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表現への工夫を凝らせなくて申し訳が御座いません。

自分達からの寄付によって購入された対象を自分のものであるかの如くに錯覚している方々が、特定の宗教の信者の中に集まっている様ですが、そういう感覚を問題視したくなるのは私があらゆる信仰を拒んでいるからなのでしょうか? 宗教法人への寄付は投資と違いますので、自分達の側へ還元され得ないと知っていながら寄付先の施設の充実を喜びたがる妄想への固執は勿体無いことだろう、と思われますから、御教授を御願い申し上げます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • imsouta
  • ベストアンサー率66% (4/6)
回答No.2

 宗教法人というものは一部の新興宗教などを除きその運営するための費用のほぼすべてをお布施に頼っています。言わば、その信仰者(信者)と施設を運営し教えを広める宗教者とが共同で作り上げ育て上げていくものです。  ものには必ず所有権と所有が放棄されてもその責任が付属します。宗教の歴史は長いですが現代社会の常識的に「宗教施設は信仰対象そのものを形容するもので、それは特定個人(または法人)の所有するもの」という考えが、あまり無い。  それはお布施や寄付という意味の理解の欠如が原因ですが、意味を知っていてもお布施や寄付の行方を気にする人間が多いのも一つの要因です。東北の震災で義援金の配分方法や対応の遅い早いなど赤十字社に対する寄付した者からのクレームがいい例です。  「私のお金はどんな形に変わったのか」という人間の持ちうる内面が表に出ることもあります。善意は善意と思った瞬間に善意ではなくなりますが、そういったことが出来ない人間がいるからこそ宗教はその存在する意義を持ち、また古くからの歴史を重ね、ネットが普及しきったような先進国でもなお存在し続けているということだと感じます。    寄付先の施設の充実を喜んでいただくのは宗教者からしても本意なのではないでしょうか。(本当に施設の充実に充てられていればの話ですが)  あとお布施や寄付はその宗教の存続という形で還元されます。また宗教者は信仰者に教えを伝えるという形で還元しなければなりません。(双方本当に信仰心があればの話ですが)

BuffaloAndJtp
質問者

お礼

別のページ(http://okwave.jp/qa/q6894168.html)でも御教授を賜れますと、幸いですから、宜しく御願い申し上げます。

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 たとえ信者達と宗教法人との間でSLAの文書が交わされていませんでしても、プレゼントの使い方の報告が、信者達からの途上与信の確保の為に必要になるのでしょうね。

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その他の回答 (1)

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.1

そういう感覚を問題視したくなるのは私があらゆる信仰を拒んでいるからなのでしょうか? ○「喜んで捨てる。」ということが「布施」や「寄付」の基本ですね。喜んで捨てる先が宗教関連であれば「布施」と呼ばれ、一般団体であれば「寄付」と呼ばれるだけですね。 この「喜んで捨てる。」「喜捨」といいますが、これがほとんどの人にとって理解できないものなのです。 西洋では、[give and take]ですから与えれば見返りを要求するのですね。日本でもほとんどの人が「布施」や「寄付」を[give]と勘違いしているのです。これは宗教に限らず全てについてですね。 仏教であれキリスト教であれ神道であれ本来の布施は「喜んで捨てる。」というための精神的な訓練なのですね。寄付も同じですね。そこまで達していないで[give and take]が残っているということだけですね。 ちなみに神社の賽銭箱に財布ごと捨てることができるなら、こだわりの心はありませんね。大抵は財布の中から困らない範囲の額を選んで投げ込むでしょう。 宗教は物や肉体を救うものではないのですね。そんなものにがんじがらめになった心を救うものなのです。寄付は肉体にまつわる活動を助けることが主体ですね。そのあたりの理解も無限の階梯がありますから、いろんな人がいるということですね。 つまり、「あらゆる信仰を拒んでいるからなのでしょうか?」ではなく布施や寄付の意味がわからなかっただけでしょうね。布施や寄付を通じて精神性を高めるという訓練が在るということが判れば、見方も変わってくるのでは?

BuffaloAndJtp
質問者

補足

有り難う御座います。 確かに浄財・喜捨の価値は分かるのですが、宗教法人が布施を使った結果を確認したがる杜撰な精神的弱さから開放されたがらない方々の行方が気になっていましたので、此の質問を致しました。

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