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「般若心経」や「法華経」の作者は?

馬鹿 禿(@baka-hage)の回答

回答No.3

 こないだはどうも。また世間でボーさんと呼ばれてるもんです。これは多分経典成立史の質問かと思います。宗教学者岸本秀夫先生の説によれば、宗教研究には大きく分けて二つの立場があるといわれます。一つは主観的立場からの自らの信仰としての研究の立場、もう一つは客観的な立場から史料や歴史の立場からの研究です。前者の研究の立場から言えば、すべての経典はお釈迦様の金言であり、パーリ『増支部』(漢訳『増阿含経』)には「うまいこと言ってれば、みんなお釈迦様の言葉」という一文があって、比較的初期の成立起源をもった経典にも仏教的に意味のある言葉であればお釈迦様の言葉として受け取っていいという事になっています。しかし、今回の質問は後者の研究の立場からの質問かと思いますので、前者の研究をないがしろにしても仏教研究は進みませんが、今回は史料史的な立場からお話しさせていただきます。 >>仏教では、「般若心経」や「法華経」とかの経典の名前をよく聞きますが耳にしますが、これらの経典はいつ頃どこでつくられたのでしょうか?   まず「法華経」に関して、期間で言えば「法華経」はある程度の時間をかけて成立した経典と考えられています。もちろん、いっぺん出来た説もありますが、この説話私は無理があるんじゃないかと思います。私は時間をかけて増稿増補されていったのではないかと考えています。この、時間をかけた説にもいくつかありまして、前半後半説、三期説、四期説なんかが代表的です。ここでは、間を取って、三期説を簡単に概観します。  法華経の漢訳は六訳三存といって、中国語に六回訳されたようですが現存しているのは『正法華経』『添品妙法蓮華経』『妙法蓮華経』の三つです。今回はいちばん読まれている鳩摩羅什が訳した『妙法蓮華経』を基本にご説明します。  第一期は「序品」から「第九授学無学人品」まで。(ただ、序品は第二部と見られることも多いですが。)この第一部は方便品の「誰でも仏になれるという」思想が中心に説かれています。(やっぱり超意訳なので、ちゃんと勉強したければ実際に経典を読んでみてください。以下省略)  第二部は「第十法師品」から「第二十二嘱累品」までで、一部から遅れて成立し付け加えられたと考えられています。ここには「久遠の釈迦(お釈迦様は娑婆に生まれて悟るよりずっと前から悟っていて、お釈迦さまの本体は真理そのものになってるんですよみたいな感じ)を説くと同時に、釈迦滅後の菩薩の実践」が語られています。  第三部は第二十三薬王菩薩品以下で、薬王菩薩、妙音菩薩、観音菩薩などの「具体的な菩薩がどのように実践しているか」が説かれています。この部分は、もともと「法華経」の文脈とは関係なく独立して発展していた菩薩信仰が、おいおい「法華経」と統合したもので、「法華経」としての成立過程から言えばもっとも遅れるといわれます。  このように「法華経」はある程度の時間の幅を持ってできたと考えられ、紀元50年くらいからスタートして紀元2世紀あたりにかけて西北インドで成立したのではないかと考えられます。  この紀元50年という数字、『道行般若経(『八千頌般若経(はっせんじゅはんにゃきょう)』)』という、最初に「大乗」と名乗った経典との比較研究によって考えられた説です。この『道行般若経』には「大乗」言葉はマハーヤーナというサンスクリット語の音写で「摩訶衍」という言葉は検出できるものの、それ以前の部派仏教(特に説一切有部という学派)を批判的に「小乗」と呼んでいる部分は検出できません。しかし、「法華経」は大乗や小乗という比較は行われていますが、最終的には大乗も小乗も一仏乗という仏の悟りいたることができると説かれています。(もちろん、一仏乗とは大乗的な境地を指し、大乗有利という立場ではあります)このように、『道行般若経』のころに生まれた大乗という思想が、大乗小乗という批判的な比較の思想を生み、そののち「法華経」が成立したころには大乗小乗という批判的な比較を乗り越えて大乗も小乗も一仏乗という悟りを目指すものとされるような思想が生まれたという、思想史的な流れが予想されます。そして、この『道行般若経』の成立年代が紀元50年前後と考えられるので、「法華経」はそれ以降に成立したのではないかと考えられるわけです。  次に『般若心経』は、ある意味『道行般若経』の流れの中で生まれた「般若経典」群のなかに所属する経典です。脳科学者の苫米地英人氏は著作において『般若心経』は中国でつくられた経典であるというのが海外研究では常識になっていると紹介していますが、多分苫米地氏は数年前にカナダの研究者が提出した論文をベースに考えているようですが、それに反対する論文が海外日本においても何本か出されています。私個人的には中国成立説には無理があると思いますので、インド成立説を押します。  先ほど『般若心経』を「般若経典」と申しましたが、これも正確ではないかもしれません。この『般若心経』は大きく前半の空思想の部分とと後半の密教思想的なマントラの部分に分けることができます。この前半後半に関しても、諸説ございまして、私の恩師小峰弥彦先生は『般若心経』自体が空思想から密教へと導くためにつくられた経典とまでおっしゃっています。つまり、小峰先生が正しいかはさておいて『般若心経』に関しては、空思想と密教双方の観点から考える必要があります。  このような立場から考えますと、日本においては『般若心経』を空思想の経典としか紹介されていません。これはなぜかと言えば、一番私たちにポピュラーな『般若心経』は玄奘訳なのですが、玄奘は「フリダヤ」とい言葉を「心」と訳したことが問題のようです。やっぱり「心」て訳しちゃうと心の問題ってことで、空思想との強い結びつきを連想しちゃうんですよね。しかし、玄奘訳以外のものを見ると、フリダヤは『摩訶般若波羅蜜神呪』(役者不明)・『摩訶般若波羅蜜呪経』(支謙(支讖の書き間違い可能性あり)訳)・『摩訶般若波羅蜜大明呪経』(鳩摩羅什訳)と訳されており、ある意味後半の密教的マントラの方を重視した題名になっております。  このフリダヤの語の意味も心臓・心・胸・心髄・核心みたいな意味と密教系では呪・心呪・蜜呪なんて意味で訳される場合と二パターンに分けられます。このフリダヤの根本的な原意として仏教学者阿理生先生の説によれば「中に入れて乗せる」という意味ではないかといいます。これがおいおい、「血液を中に入れて運ぶ」というとこから心臓や、「空気を中に入れて運ぶ」という事で胸(肺)のような意味で使われるようになったのではないかと考えられます。そして、このフリダヤは「中に入れて運ぶ方法」というような意味もあり、本来「般若心経」は「完成された仏の知恵(般若波羅蜜)へ運ぶ方法」という意味を持った経典ではないかと考えられます。  では、前半部の空思想と後半部の密教的マントラが説かれている部分のどちらが先に成立したか。上述の事を考慮に入れて考えると、前半の空思想は実践法というより学術的な教理に当たり、後半の密教的マントラは教理というよりも実践的に読誦する部分であり、フリダヤの語の原意とも符合します。つまり、この『般若心経』は成立最初期においては密教的マントラが先にあり、後期にその実践法の前提となる思想的な教理の部分が増補されたのではないかと考えられます。  この点から考えると、密教的な要素が仏教で現れるのは紀元3世紀頃と考えられるので、『般若心経』の成立年代は紀元3世紀以降。また、『般若心経』以外の短めの般若経典である『金剛般若経』や『善勇猛般若経』なんかも、大まかに紀元300年~500年くらいの間にできたと考えられていますので、『般若心経』もこのあたりでできたのではないかと考えられます。 >>またその作者や翻訳者は明確にわかっているのでしょうか?  『法華経』は漢訳は先にあげた3つが現存し、サンスクリット語、チベット語があります。  『般若心経』漢訳は確か7種類現存していて、サンスクリット語2種類、チベット語もあります。  あと、双方には断片的な訳や考古学的な発見から写本の一部等々が結構発見されているはずです。経典は大乗であっても、説いたのはお釈迦様でアナン尊者が「こんな風に聞きました(如是我聞、または我聞如是)」ってのが基本系なので、作者はわかりません。訳者もわかっているものと分かっていないものがあり、またわかっているものでも本当にその人が訳したかどうかわからないものもあります。 >>お経は、サンスクリット語あるいはパーリ語を耳で聴き、聴いたままの音を中国人が漢字に当てはめただけのものや、その文脈を理解した上中国語に翻訳したものがあると聞きました。 >>「般若心経」や「法華経」も同じことが言えますか?  そうですね。音写と意訳の双方があります。『般若心経』の『般若波羅蜜多心経』という題を見ても般若波羅蜜多はprajnaparamita(プラジニヤ〈俗語ではパンニャ〉・パラミタ)の音写です。そして、先にあげたhrdaya(フリダヤ)が心もしくは呪と意訳されます。「法華経」の題名は基本的に意訳ですね。  私のわかる範囲ではこんなところでしょうか。急ごしらえのため誤字脱字乱文ご容赦ください。 合掌 南無阿弥陀佛

taigas
質問者

お礼

返事が遅くなって申し訳ありません。 要は両者ともインドでつくられたものか中国でつくられてものかは明確にはわからない!と言うことですね。 仏教はわからないことだらけですので、また質問させて頂きますが、よろしくお願いします。

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