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平安時代末の法要(仏教儀式)

neil_2112の回答

  • neil_2112
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回答No.3

ご質問を読んだ範囲では「検索方法を知りたい」という趣旨かと思っていたのですが…。 単に平安時代といっても、極めて広いレンジの仏教的行為の数々が存在しました。「法要がどのような形で行われたのか」ということですが、もう少し具体的にはどのような点が質問のポイントなのでしょうか。 狭義の法要である「讃歎、供仏、施僧」はもちろん各種行われていましたし、その他のいわゆる呪験的行為だけをみても、国家鎮護ための修法、内裏固めに用いられた修法など天皇・特定の貴族のために行われた言わば公式の密教修法の数々(これは実に多数あって密教経典の数だけあったといっても過言ではありません)から、特定の御霊を祓って都市の安寧を回復させるための大法要、あるいは有名な「五壇法」を筆頭に一般貴族の間で物の怪調伏のために行われた呪法など、実に多数あります。 また庶民レベルを見ても平安時代にはいろいろ興味深い動きが起こっています。末法思想を背景とした弥勒講や、三昧講などバリエーションの多彩な念仏結社の数々、念仏聖や持経聖、禅観聖などと呼ばれるアウトサイダー的な仏教者による説経や小規模な法会・葬送儀礼が仏教の裾野を拡大していきました。 さらに平安中期から機内で始まった盂蘭盆会や、民俗宗教や陰陽道などと混交した庶民レベルの祈祷会なども挙げないわけにはいかないでしょう。この時代に日本的と言われる後の鎌倉仏教を発生させる下地が庶民レベルで整えられていったことは大変重要なことです。 単に羅列的であってはつまりませんので、質問者氏がこの時代の法要のアウトラインをお知りになりたいのか、それとも特に密教修法など何か具体的に知りたいのか、単に参考文献をご紹介すればよいのか…、補足して頂ければある程度まとまった回答をさせてもらうつもりです。 (数日間時間があまりとれませんので、少し先の回答で宜しければ、ですけれども)

alchera
質問者

補足

ご指摘ありがとうございます。法要<葬儀・追善供養をいう。法事。法会。法用。>の部分が一番知りたいところです。要は「どんな葬式(とそれに伴う法要←初七日とか百箇日法要とかの存在は当時あったのかどうか)が行われていたのか」を知りたく思っています。 貴族・下級貴族・庶民それぞれの階級の場合についてもれなくカバーしてある本を発見できたらオンの字なのですが…… その上で、葬儀以外の仏教儀式はどんなものが行われていたか知ることが出来れば言うことはありません。 出来れば、参考文献を挙げていただけると大変助かります。上記の内容について、研究者の最新報告などまでの詳しいものは求めていませんので、いわゆる「新書」レベル、あるいはちょっと研究書寄り、といったところが本人的にベストだと思います(贅沢ですね(^_^;)) また、近所の図書館でその参考文献が見つからなかった時に、どういう方向から攻めたらいいかもご助言いただけると大変ありがたく……(^_^;)。 とりあえず「葬儀の歴史」(芳賀登)という本は近所の図書館にありそうですので、見てみるつもりでいます。 末永くお待ちしていますので、どうぞよろしくお願いします。

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