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戦争裁判はいつから?
興味ある対象として、今、取り組んでいるんですが、歴史のカテで質問したところ回答が得られなかったので、このカテでお願いしたいと思います。 近代における戦争後の処理としては、下関条約やポーツマス条約などに代表されるように、対戦国どうしの代表が直接会議を開き、賠償金の支払や、領土の割譲を敗戦国に課する条約を締結する事によって最終決着としていたと思うのですが、一体いつから今のような裁判という形式をとるようになったのでしょうか? また、どのような理由からそうなったんでしょうか? それと、敗戦国を裁く法律って、一体誰が作ったのか、具体的に量刑が定められているのか、また、出版物などで明文化されていて、たとえば私たちが研究の対象にできるものなんでしょうか、たとえば刑法や刑事訴訟法のように? 戦争とは、所詮は国益という欲がぶつかり合ったものであり、勝者も敗者もない、というのが持論だったので、「裁判」 を開いて敗者を裁く、という考えに違和感を感じたものですから。 被告という意味では、勝者も被告だと思いますし ・・・。 中立公正を理想とする法廷の中で、勝者と敗者とどこが違うんでしょうか? ただ、東京裁判の是非にまで議論が広がると、収拾がつかなくなる恐れがあると思いますので、宜しくお願いします。
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丁寧なご回答ありがとうございました。 少し難しい面があるかもしれませんが、一度専門書などを読んで勉強したいと思います。 ありがとうございました。