日中戦争の真相とは?

このQ&Aのポイント
  • 日中戦争について若干興味がありまして、調査しています。実際のところ、日中戦争の真相はどうなのでしょうか?
  • 日本兵と中国兵の話によると、どちらも残虐性を持っていたようです。しかし、ネット上の情報は信憑性に欠けるものが多く、詳しい情報が得られない状況です。
  • しかし、政治的な要素や感情論を排除して客観的に考えると、便意兵処理や食料徴収以外では、日本軍の行動はあまり悪いとは言えないかもしれません。ただし、戦争末期の食料徴収は非常に厳しいものであったと言われています。
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日中戦争について

日中戦争について若干興味がありまして、調査しています。 実際中国兵側の話を聞くと、日本兵は残虐だった、でも共産党の方がもっと残虐だったとの話もあります。 日本兵側の話を聞くと、略奪虐殺は事実であり悪いことしたなと反省しているとの話もあります。 方や日本軍支配が一番よかったという中国人証言もあれば、方や南京で豪遊して来ましたという日本人もいます。 ネット上では日中英三ヶ国語の資料がまったくのデコボコで、信憑性のかけらもないのです。調査不足かもしれませんが。 政治的策略・感情論無しで言うと、全体論的に実際のところはどうなんでしょうか、個人的な考えでは、便意兵処理・食料徴収以外はそんなに悪いことをしてないと思います。戦争末期の食料徴収はほんとにひどかったらしいと聞きますが。

noname#189001
noname#189001
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  • paddrink
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回答No.12

戦時中の中国大陸の状況似ついて書かれた書籍の多くは、バイアスの強いものが多いですね。 出版物の年代的にバイアスも異なります、 戦後から昭和28年頃の占領下では、検閲や公職追放、思想誘導が行われていたので、日本軍の残虐性が強調された書物が多いですね。その後昭和40年頃から従軍した後帰還し、戦後復興に尽力され退職された方々が自費出版などで戦争体験を綴った書物が刊行されます。同時にその時期は2.1ゼネストから学園紛争など共産主義が幅を利かせていた時代で、学生のアパートにはゲバラのポスターが貼られていた時代です。社会運動家が拡大再生産された時代です。彼らは戦前の日本を「保守反動」と叫びベトナム平和運動の影響などから中国共産党へ接近していきます。中国政府の主張を妄信し、文化大革命を礼賛したグループなどが日本軍の残虐行為を主張しています。目的を持った運動ですから、歴史的事実よりも、社会変革を最終目標にしています。目的達成にためには、さらに残虐な表現が必要になってくるのです。残虐な写真を探して、学校の副読本などに掲載して次世代をになう子供たちに刷り込みを行ったりしていた訳ですが、(私もその教育を受けた) 2000年頃小林よしのりの「戦争論」が発売され、虐殺の写真が捏造であることが証明されると、虐殺があった派となかった派で論戦が始まって、現在に至っています。 現在はの残虐行為を強調する書物もありますし、それを否定する書物もあります。 虐殺行為を写した写真が捏造だと指摘されると、次の証拠写真が提示され、 いたちごっこが繰り返されています。 できるだけ戦争に実際に参加した方の文章を読まれることをお勧めします。 昭和40~60年頃には、中国大陸で活躍した多くの方々が本を出版しています。 現在は古本屋でしか入手できませんが、政治的な色眼鏡で見たり、都合の良い話を寄せ集めた論説より実情がつかめると思います。 憲兵だった方、一般の兵士だった方、特務機関、中国人に混じって活躍した大陸浪人 連隊長クラスの方等、様々な立場、それぞれの地域での実体験を読むことができます。 私も、できるだけそのような書物を古本屋で探しては読んだりしていますが、体験談は様々です。 戦友とともに苦労した話、現地の中国人との信頼関係により命を助けられた話、 信頼していた中国人部下が八路軍のスパイだった話、空腹に耐えかねて猫を調理して食べてみると美味しかった話、 内地から新しく着任した士官は、中国人に対する偏見が強く、潔癖性的性格で現地人とも溝を大きくしてしまい結局反日感情に油を注ぐ結果となる。 清野作戦で、敵が食物を隠して逃走したものを、中国人を雇って探させると次々に発見し、飢えをしのげた話。 ある難民の集団が軍隊に遭遇すると、どこの軍隊であろうと皆殺しを避けるために、女性は進んで下着を脱ぐ。 人身売買、麻薬取引は日常で、若い男は八路軍や軍閥、匪族に拉致される。 個人的な見解ですが、 運動家が主張するように、虐殺や強姦を繰り返していては、住民の反感をかって占領を続けることはできなかったでしょう。 終戦後、武装解除した日本軍は報復でとんでもない眼にあっていてでしょうが、満州以外は無事帰国しています。 世界的にみても大量虐殺のあった民族紛争では、その後100年経っても怨念は残ります。 現在のように、日本の企業が中国に進出などできるはずがないでしょう。 東条兵団が蒙古方面へ進撃したチヤハル作戦があります。 萬全県城という張家口の近くの街では進撃してくる日本軍を歓迎し、城門を開き迎え入れましたが、油断した瞬間に城門を閉じ日本軍を皆殺しにしましました。日本軍は報復として現地の住民多数を処刑したために、終戦までその萬全県城は反日感情が強く、日本軍は少数では近寄れない地域でした。 最近ののアフガニスタンでも、アメリカが現地人を刺激すれば、報復テロが繰り返され、治安維持に多数のマンパワーと補給を必要とします。 チェチェンなど、ロシアに比べれば小さな地域ですが、住民に対する虐殺や強姦で、モスクワの地下鉄までテロの標的にされています。

その他の回答 (12)

  • jpstyle
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回答No.13

まあ、戦争ですから、民間人の主張する兵隊への不満はそんなものじゃないですか。 日本軍はひどかったが、中国軍はそんなことない、なんてことはありません。 また、歴史感や正義は国により異なるのが当たり前です。

  • k16399638
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回答No.11

>調査不足かもしれませんが わかっておられるのですね。より調査してから質問される方がよいかと存じあげる次第です。 便意の兵を処理したのですか。 私でしたら、臭いで敵にバレないように深い穴を掘ってからするように、と言います。都会などで社会インフラが整っているところだったら、さっさと所定の場所でしてこいと言うでしょう。 ヘンなところで勝手にさせたら、衛生上の問題が生じると思います。 水源とか房炊関係の部門が近場だったら、なおさらです。 国家の規定した軍事組織に所属し定められた制服・徽章を身につけるべき状況下では、所属不明の敵対者は処理しても、国際法上問題ありません。 便衣兵などがこれにあたりますね。 ちょっとちがいますね。便意と便衣。 なので、政治的策略とか感情論の前に、便意と便衣の違いをわかるようになってください。 便意については、ここがくわしいようです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E6%84%8F >便意(べんい)とは、大便がしたいという感覚のこと。 ……誤解しようがない、直球の説明ですね。便利な世の中です。 漢字は表意文字という文字形態で、文字そのものに意味があります。日本語が表現に優れているのは、この漢字と、ひらかな、カタカナという3種類の文字を融合して使うことにあるといいます。 便衣については、ここがいいでしょう。わかりやすいですよ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%BF%E8%A1%A3%E5%85%B5 ああ、日中戦争と右上の欄で検索したら、直撃しました。お読みください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89 大きな書店のアジア・中国関連史のコーナーにいけば、得るものはより大きいと思います。

回答No.10

 純然たる個人的見解ですが。  中国の方が残酷だったと思っている。  日本では「安寿と厨子王」に見られるように、常にみんななかよく式の発想で、獣の血さえ見るのをいやがってきた歴史がある。  一方で中国は植民地の集合体のような国なので、これまで中国人というものがそもそもいなかった。そこにいたのは満州族とかモンゴル族とか競争相手の異民族が同居人。なので一方が一方を根絶やしにするような激しい弾圧がおきやすい。  そこへもってきて共産主義というのは理論として、唯物的に人間をモノとして見ているので、親子などの関係を否定することになる。だから共産国家の人というのは使い捨て可能な単なる労働単位にすぎなくなる。  なので共産国の軍隊は突撃が多い。会戦で何人死のうが革命に殉じていればOK。紅衛兵運動の時にたくさんの知識人を血祭りに上げ、あげくのはてに人肉まで食った人間が残酷でないはずがない。  結局、事故を起こした列車を埋めてナイナイしたり、パクった技術の特許を取ろうとする事と根っこは同じだろうね。

  • mekuriya
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回答No.9

NO.2の続きです。一口にいえば質問者さんの視野は狭すぎる。日中戦争だけを調べたところで日中戦争を理解することは不可能です。 まず日中双方の軍人の出身階層を考察してみましょう。なぜなら、それが誰からも論じられていないからです。 日本軍の出身階層は明治時代と昭和時代で全く変わっています。明治時代の日本軍の出身階層は旧士族や旧卒族が中心で、武士としての教育、気風がまだ家庭に残っていました。いわば武士道で育った世代といえます。また陸軍は山縣有朋を大御所として長州閥がしきっていました。だから明治時代の日本軍は、よく統制がとれていたのです。 ところが日本軍はだんだんと変質していきます。 1921年のバーデン=バーデン、1922年の山県有朋の死去といった辺りがきっかけになって、長州閥が追い落とされて、陸軍士官学校の人脈が主導権を握るようになっていきます。軍人の出身階層が多様化するにつれて規律維持、統制維持が難しくなっていきます。人口過剰となった農村部の出身者が増えてきたからです。 一方、中国はどうなのか。国民党軍の出身階層は地主に雇われた暴力団、匪賊、軍閥といったあたりが出身階層です。「国民党軍に参加すれば、今までの罪は全部許される」という蒋介石に呼びかけに応じたチンピラの集まりです。蒋介石本人は高い教育を受けましたが、蒋介石が集めた兵士には教育などありません。共産軍は農村でかき集めた小作人の子弟が出身母体です。 結論として日中双方とも幹部と末端で想像を絶する意識レベルの差があったということは否めません。それは学力格差という生易しいレベルの差では無いのです。 日本と中国には2つの共通点があります。 一つは日本は戦後のGHQ時代に農地改革を実現し、中国は戦後の国共内戦時代に農地改革をしたことです。 もう一つは、日本は戦後の国語改革で新字体を創出し、中国は1960年代に簡体字を制定し、どちらも戦後に漢字を簡略化しているのです。 それらの政策は何の為だったのか。どうしてそうする必要があったのか。そういう問題意識を持たない人にはいくら調べたところで日中戦争を理解できる筈はありません。 邪悪な戦後教育は、軍がどうしたこうしたばかりで、戦前と戦後の社会の変化を何も教えていない。歴史の教科書は、明治時代を文明開化、殖産興業、富国強兵と教えていますが、それは都市部だけのことです。農村部は江戸時代と生活レベルがほとんど変わっていない。無知蒙昧な現代日本人にどこから説明すればよいというのだろうか。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 恐らく質問者様の問い掛けは「一つの史実に対し幾つもの史料があり、それぞれ“異なったこと”を述べている」。「このことから『歴史』を知るにはどの様なスタンスを採るべきか判断に迷う」との素朴な疑問から発生していると思われます。  この点に関して、一言で全てを表現しているのはNo.2の方です。No.1および3の方は「私の祖先の経験談」を根拠として言説を展開されているようですが、その「私の祖先の経験談」“も”一つの史実をある側面から描写しているにすぎません。こうしたことを「群盲、象を評ず」とされています。そしてNo.5の方も適切な表現をなさっています。「戦争が起きて、最初に犠牲になるものは何か。兵士でも、女子供でもない。最初に犠牲になるものは“真実”である」「尚、私も、戦争の生き残りに会って、色々聞いたことがあります。悪さをした、という人もいましたし、それどころじゃないという人もいました。ほんの数人ですから、全体像など解りません。」  ご自身の祖先の「名誉や尊厳」と「歴史の事実」は認識レベルでは相当の異差があります。また問題の本質も異なります。    >「ネット上では日中英三ヶ国語の資料がまったくのデコボコで、信憑性のかけらもないのです。調査不足かもしれませんが」。  この点に関して、ネットの書き込みは一部を除いて「史料としての信憑性に疑問符がつく」ことは既に常識です。客観的な史料を求めるならば、質問者様にとってはおっくうかもしれませんが、従来から使われている手法(みすず書房『現代史史料』や当時の新聞記録や映像資料などのいわゆる「史料」にあたること)や研究論文をお読みになることをお勧めします。その上で「二次史料」としての口述筆記や回想録の性質を理解された上で史料に接することが大切です。そして「史料から何を読み取るか」はその史料に対峙する者のスタンスに規定されます。「結論を補完するための材料」として史料や史実を認識するか、史料から明らかになった事実からどの様な歴史像を構築するかでは雲泥の差があり、前者は「プロクルーステースの寝床」として歴史学を志す者としては厳に慎まねばならない姿勢です。    さしあたって下記の物をお勧めします。 ・『東京裁判―第二次大戦後の法と正義の追求』みすず書房刊 ・『戦争記憶の継承―語りなおす現場から(青山学院大学総合研究所研究叢書)』社会評論社刊 ・『「戦争経験」の戦後史――語られた体験/証言/記憶 (シリーズ 戦争の経験を問う)』岩波書店刊 ・『戦争記憶論―忘却、変容そして継承』昭和堂刊

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.7

 結局のところ、当時の日本の国力の問題・政治決断の問題です。  戦争末期どころか、1940年ごろからの補給不足は相当なものでした。  兵個人の資質や記録の精度に帰結してしまったのでは、戦死した何百万の日本兵、日本兵と戦って死んだ外国兵・その戦いに巻き込まれた多くの民間人の犠牲が無駄になってしまいます。 <1900年頃の日本の常識>  日本は、日清・日露両戦役を経て、当時の「帝国主義列強」の一角に食い込み、『一等国』としての立場を獲得しました。  従って、第一次世界大戦では、中国で捕虜としたドイツ・オーストラリア兵を、長期に渡って捕虜収容所に収容しましたが、人権問題はほとんど起きず、捕虜となったドイツ人が、戦後に捕虜生活から解放された時、日本に帰化するというケースもありました。  青野ヶ原俘虜収容所 http://www.city.kasai.hyogo.jp/02kank/08sisi/huryo.htm  坂東俘虜収容所 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BF%E6%9D%B1%E4%BF%98%E8%99%9C%E5%8F%8E%E5%AE%B9%E6%89%80    捕虜でも遠足があり、給料が支給され、お酒も購入できた。捕虜に市価よりも高額に物を売り付けた日本人業者が、処罰された例もあるそうです。  岡村寧次大将資料によれば http://www.geocities.jp/yu77799/okamura.html  嘗て聞いたところによれば、北京附近の中国古老は、団匪事変のとき、欧米各国兵が掠奪強姦の限りを尽くしたのに、ただ独り日本兵のみが、軍、風紀森厳にして寸毫も冒すことなかったことを回想し、どうして今の日本兵がかくも変わったのかと痛嘆したという。  注:団匪事変=義和団事件(1900年) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1  その後、満州事変に始まる長期にわたる中国大陸への出兵で、日本国内の生産主力となる労働力が、兵役に就いたことで減少し、日本国内の生産力が停滞。 (満州事変時の日本陸軍兵力は45万人。太平洋戦争開始時はその4倍の190万人らしい)  戦前の日本の総合的生産力のピークは、1937年。  戦争の長期化による経済力の限界に対して、1938年国家総動員法を制定。  1940年に日本国内で食料配給制が始まっている。  真珠湾攻撃は、1941年12月なので、既に戦場に対する物資補給に支障をきたしている状況で、アメリカとの戦争を開始したことが明らか。  当時の一般的アメリカ人の感覚では、中国との長期の戦争で、日本は経済的に疲弊しており、アメリカに対して開戦するだけの余力はないとの見る人も多かった。  ベトナム戦争では、長期の戦争による戦費負担で、アメリカ経済が弱体化し、「ドルショック」が発生。  イラク・アフガニスタンへの長期派兵による戦費垂れ流しで、アメリカ経済がバブル化、更に資本のグローバル化によって、世界中にバブルが拡大。その後遺症で、現在世界経済がおかしくなっている。  それ位、渡洋して他国国内で長期戦争を行うというのは、国家経済を疲弊させる。  1938年の「国家総動員法を制定しなければ戦争維持ができない状態」というのは、本来は「軍を撤退させなければならない状態」ということ。  しかし、その後も7年に渡って、補給の難しい内陸部に侵攻を続けたために、多くの人権問題が起きたのです。  他国に侵攻した軍隊において、  ・戦闘状態のまま、1年以上も最前線に配置され、新規部隊との交代スケジュールがなく、負傷又は戦死しない限り、帰国できる目処がない。  ・娯楽はほとんどない。  ・補給が極端に欠乏し、食料は現地調達。  軍の食料が不足し、現地の民間自家用食料を調達する場合、必然的に、家庭にいる婦女子からむりやり食料を取り上げることも多くなる。(自給自足経済の農村部では、自家用食料を持っていかれると、村落を捨てるしかなくなるので、民間人も必死で抵抗し、食料を隠す。)  そのような状況では、女性に暴力をふるうのも日常化しやすい。 ※何のための侵攻作戦か  食料の強制的現地調達が必要なほど補給が弱体化した場合、占領地の統治安定化は不可能。つまり「軍事作戦を継続」する政治的意味がなくなってしまう。  つまり、政治的には「撤退」以外に選択肢がなくなる。  その状態になっても、政治的決断が出来なかったこと=戦い続けたことが、問題  ・バブル経済前に、国の借金が200兆円になった時、財政再建と言いながら、20年かけてその借金を1000兆円に増やしてしまう。  ・事故が起こるまで、原発の安全性を本気で検証しない。    日本の『政治決断ができない』という体質は、現在も変わっていないようだ。 

  • pluto1991
  • ベストアンサー率30% (1987/6587)
回答No.6

沖縄上陸作戦で洞窟に逃げた人たちが、 「アメリカ兵に捕まったら、死ぬより恐ろしい目にあうぞ。日本が中国でやったのと同じ目にあうぞ。 そんな思いするなら、捕まる前に自決したほうが幸せだ 」 って言われてみんな自決したんですよ。 強姦、暴行、虐殺、細菌兵器の人体実験とかのことですよね。 「戦闘行為、便意兵以外は一人として殺していない」 みたいな言い方で「悪いことは一切していない」と主張する人がいますが 絶対とかゼロとか、そんな話はあるわけがないし、では、 「したとしたらどんな程度だったのか」と聞かれれば、私にはわかりませんが。 食料徴収、って、略奪のことですね。

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.5

こういうのは、比較の問題であり、全体の問題だ ということです。 何万も、何十万もの人間がいるのですから、 中には紳士的な人もいるし、極悪人もいます。 それは軍隊でなくても同じです。 つまり、他の国に較べてどうだったか、全体としてどうだったか という問題です。 本当の真実を知りたかったら、生涯をかけて自分で 調べることです。 ネットなどのバイアスがかかった資料をいくら 調べても何も解らないでしょう。 それが出来なければ、適当な処で納得する他ありません。 戦争が起きて、最初に犠牲になるものは何か。 兵士でも、女子供でもない。 最初に犠牲になるものは「真実」である。 と言われるぐらいですから、生涯をかけて調べても 真実には到達できないかも知れませんね。 ただ、疑いのない事だけを述べてみます。 1,負けた側は悪者にされる。  その為、負けた側の行為は悪辣非道だ、ということに  なりやすい。  そして、戦勝国の被害が過大に報告されることがある。 2,南京などがあったとされる証拠にはインチキが多く  それについて、提出側は何も釈明しない。 尚、私も、戦争の生き残りに会って、色々聞いたことが あります。 悪さをした、という人もいましたし、それどころじゃない という人もいました。 ほんの数人ですから、全体像など解りません。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6343)
回答No.4

なんでもそうですが、結局民度の問題だと思います。 いまの日本人が戦争をしたとして残虐な虐殺や略奪をするでしょうか。では我らのお父さんは、我々とどれだけ違うのでしょうか。我々はお父さんたちから教育を受けました。お父さんの世代の日本人が特別残虐だったなどということがある筈がありません。 東北の地震で日本人が見せた冷静沈着な行動は世界を驚かせました。そのような日本人のお父さんたちが無抵抗な民間人の殺戮や強奪をするとは考えられません。 そりゃ戦争という狂気の中にありますから一部の日本人兵士には無茶をやった者もいたでしょう。しかしそのパーセンテージはソ連軍がドイツに攻め込んだ時の残虐ぶりと比べれば可愛いものです。ソ連軍はベルリンに攻め込んだ時、強奪と強姦の限りを尽くしたそうです。ロシア人はナチスドイツに攻め込まれ2千万人を殺された恨みがあり、将校も兵士たちの強奪、強姦を止めなかったそうです。

  • muses_c
  • ベストアンサー率25% (21/81)
回答No.3

>NO.2さん では意味深なことを言い放つだけではなく、あなたの話もお聞かせ願えませんでしょうか。 私は祖先の経験談からそう結論を出したのですが、いかほどの正確な情報を握っておられるのでしょう。

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