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江戸時代の給料は?
karumakarumaの回答
- karumakaruma
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幕府の基本収入が米ですので、給料ももちろん米になります。 江戸時代は、米による物々交換から貨幣へと変わる転換期であったため 江戸初期であれば、家の前まで来た野菜売りから野菜を買って、 米を升で量って交換するというような形でしたが、後期になると 給料として米をもらったら、まず商人に米を売りお金に換えてから 物を買うという形に変わってきます。 土地を与えて税収を任せるというのは、大名・小名などですね。 土地からの米収入を藩に仕える武士に給料として渡すという形です。 郷士は半農半士ですので、基本収入は自分の土地収入や、店の売り上げですね。 郷士は、郷士株を持っている農民や商人で、士分としての特権(苗字、帯刀など)が 許され、藩の士分名簿にも記載される存在です。 郷士株はお金でやり取りされていたので、郷士になれたという事は基本金持ちという事になります。 幕府を会社とすると、巨大な一族経営の会社があり、功績のあった一族外の人が子会社を 経営することを許されているという感じだと思います。 ですので、本社(幕府)に勤めているのと、子会社(藩)に勤めているのでは 心情的にも給料的にも差があったと思います。
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お礼
後期になっても給料は現物支給だったんですね。 郷士には藩は給料を払っている訳ではないのですね。 ありがとうございます。
補足
失礼しました。 郷士は藩から給料をもらっている場合と、そうじゃない場合両方あるんですね。