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他力回向とはどういう意味ですか?

親鸞聖人の教えの特徴としてあげられる 他力回向とはどういう意味ですか? その中には往相と還相があるとかいてあるのですが よくわかりません。 誰かわかる方でわかりやすく説明して頂けませんか(>_<)?

みんなの回答

  • mibuna
  • ベストアンサー率38% (577/1492)
回答No.3

他力回向とは阿弥陀如来の働きで成仏する事です。 なので高速道路を無料通行して逮捕されても、海水浴場で財布を盗んでも 未成年との淫行で逮捕されても極楽往生間違いなしです。 (この逮捕された人たちは浄土真宗の坊主です) 還相回向は真宗禿の妄想です。 極楽浄土から現世に戻ってきた人は何処にいるのですかと聞いても 絶対に答えられません。空想だからね~。

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  • asura3
  • ベストアンサー率27% (3/11)
回答No.2

そもそも回向というのは、善行が影響を与えて、伝わっていく感じのことらしいですね。 で、「往相回向」は、「自分の善行によって、人へ良い影響を与えて、結果として、みんなで浄土(天国)へイキたいもんだねぇ」という感じの願いで…… 「還相回向」というのは、「浄土へ往生した(天国にイッちゃった)奴らを、もう一回、この世で救われない奴らを救うために、戻しちゃいたいなぁ」みたいな願いのことらしいですわ。 ただ、親鸞の考えでは、いずれも「末法の衆生は、回向すべき善行を完遂しえない」という風な感じで、「世も末な感じの一般ピープルには、ムリじゃね?」と考えたらしいですね。 つまりは、往相・還相のいずれも阿弥陀仏サマのオチカラ(本願力)が必要で、「仏サマの側から一般ピープルに対して、良い影響が伝わって(功徳が回向されて)イクんだろう」と思ったらしいですね。 で、この、仏から一般ピープルへの影響の伝わりのコトを、「他力回向」というらしいですわ。 結局、この「仏サマのオチカラ」が「他力」である、ということですな。 なので、「そのことを信じて、オイラは阿弥陀仏サマに帰依します」っていうのが、「南無阿弥陀仏」ってことなんでしょうか、ねぇ。 と、ウィキペディアを見て、たぶん、そうかなぁと思った解釈を書いてみました。 けど、合ってるかどうかは知りません。分かりません。 が、質問者サマに回向が伝わることを祈っております。です。はい。

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noname#180427
noname#180427
回答No.1

これはねぇ・・ここで軽々に説明出来る人はいないと思いますよ。 まあ、浄土宗のお坊さんなら別ですが・・・・。 聖人様の教義の核心ですから・・・・ URLの貼り付けくらいの回答をする方はいるかと思いますが。 上面の解釈は可能ですが・・さて、どうでしょう? 「他力回向」については、「情けは人のためならず」と言う言葉が、 ありますね? 信じる心は、自分のみならず、他の人をも幸せにする・・と私は、 理解してますが・・・自信ありません。 あなたの言われた、往相、還相、回向にリンクする言葉です。 あなたが本当に理解したいのなら、お寺さんに行って住職さんに、 お話を聞かれたら如何でしょう。

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