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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:奥の細道 平泉 品詞分解)

奥の細道 平泉 品詞分解

noname#160411の回答

noname#160411
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回答No.1

三代 の 栄耀(えよう) 一睡 の 中 に して、 大門 の 跡 は 一里 こなた に 有。 秀衡(ひでひら) が 跡 は 田野 に 成 て、 金鶏山 のみ 形 を 残す。 先 高館 に のぼれ ば、 北上川 南部 より 流るゝ 大河 也。 衣川 は 和泉が城 を めぐり て、 高館 の 下 にて 大河 に 落入。 泰衡(やすひら)ら が 旧跡 は、 衣が関 を 隔て て、 南部口 を さし堅め、 夷(えぞ) を ふせぐ と みえ たり。 偖(さて)も 義臣 すぐつ て 此 城 に こもり、 巧妙 一時 の 叢 と なる。 「国 破れ て 山河 あり、 城 春 に して 草 青み たり」 と、 笠 打敷 て、 時 の うつる まで 泪 を 落し 侍り ぬ。 夏草 や 兵(つわもの)ども が 夢 の 跡 卯の花 に 兼房(かねふさ) みゆる 白毛(しらが) かな 曾良

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