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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:神っていうのはそういう種族なのですか?)

神とは?神の存在意義とは何か

このQ&Aのポイント
  • 神とは、人々が信仰し、願いを叶えてくれる存在として崇めている存在です。
  • 神には宗教によってさまざまな名前や性質がありますが、共通して求められるのは何かしらの見返りです。
  • ただし、神がいるだけでは意味がなく、信仰者は願いを叶えてくれる存在として神を崇めています。

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  • job331
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回答No.3

ほぼすべての宗教が「神仏」などを信仰していると思われます。 神道ならアマテラスやその他の八百万の神。仏教の神は、仏の守護神。 一神教なら、ヤーウェ、キリスト、アラー。 東洋の多くの宗教、仏教や神道やヒンズー教などでは「神」は多数います。多神教です。 人のような生物ではありませんが寿命があるとされていることが多いです。 それでも寿命300年とか5000年とか、人間とは桁違いに長いらしいですが。 多神教の場合は神にもピラミッド式に何段階もランクがあって頂点の神を最高神とすることが多いようです。 大乗仏教の場合は如来という仏が最上級で次に菩薩、明王と続き、四番手が天という神々です。毘沙門天や弁財天です。 確かに現世や来世での利益を求めて神に祈ったりするのでしょう。 「極楽」の場合は極楽浄土ですので浄土宗や浄土真宗の阿弥陀如来という仏を信仰するようです。 「天国」の場合は、ユダヤ教やキリスト教やイスラム教の神、唯一の神を信仰します。 唯一の神を信仰している一神教の場合は、神は必ず一人だけです。他の神を一切認めません。 ですので、一神教の場合は種族とは言えません。 見返りを求めるのはその通りですが、反面、悪いことが起こらなかったときに感謝の祈りをする対象でもあります。 このあたりは「神」がどういう神なのか、また宗教や宗派によって違うようですが、 確かに人間の思いを伝える相手であることは間違いないようです。 例えば、ユダヤ教の場合は、昔から隣国から侵略されることが多いユダヤ人の国だったため、 聖典の旧約聖書には、自国を攻める国が滅びるように神に願う言葉がかなりあります。 キリスト教の場合は、天にいる唯一の神と、神が人々を救うために使わした神の子であるイエス・キリストと聖霊は三位一体であるとします。 日本の神道には八百万の神がいます。神道では人を神格化することがかなり多いです。 徳川家康は東照大権現という神で日光東照宮で奉られています。明治天皇なら明治神宮に奉られています。 神道的なのは、政争に敗れて無残な死を遂げた人物の祟りを恐れて、神としてしまうケースです。 菅原道真(太宰府天満宮・北野天満宮)や平将門などがそうです。 死後にたたりや怨霊を恐れて、人々が神として神格化し、崇めることで怒りを鎮めるということです。 これも信仰するのは怒りを静めるという見返りですが、昔は自然災害や飢饉などは怨霊やたたりのせいだと思う人が多くいたので これは菅原道真のたたりに違いないだろうと思う人も多かったのでしょう。政争でやむを得ず不幸な死に追いやってしまった側の人々の 後ろめたさみたいな心情が生み出した神ともいえるかもしれません。 他にも神は多数います。土着の民間信仰などを加えると世界では数えきれません。 こちらに神の一覧が掲載されていますので参考にしてください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

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その他の回答 (11)

  • tonimii
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回答No.1

お金持ちに少しだけお金を恵んでもらう。そういうような考え方なのではないでしょうか? 古来狩猟民族などは、狩りで得た獲物はみんなのもので、みんなで食いつないできました。 ひ弱な人間は狩りも上手な人間から食べ物を分けてもらっていました。それが普通だったのです。 神様という全知全能の存在に少しだけ力を分けてもらうのがお祈りであり、それが普通のことだったと思います。 それから少しして稲作が始まり、食料を貯蔵するようになってから、誰の物かという所有、占領が始まったとされています。 なので、お祈りに関しては力のある神様から少し力を分けてもらうという極普通のことなのです。 次に、神様の存在意義に関してですが、ここ日本においての神の定義はすごく曖昧です。 なんせ八百万も神がいるとされているわけですから、あなたの言うとおり神という一つの種族のようだったかもしれませんね。 私の考えとしては、昔の人の神様という存在はすごく人間に近しいものだったと思います。 雷のことを神のいかずちと言ったり、雨のことを神の恵みと言ったりします。 人間にはなしえないことは全て神様が起こしたとしているようです。不運であれば試練、幸運であれば恵み。人間は良いように解釈していますね。 神様というのは、説明しがたい偶然や運命的な部分の「空白」を埋める存在なんじゃないでしょうか? 世の中に存在する全ての物には理由がある。という観念があるからです。

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  • 我が神について語ってしんぜよう。

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