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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:アイデンティティーを否定しても私は私だ)

アイデンティティーを否定しても私は私だ

amaguappaの回答

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  • amaguappa
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回答No.12

シフトさんのおっしゃるのは、アトリビュートです。 アイデンティティというのは、己が他人ではなく己だということのみを指します。 他人の記憶とすり替わっていると訴えたり、 感じたり信じたり願ったりしているのは自分ではないと訴えたり、 経験の中心に他人が居ると訴えたり、 しないことです。 ヒト以外の動物にもアイデンティティがあります。 シマウマやトムソンガゼルを食らうライオンが、 自分には食欲がなかったのだけれど、 というような認知不協和を起こすことはまずありえないでしょう。 また、逃げなくちゃ捕まって食べられちゃう、とばかりに ライオンがシマウマに混じって逃げ走ることもありえません。 山の動物も里の動物も、 餌場、排泄場所は縄張りとして、自己の中心性や生存の優位性の保全につとめねばなりません。 そうして得られる睡眠や生殖の条件が、動物のアイデンティティを支えているのです。 何にもすり替えられないものです。 他の動物に比べ、ヒトは、大脳が発達しすぎています。 ヒトは非常に多くの予測を常に抱えており、また、習慣性も甚大に持っていますから、 いわゆるゴールの微細な揺れに応じた、繊細な自己焦点化をおこなうのです。 痴呆症や認知障害や記憶障害のケースで人がどうするかというと、 状況のつじつまに合わせて自己を修正するのですから、驚いたものです。 当てにならない不確かさということで言うならば、 「私」が何者であるかということよりも、 今その瞬間のその場しのぎで、他者から見える自分を 状況に合わせて取り繕える能力が優位に残るということのフレキシブルさのほうが ヒトという存在をまざまざと照らしています。 それこそ、自分がライオンなのかシマウマなのかわかっているし、他の犬の尻を嗅いで縄張りを保持することもわかっているという具合で、 ボケてもとぼけても忘れても、迂遠やまわりくどさを経て利益を自己の方向へ絞ることができるのです。 それは、ヒトのアイデンティティがぶれていないことの証なのです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 属性という考え方はよくそれを表現していると思いました。 もう少し思索にふけろうと思います。

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