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マイノリティ、同性愛、偏見
同性愛の20代です。 一部の家族、信頼できる友人にはゲイであることを明かしていますが、まったく関係のない人であっても同性愛をネタにして笑っていたり、テレビなどでお笑いのネタにされていると、笑えないのです。 空気を読んで笑うことはありますが嘘の笑いです。 あと、吃音といって声がつっかえる障害もあるのですが、吃音もよく「緊張しすぎて言葉が出ない」という誤解もあるのでそういうのをネタにする人もいます、特にお笑いで。 僕から言わせてもらうと、足の不自由な人をネタにしているのと同じです。 どうして人間って(もちろん全員じゃないですが)マイノリティなことを好き勝手に解釈して、ひょっとしたら目の前にそういう人がいるかもしれないのに笑いのネタに使うのでしょう? もちろん、僕だって人のことを言えないんです。人は完璧じゃないですし一部おかしなところがあっても人間いろんな面があります。でも、「なんで自分の前でゲイを笑いものにするんだよ」とすごく腹が立ったり、「ゲイ=ホモ=男同士で異常だ」、「吃音(どもり)=言葉がつっかえる=おかしな人」と言う風に笑いものにするんだって・・・。 これはもう、仕方ないんでしょうか? 日本って、医学も技術も水準が高いのに精神的なもの、見えないものやマイノリティに関して遅れているんですか?
- ryuga1987
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>笑いのネタに使う その特徴を滑稽、気持ち悪いとか迷惑と感じる人が多数であるなら現時点では仕方のないことです。 笑いものにするメディアに毒された2次的なものもありますが、根源的には生理的な嫌悪感がありますから。 口臭予防ガム、AQUOの初期のCMを見たことはありますか? 口臭に無自覚な青年が彼女から邪険にされガスマスクつけて応対され、行く先々ではシャッターを閉じられ締め出される。 季節が変わって作られたCMでは、電話ボックスの中から目の前にいる彼女のケータイに電話かけないと会話も許されない。 そして警官に電話ボックスごと閉じ込められてしまう。 クリスマスには「お願い~お願い~近寄らないで~♪」というキューティーハニーの曲と共に、駆け寄ってきた青年が落とし穴にハマる内容でした。 体の問題でやむを得ず迷惑をかけてしまうという点では他の障害となんら違いはないはず。 それなのに露骨に疎んじ排除する人を無批判、むしろ肯定的に描くひどいものでした。 にもかかわらずこのCMを楽しいと感じる者は少なくありませんでした。 そして、人権人権とうるさい手合いがコレにケチつけたなんて話は聞いたことがありません。 コレが補聴器のCMだったら? 無自覚のうちに難聴が進行していた青年。 自分が立てる物音に無頓着で周囲に迷惑をかける。 頻繁な聞き返しで苛立たせる。 聞き違いでトラブルを起こす。 こうして周囲のイライラが蓄積して追い出されるが、補聴器の導入で問題解決…。 これくらいひどいCM、のはずなんですがね。 迷惑、不快と感じてはいけない、尊重せねばならない、そういったコンセンサスがまた定着してないなら仕方のないことだと思います。 性的マイノリティについては、男/女でくくれない存在は言葉の違いはさておきヘンタイ、性的倒錯者でくくってしまう価値観が根強く残っています。 子を成せないということで軽んじる背景もあるでしょう。 更に、一昔前のいわゆる「オカマ」とされる、もうちょいメイクとか綺麗にできなかったのかと言いたくなる手合いが植えつけたマイナスイメージの影響もあるかと。 これからもあなたの望まない見解しか示さない頑迷な手合いがいなくなることはないと思います。 しかしムリに理解を求め更なる説明に明け暮れたり、敵視しても仕方のないこと、距離とって行くしかないと思います。 尊重すべき立場であるという目で見てもらうには、地道に信頼関係を築いていくほかないでしょう。 性的マイノリティを描いた漫画、ISではそういった主張も盛り込まれています。 参考になるかもしれません。
その他の回答 (3)
たぶん日本だけじゃありません。 海外の比較的ゲイの人が住みやすい都市に 滞在していたことがありますが 理解できない人ってたくさんいました。 未知の物・人に対しては 人間だれでも潜在的に恐怖感があるのかもしれません。 それから自分にはない感情・感覚・悩みを理解するのって難しい ・・・っぽいです なぜ・・・っぽいかというと、 私もある点ではマイノリティだからです。 ネット上では自分と同類の人間を見かけますが 実際にはまだ会ったことがありません。 やはりときどき生きにくいと感じることもあります。 ただ大丈夫そうかな、と思った人には 話してみることにしています。 それで傷ついたり悩んだりすることもあるのですが 受け入れてくれる人も必ずいます。 ときには勇気をもって行動してみてください。 最後になりましたが 私にはゲイ・ボーイの友達がいます。 彼は明るくて楽しくて、とてもオシャレです。 人一倍悩んできたので深みもあります。 (先日、あなたの相談を見かけた気がしますが) あなたも彼同様とても素敵な人なのではないかと感じました。 よい人にたくさん出会えることを祈っています。
お礼
いえいえ、僕は素敵じゃないです^^; でも、楽になりました。ありがとうございます!
- chun5328
- ベストアンサー率14% (4/28)
人は、自分と違うものを簡単に受け入れる事が出来ないのは事実です 色々な面で、本当にそう思います。 私は色々な病気もあり、バイでもあります。 今の恋人は、男なので周りの反応は普通ですが、実際女の子と付き合っていた時には、男の人からある意味、その手のAVのような期待(?)をされ、大変気持ち悪かった事もあります。 病気の事も、無神経に土足で踏み込んできたり、笑いにされたり、TVでもそうですね。 自分が少数派な事は解っているので、基本は気にしませんが時に本当に腹立たしく悲しくなります 話は戻りますが、ゲイに関してはある程度の時間が経てば日本でもアメリカ並みには認められる存在になると思います。 何にしても、日本の歴史(近代)を見れば、いつもアメリカの後を追いかけているに過ぎないので
お礼
ありがとうございます。時間の問題かもですね・・・。
- suzuko
- ベストアンサー率38% (1112/2922)
耳が痛いです。 幼い人ほど「自分と他者の違い」に過剰反応し、「あの人と自分は違う」が許せなくなり、差別やいじめに走りやすいように思います。 そして「差別やいじめは、いけないことだ」と分かっている大人でも、「笑い」と言う形で差別やいじめを助長させてしまうのではないでしょうか? 恥ずかしい話です。 昔、イギリスのコメディ番組で「モンティパイソン」と言うのがあったのですが、その中の一つの話「村の阿呆」(?)と言うのが、とても印象的で衝撃を受けた覚えがあります。 ストーリーは「ある村に男が一人、屋根の上に乗って何やら分厚い本を熟読しています。そこへ道の向こうから、別の村人が現れます。屋根の男は、急いで本を下に置き、阿呆のふりをします。道から見上げていた村人は『いつも、あいつは阿呆なことをしている』と大笑いしながら、別の道へと消えていきます。その姿を見送った屋根の男は、ゆっくりと本を取り出しまた読み始めます」といったものでした。 笑いに対するイギリス人のシニカルな物の見方を表していたと思います。 「人をばかにする幼い笑い」ではなく「物の見方を変えてくれる笑い」が広がればいいのに。
お礼
ありがとうございます。日本の文化なのかも・・・。
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お礼
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