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戦争裁判はいつから?

GratefulDeadの回答

回答No.3

1648年のウェストファリア講和以降、西欧には近代主権国家が誕生することとなり、これに伴い、国家間の並存関係を規定する「国際法」が誕生してゆくこととなります。しかしながら、主権者(君主)の行なう戦争の正・不正を判定する上位機関が存在しなかった為、全ての戦争は合法とする「無差別戦争観」が主流でした。 この頃の戦争裁判の例としてはナポレオンをコルシカへ島流しとしたウィーン会議及びパリ条約が挙げられます。この裁判の特徴としては、当時、戦争自体が違法視されていなかったことと、戦場での不法行為を規定する国際法が無かったことから、それらに対する責任は一切問われずに戦勝国による報復的意味合いが色濃かったといえます。 こうした「無差別戦争観」もフランス革命、アメリカ独立戦争など民主化が進むにつれしだいに変わってゆきます。革命後のフランスでは「戦争に関するデクレ(宣言)」「捕虜取り扱いに関するデクレ」を規定し侵略戦争や捕虜虐待を禁止し、独立後のアメリカでは「リーバー法」で捕虜やパルチザンの取り扱いに関する規定を制定しています。これらは国内法ではありましたが、これにより略奪行為や捕虜虐待を行なった敵国兵士は自国裁判で裁かれるようになります。この戦争行為を違法視する考えは民主化と同時に各国へ広がり、やがて国際法として規定されてゆきました。 以下戦争に関する国際法制定の流れを追うと、 1864年「ジュネーブ条約」傷病兵の保護 1868年「サンクトペテルブルグ宣言」近代兵器の禁止 1899年「ハーグ陸戦規定」戦争法全般に関する規定 などが挙げられます。 1919年第一次大戦終結とともに、敗戦国の戦争責任を審理する「15人委員会」が戦勝連合国により設置されます。ここでは「戦争を企てた者の責任」を追及するため前ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(カイゼル)の訴追をめざしましたが、国際法廷の設置・手続きに関する取り決めが不完全だったことと、それを理由に中立国であったオランダ政府がカイゼルの引渡しを拒否しこととが原因で結局失敗に終わります。失敗には終わりましたが、戦争自体を違法視する考えが国際間で確認されることとなり、こうした国際認識の元で1928年「パリ不戦条約」により戦争行為自体が違法であることが明文化されました。これにより「無差別戦争観」が完全に終結したといえることが出来ます。こうした新たな戦争観の元にニュルンベルグ裁判や東京裁判が行なわれました。 下関条約やポーツマス条約などの交戦国同士の条約交渉も前述の戦争に関する国際法・国際慣例に元ずいておこなわれました。ハーグ陸戦規定では戦勝国であっても戦争犯罪を犯した場合は賠償責任が発生する、とされていましたが、戦争後の平和条約締結時には敗戦国側が賠償請求権を放棄することを宣言させられるのが通例でした。したがって、こうした二国間の平和条約にはあたかも戦争の正・不正の概念は存在しない「無差別戦争観」があるように思われがちですが、国際的には戦争行為が不法であるという認識が存在しそれを運用する上位機関が存在に無かっただけに過ぎず、当時でも戦争が違法であったことには変わりありません。 前述の国際法ではほとんど罰則規定が定められていませんでした。しかしいうまでも無く、違反しても罪に問われないことを意味するものではありません。実際の戦争裁判では、裁く側の国内法(刑法・民法など)に準じて量刑定めるのが通例です。これは、国際法が整備される以前に略奪・虐待など違法行為を行なった敵兵士を自国法により自国裁判所で裁いていた慣例に倣ったものです。 研究分野としては「国際法」の範疇になると思います。 だらだらと書いてしまってごめんなさい。。。

nihao
質問者

お礼

詳細なご回答、感謝致します。  戦争が違法という概念には結構、歴史があったんですねえ。 時間を作って一度、国際法の勉強をしてみたいと思います。 難しいかな ・・・

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