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浄土真宗の教えについて

御文章の「八万の法蔵章」の中に、後世をしらざる人を愚者とす、後世をしるを智者とす、という言葉が出てきます。ひょっとして、浄土真宗って「後世をしる智者」のための教えであって、「後世を知らざる愚者」は救われないという教えなのでしょうか? 「死んだらおしまい」くらいにしか思ってない私は、まさに「後世をしらざる愚者」であると思うのですが、私は、浄土真宗では救われないということなのでしょうか?

みんなの回答

  • 3355Teach
  • ベストアンサー率11% (12/101)
回答No.5

なぜ、浄土真宗なのに親鸞の思想に当たろうとしないんですか?蓮如の功績は浄土真宗教団の再興にあり、優れたオルガナイザーとしての面にあります。

satoshi_m1262
質問者

補足

浄土真宗の教えを聞いて長くなりますが、ほとんど、心に響いてきません。 何か、教えを聞いていても教えから自分が遊離しているような… そんな感じがするのです。自分の問題として、聞けないという感じでしょうか。 最近は、無意識のうちに、私の聞法がうまくいかない理由探しを するようになってしまいました。 そんな中で、まず出会ったのが「唯除五逆誹正法」という言葉でした。 曇鸞大師は、正法を誹謗するとはどういうことかを次のように言われています。  もし仏なく、仏の法なし、菩薩なく、菩薩の法なしといはん。かくのごとき等の見、  もしは心にみづから解し、もしは他に従ひて受け、その心決定するをみな正法を  誹謗すと名づく。 仏なんて存在しない、菩薩なんて存在しない。自分で思ったにせよ、他人に言われて思ったにせよ、 そんな考えを持つことが正法を誹謗するということである。 私は、法を聞きながらも阿弥陀佛の実在を信じていませんでした。 正法を誹謗する者というのは、私のことではないのか。そして、正法を誹謗する者は 始めから除かれている。これが、私の聞法がうまくいかない理由なのではないのか。 そう思ったのです。 真宗には「逆謗摂取」という言葉もあります。謗法罪の者も救われると。 善導大師は「謗法・闡提、回心すればみな往く」と言われ、親鸞聖人も信巻に引用されて いますが、謗法の者がどのように回心するのかは詳しく述べられていないように思います。 正法を誹謗する者――これが浄土真宗の中で、私を表現する第一の言葉でした。 そして、「後世をしらざる愚者」。私を表現する第二の言葉です。 ですから、親鸞聖人の思想に当たっていないわけではないのです。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.4

難しい事は、わかりませんが、宗教などは 難しく捕らえると、矛盾が生じてきます 禅宗と違って、真宗は情緒に訴える宗教です 人は生まれた時から、もうすでに、救われて いると思います、阿弥陀の無償愛に。

satoshi_m1262
質問者

補足

>人は生まれた時から、もうすでに救われて いると思います、阿弥陀の無償愛に。 もうすでに、阿弥陀如来に救われているとは どういうことでしょう… 浄土に往生することが 決定しているということでしょうか? 親鸞聖人はおっしゃっています。 「信心のさだまるとき往生またさだまるなり」(『末燈鈔』1通目) 生まれたときから、すでに救われている(往生がさだまっている)というのは ひとつの考え方ではあるかもしれませんが、 それは浄土真宗からははずれると思います。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

>あの世があれば考えかたや生き方も変わりますね。 差し支えなければ、どんなふうに変わるのか教えていただきたいです。 ○過去世・現世・来世とは永遠の生命の世界を言っているのですね。現世は舞台劇のようなもので衣装が肉体だと思えばいいのですね。現世とは舞台上で舞台劇の主人公や脇役などを演じているということですね、舞台はそれを観ている大勢の観客がいますね。舞台が終われば舞台から降りて楽屋でお茶でも飲もうかとなりますね。これが肉体の死ですね。この喩えを参考にすれば、この世を生きるというこうことは、舞台で役を演じきることであり、同時にそれを見えない世界からみんなが見ているということですね。みんな見てますので悪いことはできませんね。 また、舞台劇を演じるのも幕引きまでですから、幕引きの時が楽しくないわけはないでしょうね。幕引きは死ぬときですから「死ぬ」ことは怖いはずがないですね。 つまりね、永遠の生命の世界の住人を自覚すると、あらゆる苦しみ、恐怖から解放されるということなんです。あなたの日々の苦労や喜び、悲しみも肉体のあなたがあるからなんだと気づくことなんですよ。肉体を脱いだあなたは不死であり、永遠の生命なんですよ。 この回答を信じて一生を生き抜けば必ずや変われますし、必ずや彼岸に到達できます。 これは、わが師である仏陀の教えですから一点の間違いもありませんよ。

satoshi_m1262
質問者

補足

死が即永遠の生命の世界に入ることだなんて、 仏教とは違うような気がしますが… 「永遠の生命の世界」を「涅槃の世界」と言い換えられるならば、 死ねば皆、涅槃の世界に入ることになってしまいます。 しかし、死ぬことが涅槃の世界に入ることを意味するのは、 この世で悟りを開いた人、即ち仏陀だけでしょう? 普通の人は死んだら、それぞれの生前の業に応じて苦の世界である六道を輪廻する というのが仏教の死生観のはずです。 だからこそ聖道門の方は、この世で悟りを開くために一生懸命修行しますし、 浄土門の方は、この世での悟りは諦めて浄土で悟りを開くために 浄土に往生することを目指します。 mmkyさんの言う通りなら、修行も念仏も信心も、何もいらなくなってしまいます。 それとも、仏教徒はみんな必要のない努力をしているとおっしゃるのでしょうか…

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.2

[それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり。] ○この文章は蓮如が宗教家として、自身の悟りの言葉を書いたものです。蓮如が言いたいことは「例え、八万のお経を読んだとしても、あの世を知らぬ者は愚者である。」と言っているのですね。あの世は永遠の生命の世界ですから、それが本当の世界だと見抜いた言葉でもあるんですよ。お釈迦さまはそう言っているんですよ。 仏教哲学者や高層でも、あの世を信じることができなかった者はたくさんいますが、まさに愚者ですね。さて、蓮如は、こういっているのです。「あの世があることを知る智者の言うことを信じなさい。あの世があると信じてこの世を生き抜くことが信者の道と心得なさい。」 蓮如の師匠の親鸞は、そこまでの悟りはなく、ただ「来世に阿弥陀如来の救済があることを信じよう。」としか言っていませんね。信じることが全てということですね。後の蓮如の方が仏教的悟りが入っていますね。 >「死んだらおしまい」くらいにしか思ってない私は、まさに「後世をしらざる愚者」であると思うのですが、私は、浄土真宗では救われないということなのでしょうか? そうですね。そのままだと浄土真宗といわず救われないですね。でも疑問に思ったわけですから、これから変わればいいだけですね。あの世があると信じてこの世を生き抜くことですね。あの世があれば考えかたや生き方も変わりますね。

satoshi_m1262
質問者

補足

>あの世があれば考えかたや生き方も変わりますね。 差し支えなければ、どんなふうに変わるのか教えていただきたいです。

  • kusirosi
  • ベストアンサー率32% (2838/8861)
回答No.1

蓮如上人のお言葉の中にある、「後世を知らざる者は愚者なり」の 後世というのは後の世であります。 これは、死んで地獄に行くか極楽に行くかという後世ではなくて、 後の世の人のために何をしたらいいのかということです。 後の人のために尽くすことを知らない者は愚者である。 自分だけの救いなんてものは本当の救いじゃない。 救われたらそれにお返しをしなければいけない。あるいは、 救われたら多くの人のためにその喜びを伝えなければいけない。 それは大事なことは、次の人のために何を伝えることができるのか 次の人に伝えるためには、よりかみ砕きより本物にして、 より真実のものにして、より根っこの強いものにしていくことが大事ではなかろうか という感じがいたします。「後世を知らざる者は愚者なり」。 これは、事業でも何でも、私はそうだと思います。 自力で、悟りを開き、成仏したものなら、浄土真宗は不要ですが、 自力で成仏できないすべての人を、阿弥陀様は、救ってくれます。 修行悟り免除で成仏させていただくのだから、救われた喜びを みんなに伝えないといけないよということです。 愚者も智者も、必ず救ってくださるのです。救われた後の問題ですよ。

satoshi_m1262
質問者

補足

この場合の後世というのは、後生ともいって、死んでからの後の世、生まれ変わった後の生という意味だと思います。生まれ変わりがあることを知らない人を愚者といい、生まれ変わりがあることを知っている人を智者といっているのではないでしょうか。kusirosiさんは、「アジアむしろの会」のページをご覧になって、お答えになられたのだと思いますが…  このあと、蓮如上人は次のように言われます。 しかれば当流のこころは、あながちにもろもろの聖教をよみ、ものをしりたりといふとも、一念の信心のいわれをしらざる人は、いたづらごとなりとしるべし。  ここの意味は「(生まれ変わりを知っているだけでは不十分で)信心のいわれをしらない人――信心をいただいていない人、と言ってしまっていいと思いますが――は、いろんな知識を身につけていても、むなしいことだ」ということだと思います。  そのあとは、信心をいただいた人は10人も100人も間違いなく、浄土に往生すると続きますが、ここでは信心をいただく前段階として、「後世をしる」ことが説かれているように思えるのです。だとすると、「後世をしらざる」私は、信心をいただくことはできず、当然、救われない…そういう結論にならないでしょうか。  それとも、「後世をしらざるひと」のままでも、信心をいただけるというのなら…話は別ですけど。

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