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平安時代末の法要(仏教儀式)

kaminの回答

  • kamin
  • ベストアンサー率40% (30/74)
回答No.2

平安末期に行われていた修法(仏教儀礼)でパッと思いついたもの。 「御七日御修法(ごしちにちみしほ)」 「孔雀経法(くじゃくきょうほう)」 「請雨法(しょううほう)」 「安鎮法(あんちんほう)」 「伝法灌頂(でんぽうかんじょう)」 「結縁灌頂(けちえんかんじょう)」 「仁王経法(にんのうぎょうほう)」 「熾盛光法(しじょうこうほう)」 検索にかけてみてください。何かイメージが沸くかもしれません。(別に平安末期だけに限った修法ではありませんが…)    平安末期といえば、後白河院政下にありますよね。彼の息子(守覚)は仁和寺御室ですし、真言宗寺院との関係は密接でした。源氏の物理的権力を背景に真言宗寺院の再興にも当たっています。なので、まずはこの時期の真言宗の動向を調べ始めるのをオススメします。院や貴族のための修法というのが濃厚だったと思います。    実際、二番目の孔雀経法ですが、有名なところでは、平清盛の娘と高倉天皇の間に生れる安徳天皇を出産する際にも修されました(『大日本史料』第四編之七)。  修法空間を知るのには、仏教建築や仏画を見ていくのもよいでしょう。灌頂院や宮中真言院など。日本美術全集の六巻「密教」には藤井恵介氏が密教空間と修法の関係について図解や図版を含めて詳細に解説していますから、よろしければどうぞ。大方の図書館に蔵書されているかと思います。密教や仏画の美術全集などもご覧下さい。具体的なイメージが沸きやすいと思いますよ。

参考URL:
http://www.tuuhankan.com/goods/D0298.htm
alchera
質問者

お礼

色々興味深い言葉を挙げていただいてありがとうございます。 そしてすみません、質問文のポイントがずれていました。 一番知りたい部分は法要<葬儀・追善供養をいう。法事。法会。法用。>でありました。しかし、年間の宗教行事も押さえておきたいところだったので、挙げて下さった言葉をキーワードにして、またちょっと探してみようと思います。 仏教建築や仏画はちょこちょこ見ておりますが、今は言葉で説明されたものを捜しています。 ご回答ありがとうございました。

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