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B29によりあれだけ焦土にされても抵抗する理由は?

B29で大都市、地方都市も焦土と化して、死傷者があれだけ出ても降伏しないのは、日本が降伏じゃなくて本土決戦でもして完全に消滅しても良いと言う空気が上層部にあったのでしょうか? 日本人としてもこの狂気の心情は理解できません。原子爆弾投下でようやく目が覚めたと言っても過言では無いと思います。原子爆弾投下が戦争終結を早めたとアメリカ側が何かで発表した時、色めき立ったのはなぜでしょう? 私はその通りだと思いましたが、、

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質問者が選んだベストアンサー

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  • shirouuda
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回答No.10

近代の国民国家は、 短期間に主力を壊滅されて、その割に死者数が少ないと、意外と簡単に「降伏」する。 例、第二次大戦のフランス。フィンランドやノルウェーもこれに近いと思う。 ナショナリズムや復讐心が理性を超えて燃え上がる前に、カタをつけるのだ。 逆に、長期間に殺されまくると、返って戦意を高めて、ますます戦い続ける。 例、日本。さらにドイツ、もっとソ連。 相手が呑めないような厳しい講和条件や無条件降伏を求めつつ、殺しまくると、相手国はますます戦意を高めてしまうものらしい。ナショナリズムおそるべし。

その他の回答 (15)

回答No.16

>B29で大都市、地方都市も焦土と化して、死傷者があれだけ出ても降伏しないのは、日本が降伏じゃなくて本土決戦でもして完全に消滅しても良いと言う空気が上層部にあったのでしょうか? アメリカさんが、日本人は根絶やしだ~と降伏を許さなかったから。 ポツダム宣言でようやくアメリカが幸福を認めてやると言い始めた。 >原子爆弾投下が戦争終結を早めたとアメリカ側が何かで発表した時、色めき立ったのはなぜでしょう? なぜなら、降伏しようと降伏の決定がほぼ決まっていた会議中に原爆を落とされたから日本が色めき立ったのは、原爆が落なくても日本は降伏しているって事を知っているからですね。 日本が降伏を決めたのは、講和の仲介をお願いしていたソ連が参戦したからです。

noname#212854
noname#212854
回答No.15

 現代日本の政治家と官僚が、借金がいよいよ1000兆円を超えるというのに、根本的な解決を図ろうとせず、さらに借金を増やしています。それと同じ、構図、状態だったのでしょう。  無策。無策にも関わらず権力は維持したい。それ以外何も考えていなかった。

  • makocyan
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回答No.14

 荒れてますねえ。色んな意見があって当たり前なんだと思うのですが。 >日本が降伏じゃなくて本土決戦でもして完全に消滅しても良いと言う空気が上層部にあったのでしょうか?   →そんな空気はいくら馬鹿陸軍でもなかったんじゃないですか。当時の政府・軍部の目的はすでに「勝つこと」じゃなくて「少しでも有利な条件での講和」だったことは様々な記録から明らかになっていますし、その条件の第一が国体護持だったわけですから。消滅なんてのはさすがに論外かと。  実際、当時の米軍では日本本土侵攻作戦で50万人程度の将兵の犠牲、チャーチルに至っては100~150万人もの犠牲を予測していたといいます。これは南北戦争における戦死者と同等か上回りかねない数字であって、アメリカが講和を考慮する根拠には十分です。日本の政府・軍部もそのあたりを狙ったのではないでしょうか。身勝手な計算ではありますが、狂気とはいえないかと。 >原子爆弾投下でようやく目が覚めたと言っても過言では無いと思います。  →目が覚めたというのはどうかと思いますが、本土決戦(=連合国将兵の被害を増大させる)に引きずり込む手がなくなった、とは思ったでしょうね。片っ端から原爆を投下(そんな数はありませんでしたが)すりゃ、連合軍の被害僅少で日本人を一方的に虐殺できるわけで、もう有利な条件なんて望みようがない。 >原子爆弾投下が戦争終結を早めたとアメリカ側が何かで発表した時、色めき立ったのはなぜでしょう?  →一面的過ぎるからでしょう。非戦闘員を標的にしたってことが完全に無視されてるわけですから。確かにそうかも知れないけれど、だからといってここまでやっていいのか、と。

回答No.13

小磯内閣がやっていた外交交渉は知らないのですか?ソ連を通じて米国に和平交渉の打診を行い、国民党政府とも和平工作を行っていました。 陸軍は連合国に対して戦争を止めるように呼びかけていました。これに対して米軍は爆撃で答えたのです。 『ジャップが絶滅するまで戦争は止めない』 陸軍は血戦で応じる事に決め、特攻・自爆攻撃・寝技戦術を駆使して米軍に流血を強いたのです。 20年6月、苦労の末に沖縄を占領しましたが、米軍の正面戦力はほぼ壊滅し、戦車も7割以上失いました。20空軍も爆弾を使い果たし、稼働出来るB29も半分ほどになっていました。 そこでポツダム宣言を出し、米国が戦争を止めたいと遂に言い出したのです。でも日本側はソ連を信じて有利な講和条件を引き出そうと考えたのです。ですがそのソ連が対日参戦したため、ポツダム宣言を受諾するしか無くなったのです。 あなたがAさんと喧嘩してボコボコにされたとしましょう あなたがAさんに「ごめんなさい」と謝ったのに、彼は「agekobaを黄泉の国に送るまで止めない」と言って蹴飛ばし続けています。 あなたはどうしますか?

回答No.12

それまでの犠牲が大きすぎて、やめるにやめれなくなった。 上層部に戦争をやめる勇気、やめようと言い出す勇気がなかった。 と、いうところでしょうか。

noname#194996
noname#194996
回答No.11

>原子爆弾投下が戦争終結を早めたとアメリカ側が何かで発表した時、色めき立った それが日本のためにもなったじゃないか、というような善意が動機だったようなニュアンスがあったからではないと思いますが、米軍の犠牲をこれ以上増やさないために割り切って行使したのだという乾いた言い方が日本人を傷つけたのでしょう確かに戦争終結を早めた力のひとつだったのは間違いないと思います。 みっどウエーの失敗後はずるずるきていつ負けを表明しても不思議ではなかったと思います。占領され、国体がなくなり、レイプが頻発しても、沖縄のように皆殺しにあうよりもずっと死傷者は少なかったはずですよね。国民の戦意がなお盛んだったということですが、責任者の強い指導力があればどうにでもなるものでしょう。それをいえば日米開戦そのものが最大のしっぱい(つーか中国侵略、日独協定までさかのぼる?)だったのでしょうが。 いずれにせよいつの世も外圧がなければ重大事を決められない日本の責任者の情けなさ、非力は否定できないと私も思います。

回答No.9

基本的にNo5様に同意します。 >日本人としてもこの狂気の心情は理解できません。 日本人か否かは関係なく、理解できないのは歴史に無知か、悪意に拠る歴史認識に基づいているからだと思います。 そもそも、降伏しなかったのは狂気が原因ではありません。(理由は後述) 質問としての文章が↓しかありませんが、これが質問の主旨でしょうか? >B29で大都市、地方都市も焦土と化して、死傷者があれだけ出ても降伏しないのは、日本が降伏じゃなくて本土決戦でもして完全に消滅しても良いと言う空気が上層部にあったのでしょうか? 回答:違います。 日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもり」でした。 しかし、アメリカは無理な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、原爆を使用する準備をしました。 (降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。) これは、降伏した場合、国が消滅する事もありえるということです。 更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民は政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。 そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になる事も考えられます。 確かに「名将とは負け戦でできるだけ多くの兵の命を救う者」ですが、 それは戦場の事だけしか考えなくて良い所詮「将」レベルを評価する言葉に過ぎません。 敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。 質問文から、質問者様は原爆の使用は、国際法違反の、【民間人の虐殺】には当たらないという認識だと思ってよろしいのでしょうか。 (でなければ、「原子爆弾投下でようやく目が覚めた」などとは考えないと思います) また、焼夷弾による民家への被害や民間人の殺傷を目的とした空襲も、そのように考えているのでしょうか。 (東京大空襲は作戦地域の周囲を焼夷弾による炎の壁で封鎖してから、爆撃を行っています。) また、原爆については、↓のような経緯で投下されており、故意に民間人の被害を増やす意図で進められています。 それらの目的は、原爆の実戦でのデータ(破壊力・人体への影響)を得る為です。 投下目標の選定条件 1:直径3マイル以上の市街地を持つ都市(効果を正確に測定する為) A:更に広島は山に囲まれた地形で原爆の破壊力を探るのに適していた。 B:広島はまだ空襲を受けておらず、原爆の威力を確認しやすかった。 C:Bの為に、周囲から人口が集まっていた。 この↑の理由で、アメリカは広島への空襲を禁止し、実験地として建築物を保存しました。 日本でも、広島には爆撃がないので人口が集中しました。 2:警告無しの使用の決定 トルーマン大統領が設置した暫定委員会が、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと決められました。 (開発に携わった一部の科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。) 当時、日本は空襲で焦土となった土地が多かった筈です。 原爆の効果を知らせ、降伏を促すには、そのような土地か、予告して日本近海に投下すれば十分であった筈です。 しかし、アメリカは、↑の目的で市街地である広島を選び投下しました。 長崎については、爆撃機が道に迷ってとりあえず長崎に落しました。 しかも、投下地点の真上には、日本で最初に建設されたキリスト教の教会がありました。 当時の日本人が狂っていたとも思いません。 よく勘違いしている方がいますが、 東條首相や軍部、政府もアメリカに勝てるとは思っていません。 当時の日本政府は、開戦前の昭和16年に「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っており、考えずに開戦したわけではありません。 そして、その結果は現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます) ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。 日本の対米戦の目的は、初戦の勝利でアメリカの遷戦意を挫き、早期に講和し資源の禁輸を解除させることです。 なので、アメリカ本土の占領など考えていません。(不可能です) だいたい、当時はハワイからアメリカまでは、基地に使える島などなく、 ハワイ→アメリカ本土を往復できる爆撃機は世界のどの国も持っていません。 敗戦=軍人は戦犯で死刑 と思っていたというのも無知の妄言です。 当時も今も、戦争とは国家の行為であり、主権国家に認められた交戦権の行使に過ぎません。 国家の行為である以上、個人が責任を問われることはありません。 また、権利である以上、「戦争」そのものは犯罪ではなく処罰も責任も発生しません。 なので、国際法に違反していない軍人や政治家は、自分が戦犯になるとは考えていませんでした。 東京裁判の罪状は、すべての責任を日本に押し付ける為に戦後に作られたもので、本来なら事後法の為無効なものです。 これについては、日本の弁護人に選ばれたアメリカ人も指摘しています。(却下されましたが) 【東京裁判名場面 】 http://www.youtube.com/watch?v=grFZiNaNVds >原子爆弾投下が戦争終結を早めたとアメリカ側が何かで発表した時、色めき立ったのはなぜでしょう? 私はその通りだと思いましたが、、

  • P0O9I
  • ベストアンサー率32% (693/2146)
回答No.8

爆撃を受けた側の意識の問題もあります。 私も戦後世代なので、本当の感覚は分かりませんが、爆撃で戦意を喪失するということはあまりなかったようです。 逆に、怒りや復讐心を募らせたようです。 東京大空襲を受けた時、著名な作家(名前は出てきませんが)は、日記に「この恨み霽らさいでか」というような事を書いたし、ドイツのドレスデン爆撃を受けた側もかえって戦意をつのらせたようなことを聞きました。 原爆も、それは敗戦を決めた直接の原因ではありません。 ソ連を通じてちょっとは条件を付けた敗戦にしたかったけど、ソ連の参戦でどうにもならないと感じたからのようです。

  • sinntyann
  • ベストアンサー率10% (67/641)
回答No.7

4番さんの中の奴隷、これには、当たり前ですが、女も含まれる。つまり、レイプもあり。 今、みんな、きれいごとを言って、日本は悪いとか、軍がいけないとか、言ってるけど、それは、マスコミが言ってることをマネして言ってるだけ。 ホントの、細かいことは、私にもわかりませんが、私の知る限り、まず、日本がいなかったら、今の中国韓国はおそらくありません。ロシアになっていたかな。 虐殺も、それなりには合ったでしょう。でも、鉄道があったから、中国や、韓国の、復興も早かったんじゃないかな。東南アジアも、解放したのは日本です。それがなければ、もしかすれば、いまだにヨーロッパなどの植民地なんじゃないですかね。 自慢とかそういう事を言ってるんじゃないです。日本と言う国を、こんな小さな国でも、ほこりには思っていいと思ってるんです。日本人は、残酷だとか、ひどいとか言ってる人は、航海時代の、ヨーロッパの事を知らないんですかねえ。みんな、通って来た道だと言ってるんです。日本が遅かったから目立ってるだけ。 日本人は、戦争なんかして、狂ってるとか、そういう言い方は好きじゃないんです。 当時の国民は、男は、恋人や、母ちゃんや、奥さんがレイプをされるのを見たくなかったんです。だから降伏をしなかった。会社がつぶれそうなときに、何とか盛り返そうと、できる限り借金をしてそれがもとで、つぶれるのに似ているような気がします。

  • Beholders
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回答No.6

東條英機元首相は、ポツダム宣言受諾の御聖断(8月9日)が下った後に、以下のような手記を書き残しています。 ▽8月13日 戦いは常に最後の一瞬において決定するの常則は不変なるにかかわらず、その最後の一瞬においてなお帝国として持てる力を十二分に発揮することをなさず敵の宣伝政略の前に屈し、この結末を見るに至る。 もろくも敵の脅威に脅え、簡単に手を挙ぐるがごとき国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりしところ、これに基礎を置きて戦争指導に当りたる不明は開戦当時の責任者として深くその責を感じるところ、上御一人に対し、また国民に対し、申訳なき限り。願くは今後の国民諸君、降服によりて来るべき更に大なる苦難を忍びに忍び他日の光栄ある帝国建設に努められんことを伏して願て止まず。 この手記から読み取れることは、 ・東条英機は8/13の段階でも、まだ戦争に勝てる見込みがあると思っていた ・戦争に負けたのは国民が思っていた以上に軟弱だからだ、と思っている ・占領されれば、国民は空襲などよりも酷い苦難を受けることになると思っている。 ですので、東条は原爆には何とも思っていない、ということと 本土決戦でも全滅するとは考えていないということが分かります。 継戦を主張していた重臣たちは概ね東条と同様の考えだったのではないでしょうか。 これに対し、和平派の重臣たちの手記を見てみると ●木戸幸一内相 「陛下や私があの原子爆弾に依つて得た感じは、待ちに待つた終戦断行の好機を此処に与へられたと言ふのであつた。それらの心理的衝撃を利用して此の際断行すれば、終戦はどうやら出来るのではないかと考へたのだ。……私ども和平派はあれに拠つて終戦運動を援助して貰つた格好である」 ●米内光政海相 「原子爆弾の投下とソ連の参戦は、ある意味では天佑であると思う。……国内情勢によって戦争を止めると言うことを出さないで済むからである。」 ●鈴木貫太郎首相 「(原爆投下は)非常に好都合なもの」 和平派重臣たちは原子爆弾投下によって戦争終結を早められると喜んでいたようですね。 当事者がそういうんですからその通りなのでしょう。

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