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絶対無の存在証明を巡って、…。

不完全性定理の完全性は自己言及的に証明され得るのでしょうか?

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回答No.16

>無矛盾の不完全性が、その公理では言及されてきたのでしょうか? 「無矛盾の不完全性」ではなく、無矛盾な公理系は不完全である (それ自身では証明できない公理を含む)という帰結です。 一方でゲーデルは、完全性定理も証明しています。 そのように疑問に思われるなら、こんな所で結論だけ聞かず、 あのゲーデル数を用いた見事な解法を学ばれる事をお勧めします。

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 何らかの手段を適用させませんと、無矛盾性の検証さえもが阻まれざるを得ない故に、入れ子状態に陥っているのかと考えたのですが、完全性の定理にも注目しないといけないのですね。

その他の回答 (20)

回答No.10

こんばんは、BuffaloAndJtpさん。 『操作的時間と意味論的空間の相互参入システムに関する研究』 http://www.research.kobe-u.ac.jp/fsci-nonlinear/research/ts-reentrant/index.html

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 言及の目的対象は行為者の環境の外部へ排除されていないといけない訳ですので、自己言及の様なループバックは謬見を導くのですね。

noname#143207
noname#143207
回答No.9

 ご返答いただきまして、どうもありがといございました。ひどっち でございます。 > 何処からの類推なのかへの諒察を賜りまして、非常に嬉しく思います。『【絶対無】に関しましての経験』の存否の明確化は此のカテゴリでの参照の為にも重要だろう、と考えましたので、此の質問を試みました。
  愚生にとりましても、望外の喜びとする所でございます。「絶対無」の件につきましては、了解致しました。 
> 因みに、述語的な内容の自己言及は、普通名詞による自己言及と同列に並べられ得るのでしょうか?  この問題につきましては、愚生にはわかりません。 > #5様からの質問への回答にも言及して頂けませんでしょうか?  微力を尽くしたいと思います。以下愚見を述べさせていただきます。 > (1) ▲ 《公理は現実的である必要はない》――☆ これは どういう意味でしょう?
  つまり《絶対無》の存在をめぐっての議論としては 少なくとも論理的な現実性は 必須のことだと考えますが そのことはこの《公理》についてだいじょうぶなのでしょうか?
  はい。この”公理”に対しましても、論理的現実性は必要かと考えられます。  確かに、現実的である必要性はございません。ですが、霊魂の不死とか来生といった問題につきましては、論理的な法則性が認められない、というのが現状でございます。従いまして、これらの問題につきましては、”公理”というのは無理があろうかと考えられます。ですが、例えばアニメ等におきまして、死神が存在し、ソウルソサイアティという世界があり、そこには霊圧なるものにより力を発揮しうる世界が描かれております(例えば、鬼道の九十一 千手皎天汰炮 等です)。そこには一応の”公理”が認められます。 
> (2) ☆ すなわち この第一不完全性定理は 《真偽決定可能》な大部分に属しているのか否かをおしえていただければさいわいです。
  ”第一不完全性定理”は《真偽決定可能》な部分に該当致します。つまり、”第一不完全性定理”では、ざっくりと申しますと、「真とも偽とも証明不可能な命題が必ず一つは存在してしまう」というものでございます。さらに申しますと、”(経験上そうと判明しています)真 or 偽なる命題”と”その証明”とは別々のものだ、とうことを意味しております。従いまして、「真なる命題は存在しない」、とまでは断じていないことになります(ただ、それが証明されうるかは、別問題となり未定でございます)。  そこで、この不完全性定理では、そもそも証明がなされております(”予想”ではなく”定理”となってございます)。従いまして、《真偽決定可能》な部分に該当するものと考えられます。 

> (3) もしそこで真偽決定可能だとなったなら 今度は次のことについて明らかなかたちでその前提を共有しなければならないと考えます。 
 ○ 《絶対無》ないし《絶対 あるいは 無限 あるいは 非経験》 これは無矛盾のかたちで定義出来るなら その証明は不完全となる。真偽決定が出来ないとなる。 ☆ そういうことでよろしいでしょうか?  少し、異なろうかと存じます。 「 その証明は不完全となる。真偽決定が出来ないとなる。」が、 「 その証明には、真偽決定が出来ないものも[必ず一つは]存在してしまう。」  というのが正しいかと存じます。 > つまり どうしてもはっきりしないとわたしに思われることには このいまの場合には 公理系にしろ命題としてにしろ あくまで
 ○ 非経験の領域について 経験思考によって規定しようとしている。 
 ☆ ということを免れないと言わねばならないだろうと思うからです。
 (1)の ▲ 《公理は現実的である必要はない》という前提において そんなことは大丈夫ということでしょうか?   無矛盾(論理的矛盾が存在しない)が存在していれば、(一応は)大丈夫かと存じます。 
> (4)言いかえると それは一人ひとりの《わたし》 つまりは主観ごとのそれぞれ全世界においていとなまれる歴史であり その個別の《神との関係の歴史》を互いに突き合わせ照らし合わせて 経験思想として話し合いを積み重ねて歩み行く こうならざるを得ないのではないでしょうか?
  はい。”仮象”、これはカント等では、どちらかと申しますと、否定的意味合いが含まれております。ですが、科学の進歩という点から見ますと、非常に貢献したものと思われます。例えば、宇宙の果ては?、等でございますが、もちろん、決着が着いた問題ではないのですが、理解が徐々にではございますが、深まりつつあろうかと推察されます。従いまして、”神”といった存在につきましても、もしかしますと、何かのきっかけで飛躍的な進歩がなされる可能性は否定できないとも考えております。 
> それとも 数論などによって一つひとつの主題は 解き明かされて行きましょうか?
  この問題につきましては、残念ながら、不明でございます(カトリックであったゲーデルは晩年、「神の存在証明」試みてはおります)。  何かしら、お役に立つことができれば、幸甚に存じます。

BuffaloAndJtp
質問者

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御協力を賜れまして、非常に幸いに思います。 不完全性定理の対象の内部に我々が囚われ続けざるを得ない故に、其処の外部からの認識の有無を悟る権利さえをも我々には与えられておらず、トーラスによる証明の通りに、内部からの調査は完全な不完全に留まるのでしょうか?

回答No.8

こんばんは、BuffaloAndJtpさん。 【QNo.3417579三身常住は 三位一体とどう違うでしょう】 http://okwave.jp/qa/q3417579.html ■実数係数方程式の虚数解 http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/kou2/im_solution.html 歩み/ RAM WIRE  http://www.youtube.com/watch?v=6GO6Hjngp6g

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

【実数係数方程式の虚数解】のページの解法には、誤りが含まれていませんでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

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有り難う御座います。 不完全性を認識している主体の不在証明は可能なのでしょうか?

noname#221368
noname#221368
回答No.7

 自分は技術畑の人間なので、なぜ不完全性定理に絶対無が関連するかは、測り兼ねます。また、数学基礎論が専門でもない事を、最初にお断りしておきます。ただ技術的な話は少々できるかな?、と思ったので書き込みました。  以下は、あくまで自分なりの不完全性定理のスケッチです。  不完全性定理の証明ステップ自体は構文論的なもので、コンピュータが実行するプログラムと本質的には変わりません。そうでなければ、ゲーデルと言えども人間なので、証明できないからです。従って証明手続き自体は、有限ステップの閉じた系で、完全性定理の範囲内です。そこに意味論的観点を持ち込むのが、   ・有限ステップの証明手続き系が「対象とする系」は、自己言及的だった.   (1) というメタ視点です。自己言及性を、ある公理系に許容するのは、無限を扱いたい場合だけです。有限しか扱わないならば、全て羅列可能という立場から、自己言及性は不要という点に注意します。「有限ならば不要どころか許されない」が、不完全性定理の一つの言い換えだと思います。  とりあえず(1)を忘れておいて証明手続きを述べると、典型的には有限を扱う限り完全性のある公理系を用意し、それに基づいて真偽が確定した論理式に、順番にゲーデル数と言われる論理式の識別番号を与えて行きます。ゲーデル数の定義は素人(自分もそうです)には難解ですが、コンピュータプログラムの実行と本質的には変わりません。  この過程は有限手続きなので、必ず無矛盾な結果を与える事を完全性定理が保証し、証明過程は人間が、いかようにもコントロールできます。つまり自己矛盾する証明過程も作れます。普通はそうしないだけです。矛盾する証明過程が矛盾している事は、最初の公理系から有限ステップで、無矛盾に証明できます。  自己矛盾する証明過程を作る「標準的でない」方法が、(1)を持ち込む事です。この辺りが不完全性定理の本質的なわかりにくさだと思います。(1)を持ち込むという事は、意味論に訴えるという事です。ふつうの矛盾は、わざと構文論的な間違いを持ち込むという事なので、これは完全に排除できます(デバックです)。  人間は有限しか扱えないので、用意した公理系によるゲーデル数の割付は常に完全です。ところが自己言及性は無限を生成するので、「意味の方から」いつかゲーデル数が重複するという結論が出ます。有限を扱う限り、論理式は有限個しかなく、任意の有限より多いのが無限だからです。しかしゲーデル数は論理式の識別番号なので、必ず重複しないように定義されます。ここに意味論と構文論の矛盾が生じます。  ゲーデル数をさらに巧妙に操作すると、重複する番号を、ある命題Aとその否定~Aに合わせる事が可能です。この事態を「意味論的に」解釈すると、自己言及な(無限を扱う)公理系は、決定不可能命題を持つという不完全性定理になります。もっと具体的に言うと、   ・自然数以上を含むような数学理論は、無矛盾であり得ない. という事が、意味論的にも構文論的にも、完全性定理の範囲内で有限ステップで証明されてしまった、という悩ましい事態になります。  ポイントは有限ならば、全て枚挙して総当りで、手続き的に(構成的に)真偽を逐一チェックできる(原理的には)という点です。このとき、意味論と構文論は完全に一致するが、完全性定理だと思います。そこに非手続き的(非構成的な)存在「無限」を持ち込んだとき、「有限範囲では完全だった人間の論理は、あやふやになる」が、不完全性定理だと思います。  何故なら無限の定義は、「有限手続きでは、絶対に構成できないもの」だからです。構成できたら、有限だからです。この非常に虚しく思える定義が、数学における「無限の正式な定義」です。

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

デッドロック等からの離脱の為に、トランザクション処理のコミットをロールバックさせる際にも、限界の設定の御蔭で、ACID属性の維持が叶えられているのでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

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有り難う御座います。 此処で【網羅性テスト】の話題に言及して頂けるとは、予想出来ていませんでしたので、勉強になりましたから、非常に嬉しく思います。 まさに、無敵の盾と無敵の矛とのぶつかり合いの喩えに適した内容なのですね。

回答No.6

こんばんは、BuffaloAndJtpさん。 【QNo.6759902虚数とは その名のとおりに想像力の世界なのか?】 http://okwave.jp/qa/q6759902.html

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

不完全性さえもが『ヴァーチャルな可能世界の性質の一部』に属しているのでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 複素数の様に、自己言及は2乗の結果を導くのでしょうか?

回答No.5

 こんにちは。  質問者さんやほかの回答者の方々におしえを乞う投稿です。  次の――ほかのサイトのですが――説明にもとづき問いますので おしえてください。  ▲ ゲーデルの不完全性定理をお教えください。   http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1410933224  (1) ▲ 《公理は現実的である必要はない》――☆ これは どういう意味でしょう?  つまり《絶対無》の存在をめぐっての議論としては 少なくとも論理的な現実性は 必須のことだと考えますが そのことはこの《公理》についてだいじょうぶなのでしょうか?  (2) たぶんだいじょうぶなのだと思って次の問いです。  ▲ 「公理系が無矛盾なら不完全である。」というのが第一不完全性定理と呼ばれているもの  ☆ についてですが こう説明されています。  ▲ ~~~~  つまり、「無矛盾に出来ている公理系では、真であるとも偽であるとも決定できない命題が含まれてしまう」ということです。  (すべての命題が決定不可能というわけではありません。大部分は真偽決定可能ですが、一部真偽が決められない命題があるということです)  ~~~~~~  ☆ すなわち この第一不完全性定理は 《真偽決定可能》な大部分に属しているのか否かをおしえていただければさいわいです。  というのも  ● (回答No.3) ~~~~  不完全性定理は、その証明そのものに自己言及を用いています。  その上で「自己言及(公理系自身の証明)を含む公理系は、  無矛盾ならば不完全である」という帰結に至っています。  ~~~~~~~~~~~  ☆ ということであれば 《真偽が決められない一部分の命題》に属することになると思われるからです。  (3) もしそこで真偽決定可能だとなったなら 今度は次のことについて明らかなかたちでその前提を共有しなければならないと考えます。  ○ 《絶対無》ないし《絶対 あるいは 無限 あるいは 非経験》 これは無矛盾のかたちで定義出来るなら その証明は不完全となる。真偽決定が出来ないとなる。  ☆ そういうことでよろしいでしょうか?  つまり どうしてもはっきりしないとわたしに思われることには このいまの場合には 公理系にしろ命題としてにしろ あくまで  ○ 非経験の領域について 経験思考によって規定しようとしている。  ☆ ということを免れないと言わねばならないだろうと思うからです。  (1)の ▲ 《公理は現実的である必要はない》という前提において そんなことは大丈夫ということでしょうか?   (4) それよりは――ここで提言ですが―― 《非経験の領域》については 経験存在である人間は その言語および認識あるいは論理などの能力の限りを尽くして 何らかのかたちで想定をした上でその《神》との関係を 生きる過程において動態として捉え進むしかないのではないか?  言いかえると それは一人ひとりの《わたし》 つまりは主観ごとのそれぞれ全世界においていとなまれる歴史であり その個別の《神との関係の歴史》を互いに突き合わせ照らし合わせて 経験思想として話し合いを積み重ねて歩み行く こうならざるを得ないのではないでしょうか?  それとも 数論などによって一つひとつの主題は 解き明かされて行きましょうか?  おおしえください。

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

こういう質疑の事例が御座います。 http://okwave.jp/qa/q6894405_2.html#answer

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 そもそも認識主体は認識対象の外部の環境の中に所属していますので、非経験でさえもが、『非経験対象の可能世界の【中】』からしか認識され得ません。

noname#143207
noname#143207
回答No.4

 はじめまして ひどっち と申します。  前回は、横スレを入れてしまい、ご気分を害されたかと存じます。この場をお借りし、深くお詫び申し上げます。  さて、ご質問の件でございますが、既に、ANo.3の回答者様が述べられておりますが、自己言及にも及んでおります。  メタ数学を用いたゲーデルの証明を、さらに、メタレベルで論じることも有意義とは思われます。ただ、少なくとも不完全性定理が”真”なることは、数学という学問が破綻してしまわない限り、定理である以上は、それが真とみなされると考えられます。  どうもお邪魔致しました。

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

貴方は愚拙よりも遥かに御詳しいと考えられますので、御手数を御掛けしますが、#5様からの質問への回答にも言及して頂けませんでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 何処からの類推なのかへの諒察を賜りまして、非常に嬉しく思います。『【絶対無】に関しましての経験』の存否の明確化は此のカテゴリでの参照の為にも重要だろう、と考えましたので、此の質問を試みました。 因みに、述語的な内容の自己言及は、普通名詞による自己言及と同列に並べられ得るのでしょうか?

回答No.3

不完全性定理は、その証明そのものに自己言及を用いています。 その上で「自己言及(公理系自身の証明)を含む公理系は、 無矛盾ならば不完全である」という帰結に至っています。 いわゆる「この言明は嘘である」というパラドックスの定式化。 ゆえに、ご質問の内容自身が不完全性定理に包含されています。 (ご質問の背後にある「“正しい理論”とは無矛盾性と完全性を 両立させねばならない」という常識的先入観の否定)

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

無矛盾の不完全性が、その公理では言及されてきたのでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 「不完全性定理自体が『不完全性定理の目的対象』に成り得るのか否か」、という表現へと置き換えて遣れば、此の質問の解法が見えやすくなるのですね。

回答No.2

こんにちは、BuffaloAndJtpさん。 いま、お昼ごはんを食べ終えて、この質問を眺めてました。 朝、人と話をしてるときに、ひょんなとこからアンパンマンの名がでてきました。   それはそれ、なんない会話のひとコマ。 朝から、おしゃべり、ぺちゃくちゃ、会話を交わし、そのあと食事にでかけ   そこから、1時間経って、いま、この質問をみています。 すると、何故だか「アンパンマン」への疑問が、沸々と 逆質問になりますが、アンパンマンの顔って食べれるんですよね? ぱくぱく食べてしまうと… 顔なくなっちゃう お話の中では、少し顔が欠けたところで、 ジャムおじさんが焼いてくれた新しい顔と交換するんですよね。 交換した欠けた方の顔は、どうなるんだろう? 欠けた顔と新しい顔が、言葉を交し合うことってあったのかな? 

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

プラナリア達を複数の個体群へと分割した際に、彼等は御互いを自分の分身だと見做していないのではないでしょうか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 『自己言及の再帰的な目的対象には、認識主体化の権利が残されていない』という事情の喩えなのでしょうか?

回答No.1

関連の質問事項は既に提出されていますか?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

絶対的な未経験の継続の根拠に関する質疑が、既に別のページで展開されています。

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