• ベストアンサー

釈尊とマハーヴィーラは話した事があるんでしょうか?

neil_2112の回答

  • neil_2112
  • ベストアンサー率73% (196/268)
回答No.3

「沙門宗教」というのは、ある特定の教義や宗派のことをさすのではありません。一般的に、沙門というのは当時の常識であったバラモンの教えに納得せず、遍歴しながら思想したり教えを広めた人たちの総称です。三百六十三見などという言葉も残っていますから、相当な数の人たちが、思想と発表の自由を旗印にして様々に活動したわけです。彼らをまとめて「沙門」と呼ぶのであって、沙門という教えがあるのではありません。 現在知られているものは少ないのですが、その考えの中身はかなり雑多で、ただの懐疑論や快楽主義といったものもあります。ただ、少なくとも共通しているのは、バラモンの権威に対して自由にふるまった人たち、ということです。宗教としての側面からざっくりまとめれば、「人の清浄さは生まれによって決まる」としたバラモンに対し、沙門とは「人は生まれ以外のものによって清浄となる」と考えて実践した人たち、と考えればわかりやすいと思います。 その中でも、ジャイナ教と仏教は「行いによって清浄となる」ことを目指した点で共通し、またいろいろな相似点があることはご承知の通りです。ただ、開祖同士の接触は恐らくなかったのだろう、というのが一般的な見方でしょう。二人とも没年自体が不明で、諸説により150年もの開きがあるのが現状ですが、ジャイナ教の正統な教学では、確か開祖の没年を紀元前527年としていたと思いますので、それに従うなら恐らく、お釈迦さんとは直接には時代が重ならないことになります。 恐らく両者が似ているのは、直接の交流のせいではなく、時代性と地域性を共有したことによるのでしょう。たとえば中村元先生は、かつて古代インドの思想の研究のなかで、地域や時代が近いこの2つの宗教が似るのはいわば当然としたうえで、ひとつの可能性として、当時の(沙門でなく)バラモンの遍歴修行者らの言説を半ば半面年教師としてジャイナ教が教えの骨格を説き始め、仏教もそこから多少の影響を受けたのではないか、とされています。 論点がずれるのでここでは触れませんが、似ているとされる2つの宗教が後に全く違う道を歩み始めることから、むしろ両者の質的な違いのほうに着目した興味ぶかい論考もいくつもあります。色々とお調べになってみると理解が深まって面白いのでは、と思います。

noname#177175
質問者

お礼

>彼らをまとめて「沙門」と呼ぶのであって、沙門という教えがあるのではありません。 やっぱりそうですよね。そもそも沙門宗教という言葉は適切なんでしょうか。 当時のインドの土壌にあった沙門思想のなかから仏教もジャイナ教も生まれた、というなら解かりますが 「沙門宗教」という共通の親といわれますと何か釈尊とマハーヴィーラに影響を与えた、一つの宗教があったかのような印象を受けました。 実際は反バラモン思想という共通点はあっても千差万別、各々がまるで異なった思想を持ってたわけですし 沙門宗教という言葉には若干の違和感をおぼえます。 >恐らく、お釈迦さんとは直接には時代が重ならないことになります。 そうでしたか。中村元さんの本を10冊位読んだのですが、そのような記述はなかったので、どうだったのだろう、と疑問が起こりました。 neil_2112さん、回答ありがとう御座いました。

関連するQ&A

  • ジャイナ教におけるゴータマ・ブッダ

    ジャイナ教ではゴータマ・ブッダや仏教はどのように言及されていますか? 出典も教えてください。

  • 縁起はサーリプッタが説いた?

    縁起をゴータマは説いておらず、 サーリプッタが説いたのでしょうか? 一応、縁起の話をサーリプッタは、アッサジから聞いていますが…。 宮元啓一の「仏教誕生」講談社学術文庫によると 129ページ 「サーリプッタはその後、仏教教団の上首として、仏教を各地に伝えるのに多大の功績を挙げた。また釈尊がごく簡潔にしか説かなかった縁起説をより精密に整備展開するのに熱心であった。ある学者たちはのちにかなり形而上学的となる縁起説の基礎を築いたのはサーリプッタであり、その意味で、仏教は、かなりの程度、サーリプッタ教といっても過言ではないという。現に、ジャイナ教の古い経典で、往年の聖者たちを列挙した『イシバーシヤーイム』によれば、ブッダと呼ばれる多くの聖者たちを率いていたのは、サーリプッタであった。」 185ページ 「縁起説は、釈尊よりも、むしろサーリプッタによって大きく育まれたものらしいことが最近の研究で明らかになりつつあること、縁起説は非常に形而上学的なものに転じていったこと、これらが、ここで縁起説に特に触れない理由である。」 引用ここまで。 それからどうやらジャイナ教のイシバーシヤーイムによると サーリプッタはブッダとも呼ばれたらしいです。 このジャイナ教の経典を私は読んでいません。 ゴータマの代わりに説法もしていたようですが、 ブッダであるサーリプッタの思想とは何だったのでしょうか?

  • ゴータマは、解脱者のなのか?

    仏教の開祖・《ゴータマ》さんは、《解脱者》なのかどうか? ゴータマさん出家の動機が、《生・老・病・死》という《四苦》の克服であったことは、 多くの仏伝の伝えるところです。 しかし、 ゴータマさんは、 《老》い、《病》気になり、その病気がもとで《死》亡しています。 実際問題として、四苦を克服していない!! はてはて、 これはどうしたことか??? という疑問が、 数日前、わたしの頭に浮かびました。 1 ゴータマさんは、《苦》を克服、超克できたのか? 2 《解脱》は何からの解脱であったのか? 3 ゴータマさんは、本当に《解脱者》であったのか? 4 成道後のゴータマさんに、《煩悩・klesa》はあったのか? 教えてください。 よろしくお願いします。 大乗的な観点、南伝上座部的観点、原始仏教的な観点、 スピリチュアルからのアプローチ、 わたしの《ゴータマさん論》、《ゴータマ観》、 「仏教の説く《苦・duhka》とは」 などなど、 この質問に多少なりとも縁のある回答ならば、 大歓迎です。 よろしくお願いします(ペコリ)。

  • ブッダの複数形は何を意味するか?

    buddha(ブッダ)という単語の複数形が経典に登場する そうですが、するとブッダは複数いたのでしょうか? それとも、ブッダは一人だけど弟子も含めた ブッダの複数形なのでしょうか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ パーリ語 アイウエ?オ(7) http://www.j-theravada.net/sakhi/pali-aiueo-2.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ まずは、上のサイトで、ブッダに複数形があることを確認。 次に、検索してみたら ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ところで、「仏教の開祖は釈尊」という辞書の解説は疑う余地がないのであろうか。  実は筆者は釈尊自身にはおそらくそういう認識はなかったものと考えている。釈尊は諸々の仏が通った古い道を自分も通って仏となり、諸々の仏が悟った真実を自分も悟り、諸々の仏が説いた教えを自分も説いたという自覚を持っておられたからである。それを最も象徴的に示すのが、「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」という句である。「是諸仏教」という句のパーリ語の原語は‘etaM buddhAna sAsanaM’であって、‘buddhAna ’は‘buddha’の複数形所有格であって、「諸」は「教え」にかかるのではなく「仏」にかかるのである。そこでこれは「七仏通誡偈」とも「諸仏通誡偈」とも呼ばれる。諸々の仏は、それぞれ時代や環境や衆生の機根の異なる世界に生まれられたので、その教えはさまざまなものとなったが、この句だけは共通して説かれたという意味である。  確かに釈尊は無師独悟されたとされている。釈迦牟尼仏は誰かに教えられて仏になったのではないが、一方では諸々の仏が通った古い道を自分も通って仏となり、諸々の仏が悟った真実を自分も悟り、諸々の仏が説いた教えを自分も説いたにすぎないという自覚も持たれていたのである。  もっとも釈尊自身はそうであったとしても、仏弟子たちはやっぱり仏教は釈迦牟尼仏が説きだされた独創的な教えだと考えていたかも知れない。しかしながら仏弟子も『テーラガーター』という仏弟子たちの言葉を集めた経典の中で、「智慧ある者は諸々の仏の教え(buddhAna sAsanaM)に思いを凝らすべし」などと言っているから、やっぱり同じような見解をもっていたといってよいであろう。  その証拠に仏弟子たちが編集した原始仏教聖典にはブッダの複数形が無数に出てくるし、毘婆尸仏(ヴィパッシン仏)などの具体的な釈尊以前の仏たちの行状に関する伝承が記され、釈尊滅後100年か200年ほどしてインド半島を統一した護教の王として名高いアショーカは、過去の仏の1人であるコーナーガマナ仏の仏塔を修復したという碑銘を残している。 http://www14.plala.or.jp/hnya/tokubetukikou-.html ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 上のサイトがヒットした。 >ブッダの複数形が無数に出てくる。 と書いてあるわけですが、 どう思いますか?

  • ブッダが戒名を数十万円で買うルールを作った理由

    葬式で使うお金はトータルで100万オーバーが普通です。 平成時代でこれでは昔は貴族の信じる宗教にしかなりませんよね。 仏教の開祖ブッダはなぜ一挙一動にお金のかかる教えにしたのでしょう。 平民が信仰できなくないですか?

  • テメエで何とかしろ

    WEBを散策していて拾った文章だよ。 > ゴータマ・ブッダ(釈尊)について 第15回 引用『ゴータマ・ブッダ(釈尊傳)』中村 元著(法蔵館 東方双書 昭和40年刊)より ☆安心立命の境地を得ようとする 「まず第一に佛教そのものは特定の教義というものがない。ゴータマ自身は自分のさとりの内容を定式化して説くことを欲せず、機縁に應じて異なった説きかたをした。だからかれのさとりの内容を推しはかる人々が、いろいろ異なって傳えるに至ったのである。」  第二に、特定の教義が無いということは、決して無思想ということではない。このようにさとりの内容が種々異なって傳えられているにもかかわらず、帰するところは同一である。既成の信條や教理にとらわれることなく、現実の人間をあるがままに見て、安心立命の境地を得ようとするのである。」(114頁) 無の悟りとは、無い物はないと明白に理解することで、その無を明かしてもやはり無である。 すなわちお前の神を明らかにして見せよ。 こういう問いかけに、無を悟らしめた。 教義が無いのではない。 無である事が教義なのだ。 それだけのことだ。 あんたらは本当に仏教となのか? 無ならそれでいいじゃないか。 不満を感じてはいかんよ。 さて研究論文として書いてみました。 無である。 これを。 語る言葉はない。 コレに直せば全く疑念の迫らない論理じゃないか。 釈迦様が語る言葉を持たないだけでなく、君達も自らの信仰心に対して語る言葉が無いはずだ。 だからこそ聖人に尋ねるのだ。 ところがそうして他者の信仰心を盗んだり、土下座して他者からの信仰心を星占いしてもらったとしても、その理解は所詮浅い物で、自らの信仰心そのものにはならない。 自らを理解しなければ何にもならないのだ。 おおむねそのようなたたき台からサル踊りを期待します。

  • 天空の城と脳(量子論?)

    こんにちは。 先日、ジャイナ教(約2500年前に印度で発生。仏教と同時代)の博物館を訪れた際に天空の城のイメージを見ました。空に寺の中心部が浮かんでいるというものです。僕はこの映像を見て、それが脳の機能と関係しているのではないかと変な直感を得たのですが、実際、どうなんでしょう。(僕の直感と、ジャイナ教の教義は全く関係ないと思います。それはただのきっかけです。) 僕の漠然とした「気付き」に何か、少しでもアドバイスを下さい。よろしくお願いします。

  • 【日本史】聖徳太子と禅宗の開祖である達磨大師は実際

    【日本史】聖徳太子と禅宗の開祖である達磨大師は実際に会っていたって本当ですか? 達磨大師って中国人なのでは?同時代の人物なのですか?

  • スッタニパータ805に関して

    中村 元訳「ブッダのことば」 805 人々は「わがものである」と執著した物のために悲しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。 これは誰に対する説教とも書いてありません。「在家にとどまっていてはならない。」、これは誰への呼びかけですか。四章六節「老い」の一部ですから、家督を子息に譲った後の隠居への呼び掛けかも知れません。しかし、ここばかりでなくスッタニパータ全体に流れる雰囲気から判断して、釈尊は年齢に関わらず出家に勝る修行はないと説いているとみてよいのだと思います。 しかし、これはねずみ講と同じ構造ですから、こんな矛盾した教説はありません。出家者が増えれば功徳を積む側の人間がいなくなってしまい乞食が成立しなくなり破綻してしまいます。こういう無茶な理論は必ず改良される筈です。ブッダの教えと大乗仏教との間に、在家のまま自らの修行によって解脱を計る道を説いた人なり教典があってよさそうに思いますが実際はどうなのでしょうか。ブッダの後は一気に大乗仏教に飛んでしまうのですか。門外漢の直感としては中間的な教説があると推測します。 よろしくお願いします。

  • 初期仏教の慈悲の概念?

    宮元啓一『ブッダが考えたこと』を読みました。 それによると、・・ 仏陀の時代、仏陀教団は、周りのバラモン達と対立関係にあった。 そのため仏陀は、彼ら敵対者を「悪魔」と呼び、親和的な人を「神」と呼んだ。 敵対者からの迫害に耐えるのが、慈悲であり、本来は難行苦行であった・・、 とのことです。なお、悪魔の概念としては、この他、自然環境(災害)など修行を邪魔するものも含むとしています。 残念ながら根拠についてはほとんど触れられていません。 著書に於いて、そのことについて触れた部分の最初では、「後ほど細かく根拠を言う」としつつ、後の部分では「先ほども言ったように」と書かれていて、結局触れないままで、現在の仏教学を否定されております。これでは分かりません。そこで私なりに、どのあたりを根拠とされているのか、一応の目安を付けてみたのですが、綺麗に割り切れるとも思えず、どうなっているのか、詳しい方の意見も聞きたいです。 前提になる問いが2つと、本題の問いです。 1,まずは、前提。釈尊時代、教団は、伝統的教団からさげすまれ、攻撃される立場でしたか? 確かに或る経典などには、異教に対して手厳しい釈尊ですが、そうでもない要素もありますし、攻撃性が釈尊時代のものであったか、というのをどの経典のどういう部分から根拠とするかが大きな問題となり(同氏の本は、成立論と根拠に一切触れないので結論だけが唐突に出ているのだと思います)、色々難しいと思うのですが、基本ラインのお考えで結構です。 2,神とか悪魔は、人のことと言い切れる根拠をご存じですか? 3,本題。慈悲の概念は、伝統的宗教家からさげすまれた自由思想家が、迫害者へ向けた克服法で、苦行だったのですか? そういう伝統が仏教のみならず、沙門にあったかのような書き方でしたが、何か根拠をご存じでしょうか? 長文失礼しました。お願いします。