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宗教的視点と哲学的思考

薬を飲んでも治らないなら、うつ病の原因は心理的なものだと考えるのは妥当な考えだと思われないでしょうか。 ある日突然うつ病になったわけではなく、心理的なストレスと不安の蓄積が今のうつ病と診断されるにいたる経緯ではないでしょうか。 学者の言う脳内のセロトニンがどうのと言うのは結果論であって、始めは心理的な要因だったはずです。 ですから、薬でストレスや不安をどうにかしようというのは極限状態にある人に対しては良しとしても、通常の治療方法として正しいとは思えません。 うつ病の原因は自分自身に対する無理解と思います。 同じストレスを感じても人によってその受け止め方が違います。 受け止め方が下手な人がうつ病患者には多いだろうと思います。 極端に自分をのは正しい思考とは言えません。 そういう自分自身の思考を自覚し修正する作業が必要なのではないでしょうか。 これはうつ病に限らず、どんな人にも言えることです。 自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 宗教的視点と哲学的思考が生きる上でどんな人にも必要なのではないでしょうか。 古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 宗教的視点と哲学的思考なんてうつ病患者には無理だという意見もあるでしょうが、 他人が治せる病気ではないのは明らかです。 自分を理解することに遅いは無いはずです。 皆さんはどう考えるでしょうか。

みんなの回答

noname#155457
noname#155457
回答No.5

あなたの意見には大賛成です。 ウツ病は病気ではなく、恐怖症だと思います。 ウツ病になる人を観察すると、定年の人や暇になった人、よく考え込む人に多いようです。 人間は考えると悪い方悪い方へと考えがちです。 そこで、ウツ病の人の修行法です。 まず、暇なときに座禅をします。意識を鼻にかけ、何も考えないという修行です。何か考えてしまったら、最初からやり直しです。 これを何度も繰り返すとかなり長い時間何も考えないことが出来るようになります。これを『無想定』といいます。 さて、ウツ病の人は夜中が問題です。夜寝付かないときに不安なことを考えてしまうからです。また、夜中に目を覚ましたときにも、不安なことを考えてしまうのです。 そのときは、フトンの中でこの『無想定』を行うのです。失敗したらまた始めから、何度も繰り返す中に眠ってしまいます。 これで、ウツ病は克服できるでしょう。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとう御座います。 私は時々自分は本当に考えているのだろうかと思うときがあります。 考えているのは私ではなく、脳であると。 脳が考えていてそれを私は映画を見るように見ているだけなのではないかと思います。 だとすれば脳が何を考えようと私の知ったことではないともいえます。 考えに振り回されないコツは昔からあったのだろうと思います。 宗教を否定することによりそういう知恵も否定されてしまったのでしょう。 現代人はゲームのルールを知らずにゲームに参加しているプレイヤーだとつくづく思います。

回答No.4

#3です。悟りをいいたいのですか。悟りとは、何だと思いますか。悟りは、人間の愚かさを理解した人が、人間の欲望の罪を認め、許すことだと思います。人間の醜さを知った自分が、苦しんでいる人を助けることだと思います。 うつは、いろんなものを、教えてくれました。死がとても近くに感じられ、怖かったけど、人間を教えてくれました。 でもあれが、幸せか。あの恐怖が幸せか。絶望が幸せか。つらかった。 みんなが知らないことを知ってるって幸せなんだろうね。でも思います。あの頃の自分を助けてあげたいって。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 悟りへの道は人が人である以上避けられないと思いますし、それが人であることの理由だと私は感じます。 悟りとは自分を含め、世界を理解することだと思います。 その過程で人の愚かさや弱さを知ることもあるでしょう もしそれを乗り越えられれば、他人が同じように苦しむことに対して助言することも出来るでしょう。 幸福を感覚的なものだけで捕らえるならばそれを失った時のむなしさが付きまといます 貴方はウツを乗り越えたまれな人間です。 それは間違いないことです。 総体的な幸福を求めるのが人のありようだと思います。 そうでなければまた自分自身で作った狭い世界にとらわれてしまうのではないでしょうか。

回答No.3

まったく、その通りです。深層心理対表面的自分の戦いです。深層心理が正しく、表面的自分が間違ってます。本当は、誰でも自分が弱いことを知っているのですが、それから逃げるから、理解してと心が叫ぶ状態なのだと私は、思ってます。私も、19年まえうつになり、哲学、心理学を勉強しました。自分を知る為にです。そして深層心理(本当の自分)を理解したらうつは、消えました。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ウツになる最初のインパクトは外的なものかもしれませんが、それを持続し増幅したのは内的な要因でしょう。 そういう理解を進めることはそもそも人の精神が目指すところであるはずなのです。 それはとても宗教的な意味があると思います。 それをする必要に迫られているうつ病患者はある意味で幸せなのかもしれません。

noname#178692
noname#178692
回答No.2

うつ病にかかることだけでなく、 うつ病にかかったことで、いろいろな問題が出てきますよね。 そういった心配事も加わって、うつ病が長引いていくって聞きました。 病気ゆえに、経済的社会的問題も出てきてしまう。 だから、そこらへんも相談に乗って欲しいところ。 ただ、病院は症状を聞いて診断をして薬を出すだけです。 私の時もそうでしたが、相談にすら乗ってくれる先生なんて ごくごく少数です。その場合は医者と患者でなく人間対人間であって そんな感じです。でもそこまでは聞いてはくれません。 彼らは基本、薬を出すのが商売です。 心理的と言えば、医者でなくてむしろカウンセリングの方かとは思います。 で、カウンセリングとは何かっていうと、自分が落ち着いていくために 話して整理して時にはアドバイスをもらうってことかと思います。 そしてようやく自分がうまく考えられるようになる。 質問は宗教的視点と言っていますが、それで自分の気持ちのもやもやが 収まるならそれもまた必要なのかもしれないと私は思いました。 本当の自分を見つけるってのは、真我教室なんてのもありますが、 ウツはどうだったのかわかりませんが、まあ、前向きになるのかもしれません。 宗教みたいですが、これは宗教ではないらしいです。 ホームページでも開いて一応無料音声でもダウンロードしたらいかがでしょうか? 何か好きに書いてしまったような回答ですみません。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 この分野に関して医学はほぼ無力だと思います。 私は哲学系なのでそもそも医者の出る幕ではないとさえ思うのです。 自分のことは自分で何とかする、私はこの事実だけで十分満足です。

noname#171471
noname#171471
回答No.1

>自分自身を理解するために必要な道具が宗教と哲学だと思います。 >古い手法ではありますが、今のところ宗教的と哲学的がうつ病を治す唯一の方法だと思います。 このあたりがあまり説得力がないので賛同できない。 貴方が宗教と哲学を重視していることはよく伝わってくるが。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。

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