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直感への手紙

直感は無言である。 それは私という小さな意志に与えられた、限りない働きの一部である。 私が生まれた時から死ぬまで、何も言わずに働きつづける。 私は直感そのものの言葉を聞いたことがない。 智の母である般若菩薩の言葉はいかがなものなのか。 直感への手紙は、遠い昔、以下のように書かれ唱えられたという。 ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ ハラソウギャテイ ・ ・ ・ ・ ・ 直感への新しい手紙を誰か書いてはくれまいか。

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回答No.4

 明治から大正にかけて活動されたお坊さん、山崎弁栄上人の《手紙》、ギャテイ ギャテイ ハラギャテイ・・・・・に相当する、あるいは現代版(新しい手紙)と思われる『言葉』はどうでしょうか。  『法身(ほっしん)報身(ほうしん)応身(おうじん)の聖(きよ)き名(みな)に帰命し奉る 三身即一に在(まし)ます最(い)と尊とき唯一の如来よ 如来の在(いま)さざる処なきが故に 今現に此処に在ますことを信じて 一心に恭禮(きょうらい)し奉つる 如来の威力(みちから)と恩恵(みめぐみ)とに依りて 活き働らき在ることを得たる我は 我身(わがみ)と心との総てを捧げて仕え奉らん 冀(こいねが)はくは一(いつ)に光栄(みさかえ)を現はすべき務めを果たす聖寵(みめぐみ)を垂れ給へ』  

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >今現に此処に在ますことを信じて・・ ここが肝要なのでしょう。 「信」とは、たやすく、また困難なものです。 信から行へ、行から信へ、また信から行へと深まっていく気がします。 >(みめぐみ)を垂れ給へ 人から内在する真理への呼びかけ・・とお見受けいたしました。

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回答No.3

ウソル・デラピダトーレ・テンタトーレ・ソイナトーレ・デボラトーレ・マンシトーレ・エシェデュクトーレェ ミクナカイサル・ソラノタイセル レゴ・レゴ・レレゴ・オラ・ラボラ・インベニエ ノウマク・サンマンダ・バザラ・ダン・カン ノウマク・サンマンダ・バザラ・ダン・カン ノウマク・サンマンダ・バザラ・ダン・カン エル・ソルバノス・トリタス・グランデ・アスタルテ・オルソバノス・エルバノス・トリタス・コラソン・エ・コラソン・エル・アモル・ビイダ オウ・オウ・トラタヤ・アアー・アアー・ウィッキー・トラタヤ・メガロミカ・オウ・オウ・トラタヤ・アアー・アアー・エンデン・メロミカ・トラタヤ・キ・ジェルフェノウラ・オウ・オウ・トラタヤ・エンデ

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 盛りだくさんですね。 この中で三度繰り返されている >ノウマク・サンマンダ・バザラ・ダン・カン は不動様の真言ですね。 煩悩を焼尽するといわれる三昧の境地を表すとされているようです。 一際、目につきました。 この呼びかけの言葉も相当に古いものです。 そろそろ、新しい呼びかけ、新しい手紙が書かれてもいいのではないかと思っています。 たぶん私は龍華樹の下で待つ事はできない身だと思いますので、お聞きしてみたかったのです。 補足欄に思いつく事を書いてみることにしました。 お読みください。

noname#189751
質問者

補足

皆さんに無理難題を持ちかけてしまったような感じがします。 もっと人間本位というか、人間の言葉の範囲での答えを求めるべきだったかもしれません。 その点を最初に明らかにしなかった事をお詫び申し上げます。 通常の言葉、或いは、真言といったものの他に、私が知らない呼びかけの方法があるのではないかといった、漠然とした思いがありました。 静かなピアノの曲などを聞くと、それも一種の語りかけであり、呼びかけでもあるような気がします。 心の深いところに入っていって何かが呼び覚まされるような感じもします。 「手紙」にはならないかもしれませんが もし、直感と会話できたとしたならば、こんな感じではなかろうか といった事を書いてみる事にします。 もし私が不自由な体になったとしたら、どうなのだろう? あなたが、たとえどのような不自由な体になったとしても 私はあなたと共にいます。 あなたの目が見えなくなったとしたら 私は、あなたの目で見るものに代わるものをお伝えします。 あなたの耳が聞こえなくなったとしたら 私は、あなたの耳で聞くものに代わるものをお伝えします。 あなたが目も見えず、耳も聞こえなくなった時 私は、あなたがそれでもこの世界にいる事をお伝えします。 あなたが、もしこの世界に不自由な身となって生まれてきたのだとしても 私はあなたと共にいます。 私はあなたの存在に気付くことができない? 私があなたに知られるのは、思いがけないインスピレーションが伝わった時です。 でもそれは、私のごく一部にすぎないものです。 普段は余りにも身近なために、ご自身の一部とさえ思われないでしょう。 あなたの声は? あなた自身がこの世に生れて、最初に発した産声が私の声だと思ってください。 ・ ・ ・ ・ ・ こんな感じでしょうか ただの戯言のような感じでもありますが・・ 意志に対しての直感とは 大きなマザーのようでもあります。 何も言わず、ただ働いてくれる存在・・ そんな気がします。 そういった意味で 命の母、母なる命へ送る言葉、といったものがありましたら そちらでも結構です。 お願いします。

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回答No.2

直感は『言葉ではない情報』として送られています。そうして誰もその情報の送り手を知らないでいます。こう言った事実を禅では『没交渉』としています、交渉していながら交渉が無いという意味です。 こう言ったやり取りが(脳内で)行われている事実を、脳卒中の為に体験出来た人が動画の中で語っていますので、良く見て参考にして下さい。 もし出ないようでしたら、ジルボルト、テーラ脳卒中と検索して下さい。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 >直感は『言葉ではない情報』として送られています。 確かにそうですね。 直感の働きと、その内容は「言葉ではない情報」のようです。 概念化される以前の感性情報なのでしょう。 感性情報の提供者として、意志や五感と常に連動して働いていると思われます。 感覚と直感を一まとめに感性と呼ぶべきとも思います。 思考における感覚を符号的単位になしうるのも直感の働きであり、瞬時にそれらの照合を行っているのも直感の働きであると思われます。 意志というソフトウェアに対して、直感をハードウェアといってもいいかもしれません。 PCと違うのは、それらが限られた働きではない点です。 容量が未確定、働きの内容が分析されぬまま、普段は通常というレベルで働いているように見えます。 感性の概念化の作業においても、また、概念の感性化の作業においても、直感の働きがベースになっていると思われま す。 >言葉ではない情報 未分析の感性情報の提供も、またその符号化における照合も行っている直感の働きとは それがごく自然であるとはいえ、「智の母」と言うべきものなのでしょう。 誰もが、その偉大なる「智の母」を知らず知らずのうちに授かっているような気がします。 仰るように、禅における「没交渉」という表現は、直感における「無分別智の働き」であり、未分析のままに感性情報が意志に与えられる事を指しているのだと思われます。 参考URLはとても興味深く拝見させて頂きました。 脳の働きと感覚情報の変化といった点について有益と思われます。 ありがとうございました。

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  • sssv
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回答No.1

カケマクモ・カシコキ・イザナギノ大神祝詞ですが、いかがでしょうか?

noname#189751
質問者

お礼

ありがとうございます。 イザナギは男神とされていますから せっかくではありますが、 般若菩薩の女性的表現には似つかわしくない感じもいたします。 般若菩薩が、意志や感覚に伴って受動的に働く直感である事から、図像上は女性的表現をもって表されたのだと思います。 ただ、疑問なのは、意志の能動態より見た場合の事であって、完全なる受動態であるかどうかは判然とせず結論ずける事ができないように思います。 その事は、意志や感覚に付随しながらも、直感がその事のみにおいて働いているようには思えないからです。 意志に関わりなく働いている直感があるのでしょう。 それらは、一度意志によって働きながらも忘れ去られ潜在化した直感の働きと、通常の意志に全く関わりのない直感の働きとがあるように思います。 祝詞は確かに真言に似ています。 似てはいるが祝詞は人の言葉です。 概念の符号化の純度が違っているように思います。 真言は短く、祝詞は長い なぜ短いかは割愛しますが、祝詞が「手紙」であり「謹みのこもった呼びかけ」であることには違いないと思います。 人と神との接点における言葉なのでしょう。 般若菩薩に昔書かれたとされる手紙にも「大神祝(呪)」とはっきり前置きされています。 真言と祝詞の違いは、神を迎えるのと、神の如き働きを体験するという深さの違いなのかもしれません。 「謹んで申し上げます。」という謙虚さは変わりなくあると思います。 手紙を書く上でのマナーであり心だと思います。 忘れてはならない事ですね。 ありがとうございました。

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メールの送受信ができない
このQ&Aのポイント
  • outlookをupdateしてからだと思いますが、メールの送受信が出来ません。
  • 以前使用していたプロバイザー(ocn)のアドレスを使用しソフトバンクに変えております。outlookを開くと従量制課金接続についての警告が出ています。
  • インターネットはつながっております、ご指導お願いします。
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