• ベストアンサー

江戸時代以降の拷問の座禅縛りに詳しく教えて下さい

質問させて下さい。 江戸時代以降の拷問で座禅縛りってありますけど、きっちり両足とも太ももに上げて組ませてたのですか? それとも座禅みたいな形にアグラで縛っただけでしょうか。 座禅縛りは女囚に用いられた例も多いみたいですが実際はどうだったのでしょうか? 興味を持ってますので他にも何かあれば色々と教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.1

こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>江戸時代以降の拷問で座禅縛りってありますけど、きっちり両足とも太ももに上げて組ませてたのですか? 座禅縛りはその名の通り、座禅を組ませて、太腿と下腿(膝の上下)を縄で縛りました。 >>座禅縛りは女囚に用いられた例も多いみたいですが実際はどうだったのでしょうか? 女囚には適用しなかったと思います。 なぜなら、お白洲での尋問でも、女の膝小僧より上を出すと調べはすぐ中止となりました。 そこで、うるさい女とみられる場合は、両膝を縛って着物の前がはだけないようにしました。 しかし、縛られていてもわざとそっくり返ったりするやりてもいました。 (よもやま話) (1)江戸幕府の初期には、戦国時代に行われていたとても残忍なものでした。 「磔」(はりつけ)、「逆さ磔」(さかさはりつけ)、「串刺」(くしざし)、「鋸挽」(のこぎりびき)、「牛裂」(うしざき)、「車裂」(くるまざき)、「火焙」(ひあぶり)、「釡煎」(かまいり)、「簀巻」(すまき)などの死刑と「指切り」、「手切り」、「鼻そぎ」などの身体刑がありました。 しかし、八代将軍吉宗が寛保2年(1742)に「御定書百箇条」が編纂され、初めて「刑法」らしきものが成立しました。 内容は、土地、証文、用水、盗賊、関所、人別、賄賂、質物、廻船、殺人、男女関係、火事などの庶民にも関係のある「民法」と「刑法」、そして、罪状による「罰」が整理して書かれていました。 この「御定書百箇条」は関係者以外が見ることが禁じられており、吟味方与力でさえ、、一覧する時は奉行に「誓詞」を出して借用するほどでした。 (2)「御定書百箇条」に定められた刑罰には「死刑」、「遠島」、「追放」、「敲」(たたき)、「押込」(おしこめ)、「呵責」(しかり)の六段階の「正刑」があり、「死刑」にはさらに「死刑」、「下手人」(げしにん)、「斬首」、「獄門」、「鋸挽」、「火焙」の六つに分かれていました。 罪状によって「正刑」に追加される「属刑」もあり、「晒」(さらし)、「引廻」(ひきまわし)、「入墨」、「闕所」(けっしょ)、「非人手下」(ひにんてか)などがありました。 (3)特定の身分に課せられたものを「閏刑」(じゅんけい)と呼び、 武士・・・・「逼塞」(ひっそく)、「閉門」、「蟄居」(ちっきょ)、「押込」、「遠慮」、「差控」、「改易」、「預」、「切腹」、「斬首」など。 僧侶・・・・「「構」(かまえ)、「追院」、「退院」、「閉門」、「逼塞」、「遠慮」、「晒」など。 庶民・・・・「過料」、「戸閉」(とじめ)、「手鎖」(30日、50日、100日)、「押込」(30日、50日、100日)、「叱責」など。 婦女・・・・「剃髪」、「奴」(やっこ)など。 がありました。 (4)私刑(リンチ) 公刑の「晒」をまねた「棒縛」などがあり、捕えた犯人を裸にして十字形の棒に縛り付け、証拠品を棒に吊るし、町中を引廻した。 また、吉原の遊女が足抜けで捕まった場合は、後ろ手に縛られ鴨居に吊るされたり、庭の大木に縛り付けられたりしました。 (5)女犯僧の晒刑 「晒」は僧侶だけに課せられた刑で、寺社奉行の担当。日本橋南詰の晒場に3ケ間晒してから本寺へ引き渡された。僧侶としては最高の刑罰でした。

mild333fon
質問者

お礼

とても詳しくご説明ありがとうございました。 すごく参考になりました。 (よもやま話) 婦女・・・・「剃髪」、「奴」(やっこ)とは、剃髪はわかりますが、「奴」とはどんな刑罰なのでしょう。 追加質問になりますがよろしかったら教えて下さい。

mild333fon
質問者

補足

(よもやま話) 婦女・・・・「剃髪」、「奴」(やっこ)とは、剃髪はわかりますが、「奴」とはどんな刑罰なのでしょう。 追加質問になりますがよろしかったら教えて下さい。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

回答No.3

NO!。 bungetsuです。 >>「奴」とはどんな刑罰なのでしょう。 「奴婢」(ぬひ)にする刑罰です。つまり、女の奴隷にすることです。 奉行所として信用のおける大店の主人などに預けて主人の監視の下で下働き(下女)として働かせる刑罰です。幕府は基本的には人身売買を禁止していましたが、この「奴婢」を預けるに際しては、大店の主人から「預かり証」と同時に、いくらかの銭(約10両位かな?)を「預かり金」として納めさせました。従って、「預かり金」という名目で、実質的には「人身売買」をしていたのです。現代の「懲役刑」と同じようなものです。 江戸時代のこととしてはあまり記載はされていませんが・・・ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E5%A9%A2

mild333fon
質問者

お礼

なるほど・・奴隷の「奴」ですね。 詳しい説明をいただき、ありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.2

こんばんは。 座禅縛りで検索すると…ちょっ公序良俗に反するサイトばかりヒットするのですが、質問の回答の用途をお聞きしてもいいですか? もし東京にいらっしゃる機会があれば、明治大学博物館に江戸期の拷問について非常にくわしい展示があります。

mild333fon
質問者

お礼

>質問の回答の用途をお聞きしてもいいですか? ケーブルテレビで時代劇を見て江戸時代や昭和の憲兵の拷問に興味を持って調べてるのですが、おっしゃる通り、座禅縛りで検索するとアダルトっぽいサイトばかりヒットして肝心なことがわからないので質問しました。 明治大学博物館について教えていただきありがとうございました。東京に行く機会があればぜひ行きたいと思います。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 平安時代と江戸時代

    奈良時代以降を見ると、平安時代と江戸時代が長く続いた時代のように思いますが、「長く続いた理由」として、この二つの時代が他の時代とは異なる共通点はあるでしょうか??? それと、両時代とも長くは続いたが、平安時代と江戸時代は、長く続かせる手段・方法、時代背景などとして「ここがまったく異なる」というものはあると思うのですが、それを教えて下さい。 それと、平安時代と江戸時代が終わるとき、「時代の終焉」としての共通点、あるいは時代の終焉を示唆するような共通の出来事みたいなものはありますか???

  • 江戸時代以前の家族関係

    江戸時代以前のことについて詳しい方回答をお願いします。 http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11814043013.html http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11814896890.html http://ameblo.jp/4tokeir/entry-11815710846.html http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/416/657/74542203 上記のURLなどを見ると、江戸時代より前は家族というものはなく(家族制度があったのは武士の家系など)、現在の家族の形ができたのは江戸時代か明治以降だと書いてありました。 実際はどうだったのでしょうか?

  • 米の値段が、江戸時代には、なぜ下がったのですか?

    山本博文著の江戸学講座を興味深く読んでおりますが、次の説明に出会いました。 <江戸時代の初めは、家禄だけで食べていける旗本・御家人も多かったのですが、中期以降は、米の値段が下がりますから難しかったでしょう。> 一般的には、物価は長期的にみると、漸進的に上昇します。(もちろん、技術革新などによって、低下する場合がありますが)。 米の値段が、江戸時代には、なぜ下がったのですか?

  • 江戸時代の農民の暮らし。

    江戸時代の農山村で農民(庄屋・名主を除く)が豊かに暮らしていた例を教えて下さい。 実質には「3公7民」「2公8民」とかいわれた中期以降の例です。 できれば、市町村のホームページに出ている具体例を希望します。 伊勢参りの道中で泊まった宿屋のめしが、ふだん食べているめしよりまずかった、というような記録はないですか。 明治新政府による「幕府は悪政だった」の教育が行き渡って、また戦後の教科書も農民は虐げられていたとの記述もあるが、江戸時代の農民は、実は豊かな生活をしていたという説があります。 これの検証です。

  • 江戸時代の

    江戸時代の公家は何をしていたのでしょうか。 公家が兵庫頭や左近衛大将に就任しても名ばかりで、実際は幕府の旗本・御家人が警固していたのでしょうか? 関白など他の職についても、実権は幕府に押えられて名ばかりの職だったのでしょうか?

  • 江戸時代の丁銀の不思議

    江戸時代の貨幣で、丁銀なるものがあります。 時代劇で見て、その不思議なる形を不審におもい調べたのですが、形や重さが一定しない貨幣のようです。 http://homepage3.nifty.com/harupii/cyomame.htm どうしてこんな不思議な貨幣が流通したのでしょうか? 大きさ、形、価値が一定であってはじめて貨幣の意味があると思うのですが。 またなまこ形のものはいびつで、非常に重そうですね。 どうしてこんなへんな形に鋳造したのでしょうか? 中世以降の海外でもこんな特殊な貨幣がありますか? よろしくお願いします。

  • 江戸時代の庶民の貯蓄

    江戸時代は、1町5反持ちの本百姓は10両の貯蓄があったみたいですが、10両貯蓄できただけでも大したもんなんですか? 聞いた話しでは本百姓は米の他に麦も作るから、若干お金に余裕があったみたいです 江戸時代の庶民の貯蓄平均額は、どれほどのもんなのか興味があります

  • 江戸時代の職業選択

    江戸時代に限定した 質問です。 この時代、人々の職業は固定されたという印象があります。 実際はどうだったのでしょうか。 農民の子が、職人の弟子入りして職人になったり、商家で丁稚として働いたりするようなことはあったのでしょうか。 職人の子供は、商人になった可能性はありますか。 他の時代も気になるのですが、まずは、江戸時代限定でお尋ねします。

  • あなたの好きな時代はいつですか?

    題名の通り あなたの好きな時代を教えてください^^ (例:戦国時代・江戸時代など) またその時代の好きな・興味のある出来事・人物がいれば教えてください!

  • 江戸時代の厳罰主義について

    このカテでいいかどうか分からないのですが、質問させて頂きます。 江戸時代の警視庁、すなわち南北の両奉行に勤める与力は50騎、同心でもわずか250人の人数で、当時の100万都市の治安を担っていたと聞きます。 今では、警視庁の警察官の数も4万5000人に上るそうです。 江戸時代の100倍以上ですね。 当時と比べて人口は10倍にしかならないのに、それでも検挙率が落ちているとの報道があります。 なぜ江戸の町奉行がそんな少人数で治安を保つ事ができたか、その理由は、厳罰主義に徹底していたからと聞きます。 10両の金を盗めば打ち首とはよく言われていますよね。 その他にも、真犯人に間違いないが物的証拠に欠ける時は拷問にかけて白状させる事が許されていました。  入獄すればしたで、釈免されるまで地獄のような毎日をおくっていた事と思います。 一方、極刑が言い渡されれば、市中引き回しや、はりつけ、獄門など、犯罪者にはとても厳しい時代だったと思います。 現在、厳罰主義を訴えると必ずと言っていいほど 「人権蹂躙、警察による管理社会の再来、自由に物が言えない暗黒社会」 と言って、いわゆる人権派団体から大反対されるのがオチです。  つまり 「厳罰主義 = 悪」 という考え方なのですが、それでは当時の江戸市民は実際どのような生活をおくっていたのでしょうか? 結構、江戸文化が花開いた時代だったように思うのですが、やはり人権派の人たちが言うように暗黒社会だったのでしょうか?  一般市民でも与力や同心に監視や圧迫を受けていたのでしょうか? 警視庁と東京都民、町奉行と江戸市民、この二つの関係に決定的な違いは何かあるのでしょうか?