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音楽と絵画の感動の違いは?

dandymanの回答

  • dandyman
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回答No.6

私は絵の大きさに関係があると思っています。 音楽は聴覚で感じるのではなく全身にその振動を感じます。 コンサートなどに行くとより顕著でしょう? 例えば花火 実際に花火を見ると眼前に大きく拡がり、何よりあの全身に響く音。 もしあの花火をテレビの小さい画面で小さいスピーカーからの音で聞いたら?感動は半減です。 「感動」というものは人間の「思考が追いつかないほどの情報量」がないとなかなか起きません。 コンサートにしても、花火にしても「ライブ」というのは処理しきれないほどの多大な情報量を全身で感じるために行くものです。 「大きな音」というのは雑音じゃない限りそれだけで感動に値するものなのです。 これは理屈ではなく、生命としての本能のようなものです。 眼前に数百メートル、数キロメートル単位で広がる信じがたい光景を見れば感動するでしょう? 例えば星のよく見える地域などに行った際、夜空いっぱいに広がる星を見たら感動するでしょう、しかしそれを写真でとって数センチの大きさで見たら感動にはなかなか至りません。 絵画というのは作者の伝えたい情報を数十センチ四方の中に閉じ込めたものです。 大して音楽はどうか、音楽というものも非常に小さい音量では感動しにくいものです。 しかしコンサートに匹敵する100デシベルまで上げずとも、スピーカーに近づく、あるいはヘッドフォンを使えば十分に音の洪水に身を委ね情報の波に溺れることが出来ます。 絵画の場合それを思考を使わず直接感性で感じ取るにはある程度の修練が必要でしょう。 特に小さい絵はダメです。 とりあえず絵画展覧会に出向いてそこそこの大きさの原画を楽しんでみてはいかがでしょうか。

0123gokudo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに音楽には一定レベル以上の音量は入りますね。体に伝わる振動まで感じれば、感動が倍加すると思います。教会などに入ってパイプオルガンの大音響に身を委ねると、本当に神の国が存在するような気持ちになりますからね。 しかし、必ずしも"全身の振動"は必要ないようにも思いますが・・・というのは、普通の音量でも、やはり相当な感動を与えてくれるものがいっぱいあるからです。 絵も、そこそこの大きさのあるものの方が感動しやすいということですね。解りました。

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