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時代によって違います。 秀吉の検地までは農地の所有者が二重三重の名義が普通でした。(地侍、名主、百姓の3人など。) 大名に年貢が届くまでに中間詐取されていて 実際の面積や取れ高など全く分からない有様だったのです。 また、領地や海で島の近くを通るだけで地侍が通行税を取ったりと 流通の妨げにもなっていました。 そこで土地の所有者を1人とし、検地尺(今の1尺)を共通の物差しとしました。 検地尺で土地の面積を測り上中下、下々田を決めます。 また、京枡を全国共通にし、(一升)今までの貫高制を石高制に改めます。 百姓は土地の名義がはっきりし、中間詐取を受けなくなりますが 年貢のごまかしが全く利かなくなります。また、土地に縛られ、逃げ出せなくなります。 刀狩りは半農半兵を許さず、百姓になるか侍になるかの選択を強制させられました。 土地や通行税が取れなくなった地侍も大名や有力な武将に仕官したり、百姓や商人になるなどの苦渋の選択を余儀なくされました。
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- mekuriya
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総称と呼べばそう呼べないことも無い。国人も地侍も武士は武士です。武士は武士なんだけど家格や家柄にかなりの格差があったので、そう分類されているのです。 国人というのは鎌倉時代に鎌倉幕府から地頭に任命された家柄で、鎌倉幕府が滅亡した後も地域に勢力を維持した武士なのです。国人は戦国時代に戦国大名にのし上がった氏族もあれば、逆に戦に負けて没落して忘れられた氏族もいます。地侍というのは元は有力百姓で戦国時代に戦国大名に雇われて武士になった家柄です。江戸時代は原則的に身分が固定化されて、浪人といった例外を除いて、全国的に武士は徳川氏を頂点として厳密に組織化されて、序列も明確化されました。 しかし室町時代から戦国時代は封建制度が過渡期的で未整備だったのです。だから室町幕府に関係なく大名が勝手に武士を組織化していった。国人と地侍はそういう時期に過渡期的に存在した武士の身分というか形態というか。
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