明治時代の遼東半島

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明治時代の遼東半島

1.日清戦争後の下関条約で、清は日本に遼東半島を譲り、
2.ロシア・フランス・ドイツからの三国干渉により、日本は清に遼東半島を返還し、
3.日露戦争後のポーツマス条約で、遼東半島の南部の租借権をロシアは日本に譲渡し、日本と北京条約を結んだ清も承認した、
と理解しています。
ロシアは、2.の後、遼東半島の租借権を有していたのでしょう?
そうでなければ、租借権を日本に譲渡することはないでしょうし、
そうであっても、日本がロシアに対し、清に返すよう迫り、その後、日本と清でその扱いを決めればいいような気がするのですが。

 ご存じの方、よろしくお願いします。

投稿日時 - 2010-01-12 23:30:24

QNo.5588921

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回答(1件中 1~1件目)

ANo.1

日清戦争後の1898年にロシアが旅順・大連とその周辺の租借を行っています。
この両都市は、遼東半島の先端(南端)部に位置しています。

この租借権を3で日本に譲渡しました。

投稿日時 - 2010-01-13 07:41:27

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