文学の意味とは?

このQ&Aのポイント
  • 文学の意味とは、様々な文学作品の芸術的な要素やメッセージを理解することです。
  • フィクションである文学作品でも、歴史的背景やノンフィクションの要素が含まれる場合もあります。
  • 文学は他の人の生き方や心情を伝える手段であり、読者はそれを理解し共感することで豊かな人間性を形成することができます。
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文学の意味を教えてください。

学生時代、国語の教科書等で、様々な文学を少しずつ勉強した経験があると思います。 でも、試験の為の勉強しかしていなかったので、 その文学作品の芸術的な意味などについてはあまり良く理解していませんでした。 文学のほとんどは、フィクション (作り話) だと思いますが、 どうしてそんな作り話が素晴らしいと思うのかが理解できません。 フィクションでも、歴史的背景や、 ノンフィクションのお話しが土台となっている場合もあると思いますが、 そのお話しを私たちはどう受け止めて行けばよいのか分かりません。 「こうした生き方もあるんですよ」、と言いたいのか、 「こういった人たちの心情はこうなんですよ」、と 言いたいのか、皆さん、どんなふうに理解したら良いのでしょうか? (因みに最初に読んだ本は、トルストイの、アンナカレーニナでした。)  

noname#171883
noname#171883

質問者が選んだベストアンサー

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noname#194996
noname#194996
回答No.6

国語の教科書に文学作品の一部が出て、それを学ぶ意味は、ひとつは日本語のお手本として味わい、日本語がじょうずになるようにということだろうと思います。それと同時に、優れた文学作品を紹介して、生徒にそれらに興味を持たせ、全文を改めて読ませようという作戦でもあるのでしょう。 日本語で書かれた良質の文学に多くひたるのは、やはり日本語が上手になって、ゆくゆく社会人としてのコミュニケーションがうまくなるように、言葉で表す職場でのレポートや論文の質が高まるようにという意味が大きいと思います。また、 様々な人生の経験をその世界でヴァーチャルにせよたくさん経験して人生の深みを知り、人間というものの本性を知り、うまく生きるために有効であるという意味もあるでしょう。また 読書の楽しさを覚えて趣味を広げ、有意義な人生を送るよすがにもさせたいという親心もあるでしょう。 そういう意味では >「こうした生き方もあるんですよ」、と言いたいのか、 「こういった人たちの心情はこうなんですよ」、と 言いたいのか こういう思いは正解だと思います。そういった勉強にもなることが愉しみつつできるというのが読書なのでしょう。 小説というのは様々な性癖をもつ一個人である小説家の身勝手な妄想から生まれたものですから、玉石混交、中には害があって読むべき値打ちなどないものも多いと思います。だからこそ読むならば昔からもてはやされて生き残ってきた古典といわれるものを選択するべきだと思います。 いずれ 小説は読めば読むほど癖になるほど面白いものです。絶対読むべきだとも思いませんが、読まずに人生を終える人はもったいないことだと私は思います。

noname#171883
質問者

お礼

ご回答有難うございました。 大兄のご回答は、大変参考になりました。 文学の世界は奥深いものがありますね。 人の気持ち、人生経験、恋愛経験、社会経験、空想力、美的感性、記憶力、家族関係、雑学、哲学、法律、経済学、一般常識、など、数えきれないくらいの知識と、教養がなければ、作品を創作することは出来ないと思います。 そうした意味においては、文学を通して、自分の知らない世界や、考え方、を学ぶ事も出来るかもしれませんね。

その他の回答 (5)

noname#164548
noname#164548
回答No.5

世界や生き物の無意味さや悲しみやとうとさを物語り伝えうたい祝福するという意味

回答No.4

文学に意味などありません。しかも、作者の真意が直ぐに読み取れてしまうようなものは、長く後世に残りません。明治の文豪といわれ、今日もなお読まれている作家たちも、その例外ではありません。 著名な作品とは誤読を誘発するよう書かれます。誤読でよいのです。誤読され、修正され、そして、更なる誤読が生まれるというのが、所謂、文芸評論の常道でもあります。 かの有名な文芸評論の大先生は、故意に、誤読をさせるように書くのだということを明言されました。つまり、明瞭に何人にも分かるようにと書いた瞬間、誠に微妙ながら、本当に言いたいこととはズレが生じてしまいます。そういう明らかな差異に耐えられなくなります。で、故意に、ズラさざるを得なくなるのです。 因みに、思想・哲学書を読み込んだ後、例えば、漱石の『行人』なんぞを改めて読みますと、現代の西欧(主にフランス)ノーベル賞作家との類似性と言いましょうか、漱石の先見性、先取りの鮮やかさに驚かされます。そんな時、日本人作家も捨てたもんじゃないな、などと思ったりするわけです。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 トルストイの『アンナ・カレーニナ』が敵国の作品であるからといって一方的に否定する方の感性を疑ってしまいますね。  法学部に入学する学生に対し、ほとんどの教員が「読んでおいて損はない」と一読を勧める作品にドフトエフスキーの『罪と罰』があることをご存知でしょうか。僕なら本居宣長をイカれたアナクロニズムの称賛者として蹴飛ばしますね。  さて質問者様の次の言葉が少し気に掛かりました。 >文学のほとんどは、フィクション (作り話) だと思いますが  これは文学に接した経験がないために致し方のない話ともいえます。「赤穂事件」で知られる『仮名手本忠臣蔵』も『太平記』に舞台を借りた形で、元禄時代の作家竹田出雲が当時の政治を批判した作品です。また『ブリキの太鼓』もギュンター・グラスがナチスドイツに対する批判として書き下ろされた作品です。直接には対象に言及しないものの、そこには作家が対峙する時代の現実が綴られているといえます。仮託する形です。ライトノベルにはこうした真似はできません。身辺雑事ですから、ほとんど誰でも書くことができ、一度読んだらそれでおしまい後はゴミ箱行き程度の読み物でしかありません。  画家が絵を、音楽家が音楽をそれぞれの「武器」として時代と向き合うように、作家は「言葉」を唯一の武器として、時代をそして世界を私たちの前に暴き出すともいえます。  「生き方」はプレジデントや日経新聞の提灯持ち記事をもて囃すジジイが喜んで使う言葉ですが、彼らに「生き方って何ですか?。説明できますか?」と聴いても彼らは応える術を持てません。表面を撫でるだけでその中身に触れようとしない。だからそれだけ読書経験に乏しく他の人に説明することもできない気の毒な人ともいえるでしょう。  絵画も音楽もそして言葉も、別の表現をするならば「意思を伝える道具」です。ですからそこには「読んだ人が自由に解釈して下さい」とのコメントを込めた挑戦状ともいえます。それだけ「書き手」と「読み手」の間にも距離感や緊張感が求められますが、書き手は決して「こうですよ」とは強制しません。  けれども「私が書いた意味はこうですよ」と様々な仕掛けをしていて、それを手掛かりとして読者も作者と対話する時間を共有できることになります。  『アンナ・カレーニナ』に関して言えば、僕がこの作品を初めて読んだのは大学一年の時であり、「生きるって何?」「私って一体何なの?」と絶望の森を彷徨うような印象をうけました。失恋の後に読んだ「不倫」を題材とする作品でしたので、余計に女性に対する見方に影響が及んだとの経験を今でも鮮烈に憶えています。  受験勉強に懸命で文章の中身にまで触れる機会が少なかったならば、それは不幸なことともいえますが、受験の題材では「中身の解釈」にまで立ち入るなどの不遜な行為はできないはずです。宮沢賢治を例にとれば、イーハトーブで自給自足の農業生活に従事する彼を当時の官憲が社会主義者と評価することもあれば、彼の思想基盤を形成した日蓮教と日蓮教団が持つ排他性や攻撃性に着目して右よりの作家と評する考え方もあります。それらは全て彼の作品と彼の生涯の軌跡から判断する以外に求めることはできないことになります。  ライトノベルよりは『金瓶梅』の方が少しだけましでしょう。でも最後までたどり着けるかどうかはわかりません、あれほどくだらない作品も珍しい。今からでも遅くはありませんので、是非様々な文学作品に触れることをおすすめします。以上、本好き・文学好きおじさんからのお話しでした。

noname#182988
noname#182988
回答No.2

僕は慢性です。大きなお世話です。 トルストイの本の感想を、キモイの一言で言い表すところに、 なんというか、回答者様の生きてきた中での語彙と感受性が凝縮されているように感じます。 素晴らしいです。 僕は、なんでもいいから、何か、感じるものがあればそれは、見た意味はあるのではないか、と思います。 何か、生き方について考えたり、こういう考え方があったのか、と驚いたり、当時はそんな考え方をしてたのか、と驚いたり、これを書いた作者は、どういうことになやんで、これを書いたのか、、と考えたり、僕だったらどうしよう、と思ったり、一緒に悩んでいる人がいるのか、と仲間意識を持ったり、生き方を教えてもらったり、、するのは、楽しいというか、必要な気がするんです。 そのためには、どこかで筆者と共感するところがないと、入り込めない、ということがあります。 そうなれば、キモイということになるのでしょうね。それならよくわかります。 そういう時は、読まないほうが、合理的だな、というのは確かにおっしゃるとおりでした。 こういうことが、楽しいと思えるか、なにか大切だと思えるか、キモイと思うか、で読み方は全く異なるのだと思います。 小説の楽しみ方としては、伊集院さんがうまく表現していますから、お勧めします。 http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1887.html http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-1959.html http://www.nicovideo.jp/watch/sm10785996 質問者様に関係のないことを一部書いてしまい、申し訳ありませんでした。 参考になれば、うれしく思います。

  • spring135
  • ベストアンサー率44% (1487/3332)
回答No.1

無理することはありません。 小説なんて自分で感じるものがあるかどうかが大事で、 質問者のようにそれがわからない以上、人から聞いても意味をなしません。 また、小説なんて大したものではありません。 はしかのようなものでたいていの人は一過性で治れば全く忘れます。 たまに慢性になる人がいますが可哀そうです。 大体「アンナ・カレーニナ」なんて古くて暑くて全くの敵国の話で 我々に関係ありません。 もっと軽い、ラノベとかケータイ小説とかナウいものから入りましょう。 トルストイなんて「きもい」です。 古いのが好きならもっと色気のあるものから入りましょう。 「Lady Chatterley's Lover」で感じるものがなかったら心配です。

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