• 締切済み

  霊なる言葉、その辺りにいろいろころがってます。 幽霊、聖霊、霊術、除霊、霊治療、霊相談、霊視、霊的、霊媒師・・・・などなど。 しかしどれもカルト、うさんくさい、ペテン、詐欺、奇跡、大嘘つき、イエス・キリスト、だいたいこんな感じでないかな。  

みんなの回答

noname#206394
noname#206394
回答No.11

何を質問したいのでしょうか?

noname#202739
noname#202739
回答No.10

霊がほんとうにいるかは知りません。 実際に見たことないですから。 ただ、お金を取る行為が発生したならば、それはビジネスです。 霊がホンモノかどうかは知りませんが、ニセモノの人間はいっぱいいますね。

hitonomichi31
質問者

お礼

  >ただ、お金を取る行為が発生したならば、それはビジネスです。 取りあえず、霊=ビジネスと捉えておけばそれで十分でしょ。  

回答No.9

 ★ (No.8お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~  あのなあ、それを続けるとこーなる。  《《何も分からないってこと》だとも分からないってこと》も分からないってことだ・・・。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ それでよい。  つまり《分かるかも知れないのだがね》と その文はつづいている。はずだ。  つまり 《〈分かるかも知れないのだがね〉ってことも分からないってことだ》という意味になる。  すなわち 《つねに 分かるかも知れないし 分からないかも知れないという可能性が いづれも残されている》という意味に取るのが ただしい。  結論:  ★ (No.2お礼欄) 分かるか分からないかが分からないとは簡単にゆーと何も分からないってことだ。  ☆ という断定にはならない。その解釈の可能性は 皆無である。

回答No.8

 ★ (No.お礼欄) 分かるか分からないかが分からないとは簡単にゆーと何も分からないってことだ。  ☆ いいかい。《何も分からないってこと》だとも分からないってことだ。  《非知》だと言っているではないか。  ★ イエス・キリストって男はただの大嘘つきでしたってことで既に答えは出たんではなかったのかい。  ☆ 自分が好きなところ・あるいは自分にとって都合のいいところばかりを受け留めていて 今度はそこだけを出してくる。というに過ぎません。  この質問としては おそらくここから先には話はすすまないであろう。

hitonomichi31
質問者

お礼

  >☆ いいかい。《何も分からないってこと》だとも分からないってことだ。 あのなあ、それを続けるとこーなる。 《《何も分からないってこと》だとも分からないってこと》も分からないってことだ・・・。 いい加減にせー、このあほんだら。  

回答No.7

君の願望はアルケーちゃんに抱いた痴情に集約される。 君はアルケーちゃんにいつまでちょっかい出すつもりだい。 ところで私には観念世界とは欲望のはけ口ではなく君の指摘は不正解だ。

回答No.6

よう。 アルケー兄弟。 元気にしてっか。 君の質問のすぐ下で、霊視とは心の映像であると説明しきったぞ。 あの世と言うのもこの映像に言語的解釈を誤ってつけたものだ。 それは解釈が間違っている。

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.5

人の道さん、「信教の自由」なんです

回答No.4

物体が幻想である時、 あなたが霊だ。

回答No.3

 そうそう、アルケーとかもね。

hitonomichi31
質問者

お礼

  霊って言葉聞くと酷く低レベルな感じがするんだよね。    

回答No.2

 こんにちは。  ★ 霊  ☆ とは ほかでもなく神のことです。  神とは 《それが何であるかが 分かるか分からないかが分からないナゾ》のことです。  これを 《非知》とも言います。  ○ 《非知》とは ~~~~~~~~~~~    経験事象      可知        既知        未知      不可知(知り得ないと知った)    非経験の場      非知(知り得るか知り得ないかが知り得ない)     ○ (非知なる非経験の場(神)⇒わが心なる非思考の庭)~~~   非経験の場 (非知・絶対・無限・つまり 神)  _______________________   非思考の庭(クレド=しんじる。心の明け。ヒラメキ):信仰  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~   思考の緑野(コギト=かんがえる。⇒田園および都市):宗教   感性の原野(センスス・コムニス。直感かつ直観)  ________________________  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《非知 ないし 非経験の場 つまり神・霊》は 人間にとっては 自然本性の内の《身(感性)と心(精神。思考力)》とを超えた《非思考の庭》にて受容すると捉えられることになります。  非知ゆえ 思考を超えているということです。  ★ 幽霊  ☆ とは すでに死んだ人が あたかもまだこの世に残した問題や し残したコトがある場合にそれにこだわっているという状態を 遺された人びとが慮って あっ 出たのではないかなどと話し合うときのその故人のことです。  ★ 聖霊  ☆ これは 特にはキリスト信仰における三位一体の神の三つ目の位格のことを指して言うのが ふつうです。    ★ 霊術 / 除霊 / 霊治療 / 霊相談 / 霊視 / 霊媒師  ☆ これらは 《霊》がその正体の分からないナゾであることをいいことにして おれはその霊を見たとか あやつれるのだぞとか言って おふざけをするときのいくつかのコトガラです。  まったくどうでもよいことです。  ★ しかしどれもカルト、うさんくさい、ペテン、詐欺、大嘘つき  ☆ といちいちわざわざ形容したり規定したりするまでもなく どうでもよいことです。言いかえると そのようなワザに従事している人たちは 人間放棄をした状態にあると見てマチガイではないと考えます。  ★ 霊的  ☆ これは 《霊の つまり ナゾの》という意味のコトバです。  ★ 奇蹟  ☆ これは 《霊》が どうしてもこの経験世界に何らかの現象としてあらわれたと――なぜなら ナゾだからですが――言いたい人が ときには 言ったりする事柄を表わすコトバです。 それが どうであるこうであるという問題にはならない。つまり 《その霊なる現象が・つまり奇蹟が 起きた》ことについて そのとおりだとか いや そうではないだとかと いちいち判定することの要らないことだという意味です。  ★ イエス・キリスト  ☆ これについては 別建てのひとつの質問が要ると思われます。通りすがりに何かを言って 済ませることは出来ません。

hitonomichi31
質問者

お礼

  >神とは 《それが何であるかが 分かるか分からないかが分からないナゾ》のことです。 分かるか分からないかが分からないとは簡単にゆーと何も分からないってことだ。 で、何も分からないのに何故「霊とはほかでもなく神のことです。」なんてことが分かるんだい。 何も分からないはずなのに、いつから分かるよーになったんだい。 何も分からないのであれば、何も語れないはずではないのかい。 >★ イエス・キリスト  ☆ これについては 別建てのひとつの質問が要ると思われます。通りすがりに何かを言って 済ませることは出来ません。 イエス・キリストって男はただの大嘘つきでしたってことで既に答えは出たんではなかったのかい。  

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