日本人のリスクに対する性格と戦い方

このQ&Aのポイント
  • 日本人は勝利にこだわり、リスクを考えない民族と言われています。
  • 日本の戦国時代から、勝つことに重点を置き、リスクをあまり考えずに突撃していく戦い方が特徴的でした。
  • これは狭い島国で逃げ場のない状況から自然に生まれた思考であり、日本人のDNAに引き継がれていると考えられます。
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日本人 リスクを考えない

性格に言うとリスクよりも、勝ちにこだわる民族ですか? 「日本人は何故最悪の事を考えないのか?」という本もでていました。 戦国時代から日本の戦い方というのはリスクをあまり考えずに「勝つしかない」と負ける事を考えずに突撃していくスタイルがあったそうです。 まあ日本というのは狭い島国で負けたら逃げる場所もない、だから勝つしかないと自然に思考していたんでしょう。そのDNAが引きつがれているのでしょうか?  これに対して中国の戦国時代は騙しあいああり、逃げたり隠れたり臨機応変に作戦をたて、無理は全くない(排水の陣の場合以外)。だから今でも有名な孫子の兵法、として2千年も前の考え方が引き継がれています。  日本人とはそういうDNAなんでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.3

そういうDNAかと言われればそうだとおもいます。 その一番大きな理由は「ほとんど異民族と戦った経験がないから」だと思います。 中国でも朝鮮でも、ヨーロッパでもおよそ大陸に住んでいる民族なら「戦争」というのは異民族または異国との戦いのことです。 異民族と戦うということは、古代で言えば「完全に敗北したら、民族が滅びる」というリスクを背負っていたということです。 ですから、ある程度の実力がある民族は、ほどほどに負ければ撤退しますし、実力の無い小さな弱い民族はそもそも戦争の当事者にならないように、山岳地帯とかジャングルの奥地などの他の民族と接触しない場所で生活をしてきました。 古代ローマでは、戦争に負けても、戦争の指導者(将軍など)を罰することはなく、その代わり負けた戦争を徹底的に分析して、次は必ず勝つということをしたそうです。また、負けそうなときは、早めに撤退することで、次の勝ち戦のための兵力を温存していったようです。 これは現代のアメリカ軍などを見てもほぼ同じ戦術を取っているように見えます。 しかし、日本人は異民族と戦ったことがないため「負けたら皆殺しで日本民族が滅ぶ」という意識がありません。軍隊は突撃して全員戦死しても、一族の女性や小さい子供(当然男の子がいる)は、勝ったほうがそれなりに保護しますので、戦死しても「滅ぶ」という意識がほぼないのでしょう。 例外的なのは、平家と戦って一度は敗れた源氏が、温情で次世代の子供たちが生かされ、彼らが成長して平家を滅ぼしたときには、温情をかけずに一族全てを滅ぼしたこと、ぐらいでしょう。 ですから日本人には「負けたら後が無い」というリスク管理ができず、だからこそ「撤退して再度戦う」というリスク管理が出来ないのだと思います。

sousoumoutoku
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

その他の回答 (5)

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.6

言霊信仰は、戦国時代どころか平安時代にはもうあったようですよ。 原発なんかもそうでしたよね。「深刻な事故が起きたらどうするんだ」と一部の良識ある人から問題提起はありましたが、「わざわざ寝た子を起こすことはない」と最悪の事態を想定することはありませんでした。 負けたら逃げる場所がない、というより、基本的に異民族に攻められる心配がなく、特に平和な時代になれば予定調和になるからだと思います。例えば平安時代ってひとくくりにされてますけど、約400年もあったんですよ。400年間、争い事といえば公家や貴族の権力争い、しかも武力闘争なしだったわけですからね。400年何事もないってすごいですよね。江戸時代にしても200年予定調和の時代だったわけですし。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.5

言霊信仰も関係しているんじゃ ないですかね。 悪いことを考えたり、口に出したりすると その通りになってしまう。 だから、そういうことは考えない、口に 出さない。 縁起でも無い。 だから負けた時のことをあまり考えない ようにするのです。 そういう主張をする人の意見は排除されます。

sousoumoutoku
質問者

お礼

>言霊信仰も関係しているんじゃ ないですかね。 悪いことを考えたり、口に出したりすると その通りになってしまう。 だから、そういうことは考えない、口に 出さない。 縁起でも無い。 この考え方がやはり戦国時代にすりこまれたのではないでしょうか?

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.4

そんなことを言っている人は歴史を知らないだけです。 関ヶ原の合戦では兄弟など身内で両方に別れた武将が多くいます。 どちらが勝っても家が潰されないようにするためのリスクヘッジです。 また、この戦いに負けたらおしまいという戦いは日本以外にもあります。 項羽と劉邦の 戦いだって三国志だって国が滅びる戦いはあるのですから。 嘘をもっともらしく言っているだけですよ。

sousoumoutoku
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 いやまあそりゃああるでしょう。三国志の時代にだって。 しかし基本的な考え方や戦法での話しですよ。 YES or NO という話ではないです。 小さな島国という特性上、中国に比べればという話です。

  • hirama_24
  • ベストアンサー率18% (448/2473)
回答No.2

日本の戦国時代も騙しあいとか押したり引いたりとかありましたけど? 中国は逆に死ぬまでやる、ってのが多かったような^^

sousoumoutoku
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 YES or NO という話ではないです。 小さな島国という特性上、中国に比べればという話です。

  • rokometto
  • ベストアンサー率14% (853/5988)
回答No.1

逆じゃない? モロに中国は中華思想で日本人はデメリットばかり考えてる臆病者だと思うけどい。 リスクを考えないというよりリスクを侵さないと成功はないのを忘れてる感じ。 リスクリスク デメリットデメリットばっかり言ってるよ。

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