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学級が崩壊したあと、教育は可能なのですか?

serpent-owlの回答

回答No.8

 ちょっと仕切り直し。下にあちきが書いたやつ、イマイチ問題の所在をまちがった感じ。学校という神話の崩壊と学級崩壊を結び付けているんだね。学級崩壊という現象の背後に、教育を受けることに対する子どもたちの信頼の崩壊みたいなものがあって、子どもたちが本能的にそういうものを感じている…という感じ?  そういうことだと考えて仕切り直しするね。  まずちょっと困難なこととして、子どもたちの心の中に、本当にそういうものがあるかどうかの検証が難しいってのがあると思う。そういう思いを自分の言葉で語れる子どもがどれほどいるか。となると手法は、子どもたちの言動(教室での行動、態度、作文や絵画まで広く捉えて)をたくさん集めて検証して、分析していくやり方になってくる。ちょいとやっかい。  やっかいだけど、がんばって仮に「そういうものがある」と確認されたとして、それをどう評価するか。  たまたま現在の日本が不況で、終身雇用制度が崩壊して、「いい教育→いい職場→しあわせ」というレールへの素朴な信頼が揺らいでいるからという理由に過ぎないかもしれない。「学校という神話の崩壊」と呼べるほどのものではなくて。  なんというか、学校神話の崩壊が現に起こっていて、それが近現代という時代の価値観が再編成されていく胎動のようなものを感じることができれば面白いんだけど。どう思う?  けれど、それとは別のこととして、教室で前の黒板の方に向けてすべての机が配置され、そこにお行儀よく生徒たちが座って、教師を注視する(と同時に、生徒たちは教師の視線を常に感じつづける…パノプチコン効果)という学校の図式は、ぼちぼち怪しくなっていると思う。そういうマスプロ方式の教育が生徒の間に理解度格差を生み、落ちこぼれを生み、それが「競争の過剰」という誤認を呼び、「ゆとりの教育」というミスリードを導き、「心の教育」という生徒の内面への介入を正当化する。教育専門家からすれば異論もあるだろうけれど、これがここ十年くらいの日本の教育の流れじゃないかと感じている。  特に最後の「心の教育」ってのに、僕は胡散臭いものを感じている。学校なんてのは学力だけ鍛えりゃいいんだ。子どもたちの内面とか精神とか心とか、そういうものこそ「勝手に育つ」部分だと思う。子ども同士、少し年齢がずれた子ども同士、教師や家族といった大人との関係、そういう場があれば勝手に育つ。学校が、まして文部省が介入すべきことじゃない。  神戸の14歳、佐賀バスジャックの17歳…これは暴論かもしれないけど、彼らの事件は公権力が「こころ」に介入し始め、内面にすらパノプチコンの「視線」を感じずにいられなくなった少年たちが起こしたものなんじゃないかと疑ってる。もしかしたら、心を育てようとする教育が、心を壊しているんじゃないかと。

passagen22
質問者

お礼

1わかるのに10かかるというのが、構造主義が導いた豊かなこたえだと思います。構造主義とは、赤わかるのに、赤がわかればいいのではなく、その色が赤だと認識するのに赤を知ればいいんじゃなくて、黒、白、黄、緑を知って、やっと赤がわかる。1わかるのに10かかる。しかし、現代の教育は、その1しか教えない。というのがカリキュラム教育の眼界なのではないでしょうか。入門ー応用とそのジャンルを縦に進んでわかった気になってるだけで、わかったようなとわかるは、大きな差異があり、現代の教育は、確信を欠いた認識を生産してるんじゃないか。と思います。 ほんとに、物事を理解するとは、横断が必要だし、「教えるー教えられる」というパノプチコンの関係からは横断的思考は、遠いんじゃないかと思います。1わからせるために1しか教えない。その1を理解したかを確かめるために、閉じた内部でテストをして、並べかえる。英単語を日本語訳と対でおぼえて何になるの?文学史の作家の名前だけ憶えてどうするの?人間は、動物に比べてちょう未熟児で生まれるから義務教育は必要というだけで、現代教育を肯定するのは、ちょっと

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