• ベストアンサー

「~ものそ」の仮名遣いは?万葉歌を現代仮名遣いに

夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ  大伴坂上郎女(万葉集 8‐1500) 「~ものそ」の「そ」は、現代仮名遣いでも「そ」で良いのでしょうか? 上記の万葉集の和歌で、現代仮名遣いと表記が違う場合は、現代仮名遣いに書き換えて下さい。 よろしくお願いいたします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Willyt
  • ベストアンサー率25% (2858/11131)
回答No.1

これは『ものぞ』です。下記を参照して下さい。

参考URL:
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/eight/m1500.html
coto_cat_x
質問者

お礼

Willyt さま ご回答ありがとうございました。 万葉集入門のサイトも教えて下さりありがとうございました。

関連するQ&A

  • 現代版・万葉集?

    是非もう一度読みたい本があるんです。 一度本屋さんで立ち読みしたのですが、買わずに置いてしまい、それ以来目にすることがなくなり、タイトルも忘れてしまって、今頃になり買っておけばよかったととても後悔しております・・・。 その本を見たのは確か2、3年前で、薄めの文庫本でした。 内容は万葉集の、恋を歌った和歌が集められ、現代風の詩にしている、という感じです。 初めの方はカラーページで、キレイなスナップ写真に歌が添えられていました。 和歌という堅いイメージでなく、モダンでポップな詩集といった感じだったように思います。 あと、帯には「万葉集って、かわいい」という言葉が書かれていたような・・・。 こういう本、ご存知ないでしょうか?お分かりになる方がおられましたら、本のタイトルと出版社を教えて頂きたいです。 どうか、よろしくお願いいたします。

  • 歴史的仮名づかいについて教えてください。

    東京の京橋には今でも親柱が残っており、そこには「きやうはし」と刻まれています。 「今日」の歴史的仮名づかいは「けふ」なのに、なぜ「京」は、「きやう」なのかずっと気になっていました。 サイトで探してみると現代仮名づかいの「きょう」は、歴史的仮名づかいでは「きよう」「きやう」「けう」「けふ」と4通りに表記する場合があり、それぞれの例として共通(きようつう)、兄弟(きやうだい)、教育(けういく)、今日(けふ)などがあるという対照表は見つかりましたが、やはりどういう風に使い分けるかの説明がありません。 昔は4通りの仮名づかいをどうやって使い分けていたのか、ご存知の方が居られたらお教えください。 

  • 「多人長」が上代特殊仮名遣を「絶対に知り得ず、理解できない」と考えるのは正しいのですか?

    「多人長」が上代特殊仮名遣を「絶対に知り得ず、理解できない」と考えるのは正しいのですか? ↓下の記事に http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98 上記の上代特殊仮名遣のなかで、『万葉集』・『日本書紀』の中ではすでに消失している2種類の「モ」の表記上の区別(発音上の相違と言い換えても差し支えない)が残存していることが、偽書説を否定する重要な論拠として立ちはだかっているからである。 ちなみに偽書の製作者として有力視されている多人長の『弘仁私記』(弘仁四年(813年))では、上代特殊仮名遣が完璧に再現されている。 というのがあるのですが 「上代特殊仮名遣」を再現できる古典知識があれば「古事記」は執筆可能とも取れるのですが、 本居宣長が発見し橋本進吉先生が「再発見」したのと同様のことを、過去の人間には不可能と考えるのは正しい判断なのでしょうか?

  • 万葉集の現代仮名遣いについてです。

    次の文を現代仮名遣いにしたいのですが、私の現代仮名遣いはどこら辺が違いますか?教えて下さい。 「天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は           田児の浦ゆ、うち出でて見れば、真白にそ、富士の高嶺(たかね)に、雪(ゆき)は降りける」 (私の現代仮名遣い) 「あめつちの わかれしときゆ かむ(かん?)さびて たかくたふとき(とうとき?) するがなる ひふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくそ ゆきはふりける かたりつぎ いいつぎいかん ふじのたかねは      たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける」 長くなり、すいません。教えて下さい。

  • 万葉仮名「者」について

    国語学を勉強している者です。 今、萬葉集で助詞として使われる「者」について調べています。 「者」はハと訓む万葉仮名ですが、和歌の中には下記のようにバとして解釈されているものが多くあります。 獨耳 見者戀染 神名火乃 山黄葉 手折来君 (ひとりのみ見れば恋しみ神なびの山の黄葉手折り来り君) 樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛 (楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも) 神左振 磐根己凝敷 三芳野之 水分山乎 見者悲毛 (神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも) これらはみな、[已然形+ば]で順接の確定条件を表しているように見えます。(順接の仮定条件は中世以降に加わった表現のため。) そこで質問なのですが、一字一音の文におけるこれらの「者」が、なぜハでなくバと訓むと分かるのか、その根拠はなんなのか。また、その「者」の前にくる動詞が未然形接続や連体形接続(「者」を係助詞と考える場合)だとも考えられるのに、なぜ已然形だと判断できるのかをお教え頂きたく思います。

  • 古文の文中の「む」を「ん」と変更する条件について。

    お世話になります。 現在、古文の勉強をしておりまして、 歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに変更する部分で疑問が生じました。 疑問は、中学校の教科書にもある、 竹取物語の これやわが求むる山ならむ(ん)と思ひて、 についてです。 この際に、 山ならむ の 「む」 は 推量の助動詞、 む です。 歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに直す場合は、 文語の助動詞の 「む」 「らむ」 「けむ」 「むず」 については、 「む」 を 「ん」 に置き換えるのは理解しています。 その前の 求「む」る の 「む」 については、 何故、そのまま 現代語訳を行っても 「む」 の表記なのでしょうか? また、助動詞以外には 「む」 を そのままにしておくと、仮定した場合すると その場合ですと、「やむごとなし」 が  現代仮名遣いで「やんごとなし」 になるなど、矛盾してしまいました。 このように、 古文の 歴史的仮名遣い「む」 を  現代仮名遣い「ん」 に 変更する場合の条件を 理論的にご存知の方がおられましたら、ご教授くださいませ。 お願い致します。

  • 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集

    至急よろしくお願いします。 万葉集、古今和歌集、新古今和歌集について質問です! テスト直前ですがわかりません! あと、押さえておいたら点数が取れそうなところも教えてください。 よろしくお願いします。 以下の文の区切れを教えてください。あと何句切れかも。 ●君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く ●近江の海夕波千なが鳴けば心もしのに古思ほゆ ●瓜食めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして偲はゆ いづくより 来たりしものそまなかひに もとなかかりて 安眠しなさぬ (反歌) ●銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも ●春の野にすみれ摘みにと来し我そ野をなつかしみ一夜寝にける ●うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば ●信濃道は今の墾道刈りばねに足踏みましなむ沓はけ我が背 ●韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして ●ちはやぶる神世も聞かずたった河韓紅に水くくるとは ●山里は冬ぞさびしさまさりける人目も草もかれぬとおもへば ●うたたねに恋しき人を見れしより夢てふ物は頼みそめてき ●むすぶ手の滴ににごる山の井のあかでも人にわかれぬる哉 ●春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空 ●道のべに清水ながるる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ ●さびしさはその色としもなかりけり真木たつ山の秋の夕暮れ ●玉の緒よ絶えなばたえねながらへばしのぶることのよわいもぞする

  • 古文の「む」(ん)という現代なら反対の意味になる助動詞について

    「行かむ」「乗りせむ」「何かせむ」と古文にある場合、まず「行かない」「乗らない」「何もしない」否定に訳さず、推量・意思等に訳して「行こう」(行かむの変化)「近寄り乗る」「どうにもならない」と訳すそうですネ。 そこで思うに、関西弁は「行かへん」「乗らせん」「何もせーへん」と良く言いますが、「ず・ぬ」の否定が「む」と同じ音韻変化をして「ん」になっただけかもしれませんが(行かぬ→行かん)、室町時代や江戸時代なら公家らも関西弁に近い言葉を使い尚且つ古典を残していたと思います。特に万葉集や古今和歌集(よく知りません)等の文献が多い京都を含む関西弁は不思議です。 現代なら否定の意味の感覚になる言語を、いつから関西弁は否定に使ったのでしょうか?。歌か文か明らかに一緒になった事例が分かる年代がわかるとなお更、すっきりするのですが・・・。

  • 万葉~平安の和歌に詠まれた七夕について

    新古今和歌集の秋の部を読んでいて気になったことを質問します。 1.旧暦の七夕は、新暦では8月8~25日の間と思います。 2.万葉集・古今・新古今ともに七夕は秋の部に入っています。 今の8月と捉えるにしては随分と秋が深まっている表現が目立ちます。 前後の歌も紅葉や薄、白露などで9月以降の気候を連想させます。 歌については下に列記しました。 これはどのように考えたらよいでしょうか?次のような要因を考えましたが、全く自信はありません。 a.現在の暦の8月の頃は今よりも早く秋らしい気候だった。 b.七夕の時期がもっと遅く行われていた? c.情緒を際立たせる目的で秋の風情を強調した この題目にお詳しい方、このように思うと解釈お持ちの方、どうぞお聞かせ下さい ------------------------------------------------------------------- 新古今和歌集巻第四秋歌上  313 大空をわれもながめて彦星の妻待つ夜さへひとりかも寝む 314 この夕べ降りつる雨は彦星のと渡る舟の櫂のしづくか 315 年をへてすむべき宿の池水は星合の影も面なれやせむ 316 袖ひちてわが手にむすぶ水の面に天つ星合の空を見るかな 317 雲間より星合の空を見わたせばしづ心なき天の川波 318 七夕の天の羽衣うち重ね寝る夜涼しき秋風ぞ吹く 319 七夕の衣のつまは心して吹きな返しそ秋の初風 320 七夕のと渡る舟の梶の葉に幾秋書きつ露の玉章 321 ながむれば衣手涼し久方の天の河原の秋の夕暮れ 322 いかばかり身にしみぬらむ七夕のつま待つ宵の天の川風 323 星合の夕べ涼しき天の川もみぢの橋を渡る秋風 324 七夕の逢ふ瀬絶えせぬ天の川いかなる秋か渡りそめけむ 325 わくらばに天の川波よるながら明くる空には任せずもがな 326 いとどしく思ひけぬべし七夕の別れの袖における白露 327 七夕は今や別るる天の川川霧たちて千鳥鳴くなり 古今和歌集  173 秋風の吹きにし日より久方の天の河原に立たぬ日はなし 174 久方の天の河原の渡し守君渡りなばかぢかくしてよ 175 天の河紅葉を橋にわたせばや七夕つめの秋をしも待つ 176 恋ひ恋ひてあふ夜は今宵天の河霧立ちわたり明けずもあらなむ 177 天の河浅瀬しら浪たどりつつ渡りはてねば明けぞしにける 178 契りけむ心ぞつらき七夕の年にひとたびあふはあふかは 179 年ごとにあふとはすれど七夕の寝る夜の数ぞ少なかりける 180 七夕にかしつる糸のうちはへて年のを長く恋ひや渡らむ 181 今宵こむ人にはあはじ七夕の久しきほどに待ちもこそすれ 182 今はとて別るる時は天の河渡らぬ先に袖ぞひちぬる ※万葉集 大伴家持歌  4306 初秋風涼しき夕べ解かむとそ紐は結びし妹に逢はむため 4307 秋といへば心そ痛きうたてけに花になそへて見まくほりかも 4308 初尾花花に見むとし天の川へなりにけらし年の緒長く 4309 秋風になびくかわびのにこくさのにこよかにしも思ほゆるかも 4310 秋されば霧立ち渡る天の川石なみ置かば継ぎて見むかも 4311 秋風に今か今かと紐解きてうら待ち居るに月傾きぬ 4312 秋草に置く白露の飽かずのみ相見るものを月をし待たむ 4313 青波に袖さへ濡れて漕ぐ舟のかし振るほとにさ夜更けなむか

  • 文学→古今和歌集

    『思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを』 現代訳 (あの人のことを)恋い慕い続けて寝たから、あの人が(夢に)見えたのだろうか。 夢だと分かっていたならば、目覚めないでいたのに。 について 和歌に含まれた『恋』について120字程度の感想を考えているのですがこの場合どう書いたらいいのでしょうか?