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ギリシャ神話のエロス神

ギリシャ神話のエロス神はプラトンによると、 我々衆生をイデアに導いてくれる神さまとのこと。 ちなみにエロス神と真言密教の愛染明王は同一神という説がありますが、 もしその説が正しいとするならば、 愛染明王という仏さまを信仰すると、 イデアに到達(悟りを啓く)できることになるのですか??

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  • Nakay702
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回答No.2

>ギリシャ神話のエロス神はプラトンによると、 >我々衆生をイデアに導いてくれる神さまとのこと。 >ちなみにエロス神と真言密教の愛染明王は同一神という説がありますが、 >もしその説が正しいとするならば、 >愛染明王という仏さまを信仰すると、 >イデアに到達(悟りを啓く)できることになるのですか?? ⇒このご質問に接して、私はかつて興味深く読んだ『哲人とエロス』(志村武著、人間の科学社刊)を思い出しました。古今東西の偉人たち(釈尊、ソクラテス、イエス・キリスト、カント、ゲーテ、ルソーら)が、いかにエロスを苦悩し、哲学してきたかが実に面白く解説されていて、興味津々でした。 さて、お尋ねの(というよりは、話題提供・たたき台の提示をしてくださった)件について申しあげます。つまり、「愛染明王を信仰するとイデアに到達(悟りを啓く)できるか?」についてです。 “菩薩の化身たる愛染明王は、つねに「離愛染」の絶対愛染に徹して、人々の愛染貪染を浄化し、愛染から生じる男女間の悩みを救う”とされているようですね。また、プラトンは、“「人間が永遠の生命を得るのにはエロスほどの優れた協力者はいない」と再三主張し、「私自身恋の道を尊重し、とりわけ修行している。…いつでもエロスの力と勇気をできる限り賛美している」と述べた”(上掲書)とさています。 そこで件の問いに対する私のご回答は、(願望を込めて)「然り」と申しあげたいと思います。ただし、古今の偉人たちと同じように、とまではいかなくても、せめてそれに習って“エロスや愛染、生老病死や愛別離苦をつねに「哲学する」限りにおいて”という条件つきとさせていただきます。 何事も、「求めよ。さらば、与えられん」ですよね。インドのマハトマ・ガンジーは言ったそうです。「我々への報酬は、結果でなく努力にある。全き努力は、完全なる勝利である」と。プロセスが大事、ということでもあるでしょうね。我々も、「イデアに到達(悟りを啓く)したい」と願って、それを求めて、飽くことなく努力すれば、必ずや「愛染明王は単なる取っ掛かりであった」と思えるようなときがやってきて、「自分なりの到達感」が得られるに違いないと思います。

cherry77_
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noname#215306
noname#215306
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同一神という説などは、自由な創造の始まりになるかと 思いますけど > 愛染明王という仏さまを信仰すると、 イデアに到達(悟りを啓く)できることになるのですか?? 悟り・解脱はイデアを知る事にはなっても、それ自体が 悟り・解脱となる訳ではないと思います 神仏様方は一時的半実体(自然霊・神の多様な表現の写 し身)のようで、悟り・解脱とは、一時的半実体の神仏 様方を遥かに越えて探求の道を進め果たす事のようです サポート・アドバイスを求めるというのは別として、一 時的半実体の神仏様方への信仰に拠って、悟り・解脱を 果たすというのは違うと思います 悟り・解脱への歩みは、まずは3つの素養・証しの経験 、それから発現した霊的能力などに拠る自己探求・試行 ・トレーニングの継続かと 更には厄介な霊的自由性に惑わされず、狡猾な罠・テス ト・踏み絵の連続をクリアして行く事かと

cherry77_
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