• 締切済み

出世の基準

hallo-2007の回答

  • hallo-2007
  • ベストアンサー率41% (888/2115)
回答No.5

質問者は、まだお若い方でしょうかね。 出世=実力がある・頭が良い とういう図式ではありません。 出世して、実績を上げたら、あの人はすごい人だったといわれる事例もあります。 一例ですが、 東国原宮崎知事は如何でしょうか。 お笑いタレント出身で、出版社を襲撃するなど犯罪歴もある 一般常識では、おバカな方ですが 知事就任後は、作業服で出勤、宮崎弁で話すなど、過去の知事のイメージとは 全く違ったキャラクターで宮崎県を引っ張り続けました。 しかし、同じ方なのに 維新の会の比例区で一位当選し広報委員長に就任すれども、何も実績を出せず 議員辞職しました。 同じ人間なのに組織と立場が違うだけでこれだけ結果が違います。 大阪市の橋下氏の場合はどうでしょう。こちらは頭が良い人だと思われますが いまだに結果を出すことが出来ていません。 それだけ組織を変えるとか改革を行うことは難しいことなのです。 猪瀬都知事の例を見てみましょう。石原都知事の時代に副都知事を務め 出世街道通りに都知事になりましたが、徳洲会グループの毒牙にはまりました。 副知事時代にも、副都知事室トイレに450万円も使った人ですから元々人格にも問題が あったとは思います。 埼玉の上田県知事が秩父市の豪雪問題で自衛隊派遣依頼を受け入れずに、県主催の クイズ大会に出席している問題もこれから話題になると思います。 上田知事の心境を察するには、何十年に一度の豪雪が自分の知事時代に起きた事を 不幸だと思っているでしょうね。 私が見たある事例ですが、200人ぐらいを束ねるある職場の責任者が代わりました。 最初は副の責任者は同じ宿場の方が引き継ぎましたが、徐々にいなくなり 明らかに能力が劣る人を上級職に置くようになりました。 その責任者から昇格させてもらった幹部達ですので誰も文句は言いません。 その職場はその責任者が牛耳り強い指導力の元、大きな部署に成長します。 しかしその責任者が定年退職時ですが後任が決まりません。 部下が成長していないのです。他部署から人事を行いましたが、 いくつもグレーが見つかり何度も人事異動が繰り返された事があります。 部署をまとめるのに、対等な人物を排除し能力の劣る人材を評価することで 団結心が出来ますが、安直な独裁が後々に遺恨を残します。 逆に部下を成長させることに力を入れて実績を出せなかった上司もいると思います。 近年の企業の事例で上げるとJALで勉強してみてください。 2年程前ですが、JALの再建ということで民間から稲盛氏が就任しました。 彼が行ったことは組織改革と社員の意識改革です。 もちろん考え方が合わない幹部は会社を辞めたと思います。 たぶんにハンコを押すだけの幹部はこの変革にはついていけなかったでしょう。 小手先の経営戦術でJALを立て直すのではなく、民間の考え方をJALに植え付けたのですから 稲盛氏が退職後もJALのは強いものが残るでしょう。 そのような見方をしていますので NHKの現会長や百田氏の発言も言葉遣いは反省点があるものの その内容は悪いとは思いません。 逆に、今までのNHKの上級管理者が借りてきた猫のように言われたまたハンコを 押してきた役員の方が人間性を欠くと思います。 NHKの放送内容ももっと柔軟性をもって多くの人の意見を放送すればよいと思います。 国営放送なのでそれが出来ないのであれば、NHK受信料をなくすなり安くするなり 改革が出来ないのか思います。 過去に国鉄(現JR)や電電公社(現NTT)は改革の荒波の中にはいりました。 未だにNHKには、その意識がないことが不思議です。 質問者の方もこれから長い人生があると思いますが、目先の関係でなく 素晴らしい人徳と考え方を持つ人の下で、厳しくとも自分を成長させてくれる方と おつきあいしてください。 そういう方が必ず出世しているとは限りません。

ekopon
質問者

お礼

丁重なご回答ありがとうございます。 私は還暦過ぎのただのオバちゃんでございまして社会経験があまりございません。 私が書いた「出世」とは、ごく単純に会社での上位の役職ぐらいの意味です。 ボランティアで市民会議のメンバーなのですが、質問に書きましたように さぞ上位まで行かれたらしい方の言動が???なことが多いのです。 過去を自慢したくてこの場に出てきたのかしら・家に居場所がないのかしら…と。 他の自治体でも同様らしく担当の職員はいろいろ苦労されています。 また、NHK会長の発言については内容のことを言っているのではなく、 「立場を弁えない」ことに疑問を持ちます。 受信料支払い拒否が増えたり、苦情への対応に忙殺されて本来の仕事ができず、職員は「もう辞めてほしい!」と言っているそうです。NHKに勤める知り合いから聞きました。 (個人的は、NHK-BSの自然番組が大好きなのでむしろ受信料は安いくらいだと思っています) 昔は前田会長という方が時々会見をされていましたが、外見も物腰も話し方も内容も品格があって 子供心に「こういう人を紳士というんだな」と思ったものです。 実力と品格のある方が社会で重んじられて欲しいものだなあ~という思いから、 実際はどうなのか?と、質問させていただいた次第です。

関連するQ&A

  • 出世した方にお聞きしたいのですが、もし人生やりなおして

    出世した方にお聞きしたいのですが、もし人生やりなおして また別の似たような会社に移っても同じく出世できる自信はおありなほど 人間力を身につけたと自負してますか?? それとも今の地位を築けたのは綱渡りであって もう一回人生やり直して環境変わればわからないなあ、って感じですか? また今の経験値をもって入社当時に戻れるとしたら やはり振る舞いは変わっていて身のこなし方も 手際がよいものになると思えますか? つまり仕事力という普遍的な力が身に着けていると自負してますか? 具体的にどんな力なんでしょうね? 私見ですが、大概はたまたま上司に気に入られただけで 特段人間として優れてるわけではないというお偉方ばかりではないか 運がよかっただけではないかと、他の会社だったらどうなるかわからないよなあ って方が大半ではないかと思うのですが どうなんでしょうか? 田中角栄のような、人間力が際立ってるのは滅多にいるわけでもないし あとはもう五十歩百歩の人が塊としてあって その塊から抜きん出て出世したり、自分の力を存分に活躍できるフィールドに立てて 普通に成果を残せるチャンスに恵まれるのは運だけのような・・・? 上司にきにいられるのも実力のうちだなんてのはナシでおねがいします。 たまたまウマがあう上司がいたのでは?というのが大半のような気がしますので それともどんな人間が上司でもお気に入りになれるほど 人間折衝力に自信がおありですか?

  • 「実力がある政治家」とはどのような能力がある人のこと?

    ニュースや新聞で政治についてかかれるとき、 「このひとは実力がある」 「このひとは実力がない」という話を よく聞きますが、 実力がある政治家とはどのような人のことを いうのでしょう? 私が思いつく限りでは、 ・皆の意見をまとめる能力がある人 ・自分の意見を、説得力をもたせて伝える能力 (プレゼンテーション能力)がある人 ・社長や教授、政治家など、社会的地位が高い 人とのつながりが広い人 ・政治家としての経験が豊富な人 くらいですが、ほかにもあるのでしょうか? 「この人がいい例だ」という具体例ではなく、 「この能力があれば実力がある政治家だ」に ついてお教えください。

  • 出世コースから外れても、働き続けるべきか

    27歳の女性のエンジニアです。未経験ok、の大手の会社に運よく採用されました。 でも、自分は学生時代は勉強ばっかりしていて、恋人は居るけど友達は居ないタイプの人間です。家族の方針で、他の大人とも全然接することなく育ち(母親が人間嫌いなため)、いざ会社に入ってみると、自分がとんでもなく場違いな感じがしました。 若手の飲み会では雑談にもついていけず、愛想笑いに疲れて、いつもしんどくなってこっそり帰ります。他の同期は楽しそうにやっていて、先輩とも仲良くなっていくのに。 新人の頃、みんなに教育担当がつくのですが、私には20歳年上の出世から外れた男性があてがわれ、わずか3か月で「おれがこんなに面倒見てやっているのに、何でお前はそんなに常識が無いしできないんだ」という態度をされ、愛想をつかされ、週に1度は100行近くあるお説教メールが届き、会議でも私ばかり叩かれました。その上司との人間関係が苦痛で会社に行くだけで精一杯、仕事も全然できず、いつの間にか単純作業ばかりやる人になっていました。 コンピュータのことは初心者で、どんどん「情報学部」出身の後輩が入ってきて自信をなくします。 私の発言の内容も全然論理的でなく、母親の影響でぐちばかりいう癖があったので後輩からもばかにされがちになり、何回やっても、メモの取り方が下手なのか、そもそも頭が悪くて工夫ができてないのか、大人になる中で自然に培われていく「要領のよさ」がないのか、とにかく仕事ができません。 自分がおかしい、性格的にもおかしいことに去年やっと気づき、補助としてカウンセリングに行きながら会社に行っています。愚痴を言ったりも完全にやめ、ちゃんと朝起きて、20分前に会社について、といった基本的なことはやっとできるようになりました。 カウンセリングでは「あなたの性格に問題があるため、時間をかけて直していかないといけないですね」と言われています。 でも、もう遅いです。同期との差は、とんでもなく広がっていました。自分の考課の結果もひどくて、出世は絶望的です。家で資格の勉強など、やっているのですが、まったく頭に入らず毎日放心状態で、流れるように時間が過ぎています。 今、9歳年上の彼氏と付き合っています。来年結婚しますが、 主婦であった自分の母親の人生や性格などを思い出すにつれて、自分がもし主婦になってしまったら、同じような崩れた家庭を作ってしまいそうで怖いので、働き続けたいとは思っています。 でも、こういった、論理的な考え方を使うような仕事はどうも無理そうです。 学歴だけでは出世はできません。私がずっと教えられてきた、「学力がすべて」というのは嘘でした。 自分は早慶を出ていますが、専門卒の後輩に追い抜かされています。 根性もなく、体力もありません。 今の仕事でいいところは、社員の質が一定以上(公務員のように、くどいお客さんを相手にすることも、接客のようにいろんな人に話しかけないといけないことはありません)、大半は常識のある人が相手です。あと、残業込みですが月に30万円近くいただけているので、一人暮らしができています。 このまま、「簡単な仕事しかできない人」としてあきらめて働き、家庭を持ち、そこそこの収入を毎月もらってくるのが一番らくなのでしょう。家庭を持っている男の人でも、人柄はいいけど仕事はできなくて、寂しそうに働いている方もたくさん見てきました。 でも、あきらめてぼんやり働くのは精神的に苦痛です。 仕事、どうしたらいいでしょう・・・。自分が優秀ではなく、本当は社会的なことが苦手な凡人だと言うことに気づくのが遅かった。人と比べられないといけない仕事(民間企業)に向いていないことに気づくのが遅かった。仕事で楽な仕事が無いのはわかっていますが、今のまま生きていることがとてもしんどいのです。 自分の身の振り方に悩んでいます。アドバイスいただけると嬉しいです。

  • 研究者という生き方について

    大学の教員を見ているとなんか研究者という職業は孤独だなと思います。  理系を例にとると、30歳ぐらいまで大学院で勉強し苦労して博士号をとります。助教になるには実力と運がいります。PDでポストの空きを待ちながら毎日のように12時間ぐらい研究し運よく助教になれてもそこから講師→准教授→教授になるために、会社員のように決まった時間に帰れるのではなく夜遅くまで研究、そして研究。教授になれる人はごくわずかで、もしなれたとしても会議が多くなり雑用も多くなります。社会的評価は大していいものではなく、給料も大企業の役員のほうがいいでしょう。研究は自分との戦い、また専攻によってはライバルは歴史上の偉人ということもあるでしょう。  これが学生である僕から見た研究者の印象です。飲み会では教授からいろんな苦労話を聞かされます。研究の魅力は何でしょうか?現役の方や将来研究者になりたい方はこんな若造になにか教えていただけませんでしょうか?

  • 同級生の立身出世から目を背けたいと思っている僕に、慰め・励ましの言葉を

    同級生の立身出世から目を背けたいと思っている僕に、慰め・励ましの言葉をください。 先日、図書館で週刊誌をめくっていると、グラビアページである人物が紹介されていました。 その人物の氏名と顔にわずかに見覚えがあったのでよく思い出してみると、彼は中学一年生の時の同級生でした。 といってもおなじクラスであった、という以上の想い出はありません。中学校卒業後、私は公立の進学校、彼は(当時の偏差値では)最もランクの低い、中退者の多い私立高校へと進学しました。彼と学力を競っていた覚えはありませんが、卒業当時に彼を含めて同級生の進学先を眺めて、多少の優越感を感じたことは否定しません。  その彼が週刊誌で紹介されていました。フランスのかの高名なグルメ本で高い評価を得たそうです。多くの人から評価され、マスコミにも登場し、東京にも進出し、有名人の顧客も多く、弟子、従業員も何人も使っているようです。まさに「一国一城の主」としてゆるぎない社会的地位と信頼を得ているようです。  一方、私は名もない一市民として、地元でひっそりと生きております。 週刊誌を借りて帰って、家族や知人に 「この人、私の中学校時代の同級生なんだよ」 と紹介しようかと思いましたが 「へえー、この人は立派だね。同窓生の中でも出世頭だね。で、あなたはどうなの? この人以上に立身出世できるの?」 といわれたら返す言葉もないと思い、借りるのはやめました。もし、私が紹介しなくても誰かがこの雑誌を持ってきて 「この人、あなたの中学の同級生なんだってね。立派な人だね。中学生時代はどんな人だったの? 一度紹介してよ」 といわれたらどうしようかと思うと、「この記事をどうか見ないで欲しい、知らないで欲しい」とすら思います。 ある分野の頂点を極めた人のかつての同級生・同僚というのは私と同じような気持ちになるものでしょうか? たとえばイチロー、松井の田舎の同級生と言うのは、イチロー、松井の活躍をどのような気持ちで見ているのでしょうか? 誇りと思うのでしょうか? 嫉妬でしょうか? イジケでしょうか? それとも無関心を装うのでしょうか? 同級生の立身出世から目を背けたいと思っている僕に、慰め・励ましの言葉をください。 それとも僕は嫉妬の塊で変人でしょうか?

  • 正規労働者は非正規労働者の低賃金をどう考えますか?

    正社員です。 平均からすると年収は低いと思います。 でも社会保険やボーナス、有給があるなどを考えるとマシなのかなとは思います。 私が勤務する会社の現場では正社員と非正規動労者の仕事内容はぼぼ同じです。 「責任と仕事」もほぼ同じように思います。 実際は正社員が指示を出していますが差はあまり無いと思います。 「同一労働同一賃金」にならないと駄目なのかなとは思いますよ。 でも同一労働同一賃金になったら非正規動労者の方と同じ給料にしたいと会社は思いますよね。 私の能力は何となく分かります。 給料が実力主義などになったら間違いなく下がります。 なので何となく今の体制で落ち着いて欲しいと思っています。 親戚の紹介で今の会社の正社員になりました。 実力ではなく「運」です。 非正規労働者には能力があるのに時代背景などの不運によって非正規になってしまった人が大勢いると思います。 今後は正社員などの区別を無くし実力主義、能力主義で給料を決める社会が平等なのでしょうか? 年収1億と年収100万円の実力社会が到来した方が誰もが納得する社会なのかなと思います。 正社員の方は勉強や就職試験を頑張ったから今があると思いますか? 非正規労働者の為に給料が下げて非正規労働者の待遇改善をしてもらいたいと思いますか?

  • 日本はもっと学歴社会になったほうが良いのではないでしょうか?

    皆さんのご意見を聞きたいので、こちらで質問させてください。 日本では、実力社会と称して学歴があまり重要視されない社会になってきています。 しかし、世界的に見れは他国(特に欧米)は徹底的な学歴社会です。 日本では学歴が重視されないため、弊害が出てきています(最近になって始まった事ではありませんが)。 ・国際学会に行っても博士号を持っていないので議論もさせてもらえない(日本からの参加者は学士・修士が多いため) ・国際会議の場で、日本の官僚は低学歴(学士)の人が多いため相手にされず、発言権が得られない そのため、日本の国益にならない事が、このような場で数多く決定されてしまいます。 結果として、日本の国際的な地位は、相対的に低下してきています。 日本は大学院の入試制度を整えて(例えば、アメリカのGREのような制度)、もっと学歴社会にならなければ国際的に通用しなくなってしまうと思うのですが、皆さんはどのように考えますか?

  • 親の育て方がまずくて自分の人格がゆがんだと思う。(長文です

    20代半ばの女です。 自分は自己愛性人格障害ではないかと思っています。 そして、その原因が自分の親の育て方のまずさだったのではないかと思っています。 でもこの嫌な性格、ひん曲がった性格を直したいです。 自分は昔から「自慢」する癖があります。 それはすごくみっともなく品がないことであるし、他人からも嫌われるのでやめたいと思ってはいますがやめられません。 自分は異常に多弁で、自分のことばかり、しかも「私はすごい」というようにしゃべってしまいます。 異常に負けず嫌いで、何事にも「本気」になってしまうし、とにかく負けることが大嫌いで すべてに於いてではないですが、自分の「コレ」と思うことには1番じゃないと気がすまない性質です。だから、時には異常なほど努力もします。 だから、他人にバカにされるのが大嫌いです。 あと、他人にも自分にも厳しいと思うので、自分で自己否定をすることは常ですが、同じくらい他人を否定的に思ったり批判したり、時には悪口を言ってしまったりもします。 多分私のこの性格だと、周りから傲慢なヤツ、実力もないくせに嫌味な奴、ウザイ奴、浅薄な奴etcと思われ、誰からも好かれることがないと思います。 というのも、よく他人に批判されがちで、例えば私が何か言うと「ちがうって」とか「それはないだろ」とか友達は私を否定することが多いと思います。 こんな性格が嫌で嫌でたまらず、どうして自分はこんな性格になってしまったのかずいぶん悩んできました。 そんな時ふとネットで「自己愛性人格障害」というものがあることを知りその多くが自分に当てはまると思いました。 (自分は万能だとか美しいは 思いませんが) その原因というところに「親に認められなかった」という項目がありとても気になりました。 私は1人っ子なのですが、世間の一人っ子とは全く違ったと思います。 昔から親から「1大人」であることを強要されてきて、常に否定されて育ってきました。 そして、つい最近までそれが極当然であると思っていました。 「お前は間違っている」「お前はおかしい」「お前は異常だ」「お前は性格が悪い」「お前はみんなに嫌われている」「お前は○○(みんなに嫌われていると親がいつも言っている人)みたいになる、そっくりだ」「お前は何をやっても失敗する」「お前は、親の言うことを聞かないと何もできない」「お前は頭が悪い」「お前は調子に乗りすぎだ」「お前は誰からも相手にされない」「お前は運が悪い」「親はいつも正しくお前はいつも間違っている」 もう、書ききれないほどの否定の言葉を物心ついた頃から浴びて育ってきました。 学校や近所でどんなに理不尽な目にあっても(大人になった今冷静に考えても明らかに相手に非があるようなこと) 「それはお前の性格が悪いからだ、お前がちゃんとしなかったからだ」 物事の原因はすべて「お前が悪いから」でした。 いじめられて親に泣きついて「そうかそうか、かわいそうに」といわれている子や、当時の私から見て、大した事ではないこと (例えば、私は満点とってもけなされるため、80点取って喜んでいる子など)で、親からほめられている子を見て 心の中で、うらやましかったり、不思議だったり、一方でなんしか「くだらない、レベルが低い」等の ゆがんだ感情も芽生えてきたと思います。  小さい頃から「なんて自分は悪い奴なんだろう」と思って生きてきましたし、「どうせ自分は嫌われ者なんだ」「自分は何もできない人間なんだ」「自分は何をやっても幸せにはなれない」と心底思っていますが その反面「誰かに自分のことを認めてほしい」という欲求が、鬱陶しいくらいに存在しているのも事実です。 だからきっとくだらない自慢話を延々してしまうのかなぁとも思います。  20までの私はがんばりました。公立校から、国内では5本の指には入る難関大学にも進学しました。 私は頭が良くないので、人の何倍も努力したと思います。親もそれを知っているとは思うのですが、 「たまたま運がよかっただけ」「運で入ったから卒業できない」「誰だって入れる」 などといい、少しもほめてもらえませんでした。(ちなみに親は高卒) 結局、1度も褒めてもらったことはないと思います。 どんなに頑張ってもけなされましたし、自分の人格を認めてもらったこともありませんでした。 しかし、世間は学歴を言うだけで、手のひらを返すように褒めてくれるし、扱いもよくしてくれるので 正直私は学歴が大好きですが、その一方でそんな自分が大嫌いでたまりません。 長くなりましたが、こうやって長年かけてゆがんできた心の貧しい自分ですが、今更まともになることはできるでしょうか? 普通の人のように、敵意をむき出しにしたり嫉妬したり自慢したりすることなく生きて生きたいのですが、よい方法はないでしょうか?

  •  《自然に帰れ》!?

     《自然に帰れ》!?  とルウソは言ったとか言わなかったとか。自然に帰るあるいは人間的自然を取り戻す これは 必要で大事なことでしょうか?  《人間》の社会におけるすがたを次のように捉えて その《自然》の問題を考えます。  1. われわれ人間は 社会を成して共生するらしいが そもそもどういう存在であって どういう存在の関係をむすび かつその関係の錯綜して過程する総合としてどのようなあり方になっているのか?   2. 社会人を スサノヲ市民およびアマテラス公民に分けます。しかも この市民( S )と公民( A )のそれぞれ要素は ひとりの人間に――当然でしょう―― そなわると捉えます。  3. このような概念装置を持って マルクスを読みます。  ▲ ( K.マルクス:ユダヤ人問題によせて) ~~~~~~~~~~   結局のところ   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* つまり生活者市民スサノヲ)が 本来の人間とみなされ   ( A ) 公民 citoyen (* 人格の全体でもっぱら公共の仕事に就くアマテラス公民)    とは区別された  ( S ) 人間 homme とみなされる。  なぜなら   ( A ) 政治的人間(* アマテラスのそういう側面)がただ抽象された人為的につくられた人間にすぎず 比喩的な精神的人格としての人間であるのに対し   ( S ) 市民社会の成員としての人間(* スサノヲ)は 感性的な 個体的な もっとも身近なあり方における人間だからである。  【 S‐A 連関】 《現実の人間》は  ( S )  利己的な個人の姿(* もしくは 感性を自由気ままに発揮しあやまちうるスサノヲ人間語)においてはじめて認められ   【 A‐S 連関】 《真の人間》は  ( A )  抽象的な公民の姿(* もしくは アマテラス人格語ないし学術概念語)においてはじめて認められるのである。                   (城塚登訳)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここで S:スサノヲと A:アマテラスとの連関のあり方は 次のふたつの形態があり得ます。   《 S‐A 》連関のかたち=《現実の人間》:      あやまちうるスサノヲ人間語を基礎としてその土壌の中から――     あたかもその泥の中から―― アマテラス規範語を磨き上げ そこ     に花咲かせる人間のすがた。   《 A‐S 》連関のかたち=《真の人間》:      簡単に言えば 理性ないしコギトがすべての意志行為を引っ張る     かたちのアマテラス人格語かつアマテラス学問語にもとづく人間の     すがた。この人間は 《あやまたない》と言われるようになる。      つまり無謬性・不可侵の神話を帯びる。  ☆ たぶん《 〈 S‐A 〉連関のかたち》=《現実の人間》の描像のほうが のぞましいと思うのですが それには 《スサノヲ的自然》を取り戻す必要があると考えられます。どうすればよいでしょう? あるいはすでに回復していましょうか?

  • 他人と感覚が違うって、比較できますか?

    社会で生きていくには適応するって大切ですよね。今更ながら「適応」っていうことの意味を思い知らされました。自分の感覚が他人とズレてることを自覚することのようです。これって、自覚できたらタイシタものだと、最近ようやく悟ったわけで、そのおかげで「もう死んでもいい」とさえ思えるのでした。残念ながら、死ぬことを怖がるっていうとこだけは、感覚っていうより本能というものに支配されちゃうらしくて「それではサヨーナラ」と簡単には死ねないものらしくて、こんな文章書いてます。と、前置きが長くなりました。例えて言えば人が見ている色がみんな同じだとは限らないようなささいなことなんかに気付くことです。十分に重大な事実のようだと思われるかもしれませんが、至ってお気楽なんですよ、実は。一人の人間、生まれてからずっと、自分の目に見える色が正しいと思って疑わない。「色の区別がつかない」んなら障害として認識できるんですが、単純に感じるものの違いなんか、脳を入れ替えて見ないと比べられないって、ちょっとしたパラドックスなんですが、わかりますか? このことをぶんしょうでどう記述したら万人に「何となく解る気がする」と感じてもらえるのかな? っと、これも「感じる」ものなわけだから、人間って結局、共通認識なんてありえいのですね。少なくとも近似値はあるから社会が成り立つわけなんでしょうけど…。ひょっとしたら、金運とか出世運なんか、以外とこんな「ささいな」感覚のギャップが作用して存在してるんじゃないの?なんて思います。哲学専攻か精神医学専攻で、この事に関係した内容をご存知の方、どうか教えてください。