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文中の「絶えずに」は自然でしょうか。

 日本語を勉強中の中国人です。私の書いた「私の心は絶えずに鼓動しています」という日本語のなかの「絶えずに」の使い方は自然でしょうか。「絶えずに」で「いつも、ずっと」のような意味を文章で表現したいと思います。「絶えず」なら自然になるのでしょうか。それともほかの表現に直したほうがよろしいでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

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noname#194996
noname#194996
回答No.1

>私の心は絶えずに鼓動しています 少し不自然な文章です。 私がこの文章を解釈するとしたら、心=心臓 と考えて 私の心臓は絶えず鼓動しています と書くでしょう。 心 と書くと心臓という意味はほとんどなくなります。 私の心臓は絶えずに鼓動しています なら日本語として正しいです。しかし、ちょっと不自然です。 この場合 絶えずに ではなく 止まらずに、あるいは停まらずに という言い方が一般的です。 私の)自動車が絶えずに動き続ける という言い方はあまりしません。 また、心をひとの内面の意思や記憶と解釈し、絶えずに を大事にするとしたら 私の心には貴方の思い出が今でも絶えずにあります とすると自然になります。しかし質問者様の最初の文章をそのままでそのように解釈することは出来ませんね。 >絶えずに」で「いつも、ずっと」のような意味を文章で 絶えず、絶えずに、それぞれ「いつまでも、ずっと」という意味はありますが、それよりもむしろ「途切れることなく」という意味を示しています。「永遠に」というような抽象的な意味はあまりありません。 ひとびとの流れはいつまでも絶えずずっと続いていた。 絶えず のあとは述語が続いて 絶えず 動く、とかどうなるという形になります。 絶えずに は、その前にある主格とともにまとまった意味をそれで示し、に で以後のひとつの文節をつなぐ役目を果たします。 >「私の心は絶えずに鼓動しています がちょっと不自然なのは、私の心は絶えずに がひとつのまとまった意味を示していない、意味が分からないからだと思います。 「行く川の水は絶えずに…」という文節は、それだけで意味が通るので不自然ではないのです。 ご参考になれば。

awayuki_cn
質問者

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 ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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その他の回答 (3)

  • cxe28284
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回答No.4

こんばんは日本人の私は絶えずという副詞に、「格助詞に」をつける発想はありません。 心という言葉は内臓の一部としての心臓というより、精神とか知識 感情、意識、 その考え、気持ち、思いやり、などの全てをふくむ総称だとおもいます。 何かで心が動揺しているのなら、 「私の気持ちは絶えず動揺します」「私の心は一つに定まらず絶えず揺れている」 胸がドキドキする~胸の動悸が激しい。」

awayuki_cn
質問者

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 こんばんは。ご丁寧に教えていただきありがとうございます。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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  • thegenus
  • ベストアンサー率49% (330/673)
回答No.3

日本人の日本語と中国人の日本語がボタンの掛け違いでしょ。日本人は「絶えず」+「動詞」の固定観念が自然ですからそう読みたいのです。絶えずは、ずっとの意味で使われるからです。絶えずは特殊なのです。絶えないでではなく、いつもの意味です。理由はそういう前衛的な使い方が定着し今となっては主流、です。前衛の副詞的用法が主流になった逆転現象の外にいる質問者さんが絶えずのせいで前衛扱いされて戸惑っているのです。 日本語は主語ないとかいう話もありますが全部後ろが主体になる訳じゃありません。 私の心は絶えずに鼓動していた。 私の心は食べずに鼓動していた。 私は食べずに運動していた。 食べずに運動していた。 「~に」は前の内容です。私の心は絶えずに、私の心は鼓動していた。私は食べずに、私は運動していた。 自然な日本語思考者になりたければ、(絶えず漢字を忘れて)絶えず「タエズ」をいつもやずっとの意味合いで使われる比率を日本人並に増やす事です。そしたら「絶えずに~」を使う気にならなくなります。日本人は漢字を使いますがその字義や字体はタエズ頭にありません。漢字変換と読解の時に字を選ぶだけです。(「字体は絶えずに頭にありません」の意味は、漢字は存在するが私の頭の中にはない、です。) 釈迦に説法かも知れませんが残念ながら中国人が日本語思考するための障害は漢字かもしれません。しかし日本語は漢の字を使いますからタイヘンですね。中国人は大変ですねと言われますし。そう思います。

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご親切に教えていただきありがとうございます。アドバイスはとても参考になりました。本当にありがとうございました。がんばります。

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  • kine-ore
  • ベストアンサー率54% (808/1481)
回答No.2

「絶えず」は歴史的仮名遣いで、「絶ゆ」の未然形に打消しの助動詞「ず」となっています。 今日では、語頭に強勢のある発音で副詞用法で「休みなく/いつも」の意味用法だけが残っています。 その場合には、「絶えず」で用いるので「…に」という接続助詞は付けてはいけません。 ちなみに、現代仮名遣いでは「絶える」の否定形「絶えない」となります。「私の心は絶えないで…」となりますが、「絶える」という動詞は瞬間性の動詞なので、「心」のような存続・継続性を前提とする抽象名詞には不協和となります。 この場合、「心も耐えかねない」など、形容詞化接尾語「…かねる」を付けるか、逆に、「心臓」のように物理的で具象性のある名詞を受ける方が落ち着きます。 ただし「私の心臓は絶えないで鼓動しています。」では当たり前過ぎて詰まりません。 ここは厳めしいサ変動詞「鼓動する」を取り換えて、「私の心は絶えることなくいつもときめいています。」などとしましょう。 すると、結局この「絶えることなくいつも」の意味が、ここでの副詞としての「絶えず」であることがわかります。 「私の心は絶えずときめいています。」

awayuki_cn
質問者

お礼

 ご丁寧に教えていただきありがとうございます。外国人にはやはり難しいですね。申し訳ありませんが、「ときめく」とは違う意味だと思います。この文で「生きている、命がある」という意味を表したいです。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。

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