
- 歴史
- 宗教の正しさは信者数では計れません
実際キリスト教は過去2000年の歴史を持ち、今日約20億の信者に支えられているが、奇跡を説くカルトに過ぎないことは変わっていない。 イスラム教は全世界に11億の信者をもつ巨大宗教であるが、その信者は世界中でテロとジハードを繰り返す救いようのないカルト宗教である。 またヒンズー教は10億の信者を抱えるがその中身はカーストであり、それ故インド国内ではレイプ事件ばかり繰り返す畜生の教えである。 それゆえ哲学が宗教について考えるとき、宗教の正しさはその信者数とかその歴史や年数では決して計れないものであることをまず第一に認識すべきでないか。
- 締切済み
- 哲学・倫理・宗教学
- 中道とは風見鶏のよーなもの
中道を行くとは何らの思想も理念も持たず、まるで風見鶏のよーに東から風が吹けば東に、西から風が吹けば西に向こうとする畜生の類に他ならない。 中道を行くなどとほざきつつ何の理念も持たず、つい最近まで与党政権の中に居座っておった宗教政党が存在するのを考えれば分かること。 皆もそー思うであろー。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 仏教と神道、ヒンズー教の関係は
アブラハムの宗教であるユダヤ教とキリスト教、イスラム教はエルサレムを巡って争っていますが、根が同じである仏教とヒンズー教はどうでしょうか? あまり争いは聞かないのですが(むしろヒンズー教はインドとパキスタンの紛争のようにイスラム教と争っていると聞きましたが)。 また、仏教と神道はどうでしょうか? 日本ではうまく混合しているような気がしますが。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 日本のさまざまな行事と宗教の関わり
日本は行事だけをとればいろいろな宗教が混在している国だと思うのですが、例えばクリスマスならキリスト教などその行事がなんの宗教によるものか知っていらしたら教えてください。ユダヤ教やイスラム教、仏教やヒンドゥー教などに由来している行事があると聞いたことがあるのですが忘れてしまいました。お願いします。
- 締切済み
- その他(学問・教育)
お礼
>時に殺し合い、時に助け合う それは人の道ではなく、畜生の道という。