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「違反を犯す」と「規則を犯す」。文法的に。

kine-oreの回答

  • kine-ore
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回答No.49

#44の続きです。 5.「自発性のある動詞」について 「刑法上で、人間の自発的な意思のあらわれとしての身体の動作、または動作をしない状態。民法上は法律行為。」(小学館「国語大辞典」) この「自発的な意思のあらわれ」を帯び得る動詞といったイメージを念頭に入れて使っています。 6.コロケーションと重言について 語と語の結びつきが特定の語彙を構成していく、その特定の縁語関係(コロケーション)には様々なレベルがあるとされています。名詞に「~する」もしくは「~をする」を付けて合成語にする場合でも、更には特定の動詞と組みわせる場合にも、その名詞の含意を考慮しいたずらな重言的表現は避けるべきでしょう。 「行為」という名詞の場合は「行為する」「行為をする」のままでは曖昧ですが「行為を敢えてする」「行為を始める/やってのける/つぐなう」とか、「行為に及ぶ/出る/走る」などとは親和性が高いでしょう。 同様に「犯行」の場合も「犯行する」「犯行をする」だけでは不自然で、「犯行を重ねる/くらます/認める」や「犯行に及ぶ/踏み切る/走る/かかわる」などが挙げられます。 由緒来歴のある故事成句や、結合して独自の意味あいとなる慣用句ではその用法の正誤・可否が辞書などでしかるべく確認できやすいのですが、連語の結合性の緩めな縁語関係では一般的な辞書には記述が乏しいこともありコロケーションの当否や「はずれ具合」が不分明な場合が多くなりがちです。(参考:三省堂「てにをは辞典」) 重複表現については、報道のように公共性の高い立場に立ったものとして「誤りやすい慣用句」(「朝日新聞の用語の手引き」)のように相当の厳密性が求められます。 「×犯罪を犯す→○罪を犯す」 一方、日常会話レベルでは、次のような考え方ももっともな思いがします。 「類語を反復することで相手にそのことを強調しよう、そのことを印象づけようとするのではないか。べつに云いますと、似かよった意味の言葉を並べてその意味の滞空時間を長引かせようとするのではないか。もうひとつ、語呂の良さ、云いやすさをつくりだすために、意味の似かよった言葉をならべるときもあるのではないでしょうか。「後悔するなよ」と云うより、「あとで後悔するなよ」と云うほうが調子が整って云いやすいと思うからです。──という次第で、筆者は重複表現をまちがいだとは考えておりません。いやむしろ、会話の中へもっと盛んに取り入れて。意味をしっかり相手に伝えるべきだと思っています。」(朝日文庫「井上ひさしの日本語相談」の「「一番最初」「いま現在」は間違いか」の項) 7.「犯す」という動詞のコロケーションについて 1)過(あやま)ちを犯す…宗教的規範や道徳に背き、精神性の側面の高い罪業をなす。 「われら、いかなる罪を犯して、かく、悲しき目を見るらむ」(「源氏物語 明石」) 「天の益人等が過ち犯しけむ雑々の罪事は…」(「祝詞・六月晦大祓」) このように、「罪を犯す」「過ちを犯す」といった、犯す行為の内容を補語として取る形の用い方は、和語として古くから使われており、今でも一番人口に膾炙した縁語関係だと思います。 2)犯法…法を犯す…法律に背いたことをする、法を破る行為をする。 この「犯科」「犯法」「犯禁」など、中国での出典も明らかな熟語なのですが、それだけにどうしても改まりすぎるきらいがあるのか、近頃の日常生活では漢文訓読調交じりでの「法を犯す」以外はあまり接しません。 一般には「掟に背く」という古風な言い方から、「規則を破る」とか「校則を無視する」、さらには「ルールに違反する」といった”翻訳調”に至るまで、でしょうか。 3)犯罪を犯す、違反を犯す 「犯罪を~」とした縁語では「~起こす/構成する/実行する/やってのける」といった調子で、いかにも第三者的であったり俗語的なものになりやすく、といって「犯罪(を)する」とも言えず、「犯罪を為す」や「犯罪に走る」もしっくり来ず、はっきりと「自発的な意思のあらわれ」を帯び得る動詞としては、つい「犯罪を犯す」といった重複的ミスを犯したくなります。修辞学でいう「冗語法」としての強調用法とみて、これは今では許容範囲なっているでしょう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%97%E8%AA%9E 一般的には「違反する」とサ変動詞にして使うのが普通ですが、文章の流れで「違反を~」と主格に立てた言い方では「~取り締まる/摘発する」といった繋がりはあっても、当人の「自発的な意思のあらわれ」を帯び得る動詞がなかなか探せません。そこで明確化を目的にした場合にその構文上の一部として「違反を犯す」という言葉が挿入されていても違和は感じないでしょう。 http://rules.rjq.jp/tensu.html 「そりゃ友達だから応援は惜しまないけど、さすがに選挙違反を犯すってわけにはいかないだろう。」 このように「違反」に特定の新しい情報が加われば、その時点で「余分な重複表現」であることが薄れ、強調手法を加味した自然な会話表現になるのではないでしょうか。「店を開店する」→「新たにブティックの店を開店したい」のように、です。 >「を」という助詞が曲者なのでしょうか。 「(水で)お湯を沸かす」「(磨いだコメで)ご飯を炊く」といった用法については次の記述が分かりやすいでしょう。 格助詞「を」は、「他動的意味をもつ動詞に対して、その動作・作用を受けるもの、その作用によって作り出される目的語を明確に示す。」(「広辞苑」)

thegenus
質問者

お礼

>『重複表現については、報道のように公共性の高い立場に立ったものとして「誤りやすい慣用句」(「朝日新聞の用語の手引き」)のように相当の厳密性が求められます。 「×犯罪を犯す→○罪を犯す」』 そうですか。「朝日新聞の用語の手引き」までお持ちなのですか。 恐れ入りました。 活字命ですし、記事は、著作権など、将来の会社の資産として残るものですからですね、君子危うきに近寄らずなのでしょうね。誤報はしても誤用はするな、みたいな格言があったりして。 >『このように、「罪を犯す」「過ちを犯す」といった、犯す行為の内容を補語として取る形の用い方は、和語として古くから使われており、今でも一番人口に膾炙した縁語関係だと思います。』 膾炙してないっていう異口同音は歴史と乖離していますかね。 お世辞ではなく、自習する上で大変参考になっております。言語や辞書や専門家についての私の認識が変わってきました。少しは考えらるようになりました。引き続き勉強して行きたいと思います。本当にありがとうございます。

thegenus
質問者

補足

この回答のお礼文を一部、訂正します。 「犯罪を犯す」は人口に膾炙していないっていう異口同音は古式ゆかしいと捉えるべきなのでしょうか。

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