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戦争裁判はいつから?

lequeosの回答

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  • lequeos
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回答No.5

ご質問内容に即してお答えするつもりですが、その前提として、おっしゃる「裁判」は、国際法廷による裁判である、という理解のもとに話を進めます(戦争法規に反するものを裁く裁判は、近世以降数限りなく行われていますが、これは戦争処理のための裁判ではありませんので)。 >>一体いつから今のような裁判という形式をとるようになったのでしょうか?<<  念のため、現在において、戦争後は必ず国際裁判を行うと決まっている訳ではありません。戦争処理のために国際裁判が行われた例は、第二次大戦のもの以降では、旧ユーゴとルワンダが行われているだけです。カンボジアではいまだ国際法廷は設立されておらず、東チモールは国内裁判で処理されており、ICC(国際刑事裁判所)においても、国家による犯罪としての「侵略の罪」については、ICC規程が改定されるまでは、裁判所の管轄外とされています。またイラクでも遠くない将来開かれるであろうフセイン元大統領の裁判については、米国はイラク国内での自国民に対する残虐行為を理由とした、国内裁判として取り扱う方針のようですし、アフガニスタンで捕らえた、米国のいうところのenemy combatantも、米軍事法廷による裁判が行われることになっています。 >>また、どのような理由からそうなったんでしょうか?<<  上述の通り、国際裁判が行われた例は、国際紛争の数に対して著しく少ないのですが、それでも行われるようになっている理由は、戦争自体が違法であるとの認識が国際社会に共有されてきたこと(現実に、不戦条約および国連憲章により、自衛戦争以外の戦争は違法とされている)、現代戦争では「無条件降伏」という、中世以前では考えられなかった完全降伏状態が戦争終結を意味することがしばしばあり、その結果、降伏した相手国と合意により終戦する根拠が失われたこと(相手は「無条件」に降伏しているので、戦勝国は何でも要求できる状態であるが、それはいくら何でも正義に反するという発想です)、国際法の発達により、より公正に見える手続きで戦後処理をという考えが、特に欧州を中心に広がっていることなどがあげられると思います。 >>それと、敗戦国を裁く法律って、一体誰が作ったのか、具体的に量刑が定められているのか、また、出版物などで明文化されていて、たとえば私たちが研究の対象にできるものなんでしょうか、たとえば刑法や刑事訴訟法のように?<<  国際社会、つまり多くの国が集まって作りました。ILC(国連の国際法委員会)が起草し、各国がそれに署名してできたものもあれば、各国が集まって会議を開き締結したものもあります。いずれも明文で、国連に登録されており、日本が加入しているものについては、外務省による日本語訳も公表されています(市販の条約州にも載っています)。ただし、量刑までは普通決められていません。それは、慣例として、各国の国内法で定められているものに従うことになっていたからです。しかし例外もあります(たとえば、旧ユーゴでは死刑もあるが、国際法廷の規程によると、法廷は死刑宣告はできず、終身刑が最高刑となっている)。  こうした法律分野は、いずれにせよこの50年ほどで急速に発展してきた分野で、「国際刑事法」と称されるものです。 >>被告という意味では、勝者も被告だと思いますし ・・・。<<  おっしゃるとおりで、現在行われている国際法廷では、どの当事者であっても関係なく、訴追、裁判が行われています。ま、あえていえば、たとえば旧ユーゴでは「NATO軍による戦争犯罪」は裁かれることはないので、その意味では完全に中立公正とはいえないかもしれませんが……。  余談ながら、ラテン語で「法」を意味する言葉は、ジュスではなくユスと読みます。

nihao
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございました。 少し難しい面があるかもしれませんが、一度専門書などを読んで勉強したいと思います。 ありがとうございました。

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