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バルバロッサ作戦で日本軍は・・

grypsの回答

  • gryps
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回答No.5

こんばんわ。 日本軍が参戦していたら・・・についてですが、 別にソ連軍は、日本が強いと思っていたわけではありません。 ただ純粋に、二正面作戦を嫌っただけだと思います。 もちろん、シベリアから、ウラル山脈を越えて モスクワをドイツ軍と共同で包囲するといった絵空事ではなく、 ニ正面作戦を行うには、補給や輸送、兵力をかなり割かなくてはなりませんし、 将兵の士気にも影響してきます。 犯罪発生率が低いからといって、警察官が居なくなるわけがないのと同じ事で、 そこに軍隊が居ることで、ある程度の抑止力になっていたのも事実です。 ソ連は、旧満州も含め、大陸から日本を追い出すつもりでした。 独ソ戦時には、日ソ不可侵条約を盾にし日本軍の越境をけん制し、 ドイツ降伏後は、再三の連合国軍側からの要請にも、条約を遵守するという名目で、腰を上げなかったのは、シベリア方面に兵力を集結させ、圧倒的大兵力を持って、大陸での権益を一挙に獲得しようとした為です。 のんびり日本軍を追い出していたら、他の連合国軍から茶々をいれられますから。 電撃的な進軍で占領地域を拡大し、既成事実を作り上げる必要があったのです。 日本の参戦がないとわかってから、精鋭部隊を投入したというのは一理あるでしょうが、ドイツ軍の戦闘能力が飽和状態になったところに、精鋭部隊を投入したというほうが正しいでしょう。 if作家?の檜山良昭さんのような緻密なifで当てはめていえば、すでに多くの方が書かれていたような結果になっていたでしょうね。 さて、日本軍の装備などについてかかれた方居られますが、実際、ノモンハン事変では、ソ連軍も、かなりの死傷者を出していることが、最近の調査ではわかってきています。もちろん、戦略戦術に問題はありますが、「ノモンハン=日本軍は弱い」というわけではありません。 また、片道燃料などについて述べられた方も居られますが、片道燃料しか出さなかったのではなく、出せなかったというのが本当のところであることはご存知だと思います。大和の件にしても、徳山の重油タンクを底までさらって(通常は底にたまった燃料は備蓄量に計上しない)、それでも足りないから、松根油(松の根を絞って作った油)を使用しました。重油に比べ、引火点が低い為、多くの将兵の命を救ったそうです。特攻隊についても祖父(元パイロットで整備兵に転属)から聞いた話だと、メーターやタイヤ、その他取り替えられる部品は全て新品にし、最高の整備をして送り出したそうです。もちろん燃料も満タンにして・・・ 帰ってこないことはわかっていながら、それでもそうしてやることが当然のようにしていたそうです。 ちなみに、イタリア軍も、体当たり攻撃を専門とした部隊が編成されていました(戦果はなかったようですが)。 私たちは、戦争を知らず、はるか遠い国で行われる戦争をナイター中継のように見たり、過去の戦争を、データでしか知りません。そのことを取り上げたif小説やゲームが悪いとは言いませんが、実際にその時、その場所で戦った人々のヒューマニズムこそ本当に語り継がれるべきものではないでしょうか?

misacyan4wd
質問者

お礼

ありがとうございます 歴史には結構謎の部分が多くて 皆さんに教えていただきとても助かります 歴史ではシベリア駐留軍が赤軍最強となっており 酷寒でも平気で戦うソ連最精鋭となっており これがVS日本戦に使われず・・・ということで 疑問だったのですが・・ それとドイツ軍100万に日本軍がくわわるとどうなんでしょうか・ という疑問でただ小説のような結末だけじゃなく 考えられる結末をいろいろ皆さんに教えてもらえて とても助かりました よろしければまたおねがいします

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