• 締切済み

キリスト教の話

キリストの教えの中に12人全員が賛成した物事は否決され,もう一度審議する。という話があると聞いた事があるのですが,出典等詳しく教えてください。

みんなの回答

  • age1118
  • ベストアンサー率40% (219/536)
回答No.3

聖書の教えではなくても、ラビ(ユダヤ教の先生)の教えとして、そういう考え方があるかもしれないな、と思い、検索してみたら、こんなのが出てきました。 http://okwave.jp/qa/q2525037.html

tedwuu
質問者

お礼

有難うございます。 おそらくこれです。 良く見つけて教えてくださいました。 これで胸のつっかえが亡くなりました。 てどぅう

  • age1118
  • ベストアンサー率40% (219/536)
回答No.2

少なくとも聖書にはないでしょう。そういう思想は聖書の中にはないですね。ユダが裏切らなかったらキリスト教が起こらなかった、という考え方も聖書にはないでしょう。

tedwuu
質問者

お礼

ありがとうございます。 おそらく聖書にはないはずです。 きっと どこかでささやかれたものが言い伝えられたものだと思っています。 でも,素敵な話だと思っています。 てどぅう

  • Z31
  • ベストアンサー率37% (735/1957)
回答No.1

そのような話は聞いたことがありませんが、私が想像するに、キリストが選んだ12使徒の中から、エスカリオテのユダがキリストを裏切ったから、キリストの十字架刑の予言が成就したしたわけで、ユダが裏切らなかったら、キリスト教は成立しなかったとも、考えられます。 キリスト教が成立しなかったら、大変なことになるわけですから、ユダの存在は大変重要な問題です。 そういった意味で、重要な物事を12人で決める時に、一人は否定者がいないと、その決定は本物ではないと縁を担いでるんじゃないでしょうか。

tedwuu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この話は,30年ほど前に友人から聞いたのです。その友人もどこかで聞いたという事です。 今回ふと思い出して,質問しました。 なるほど,ユダの事から派生した話のようですね。 有難うございました。

関連するQ&A

  • キリストの教え

    キリストの教えで、キリストが何人かの弟子に、「知恵、財産・・・・」などを与え、それを10年後に維持できた者は、ここに戻ってくるように」 そして10年後に戻ってきたのは「知恵」を授かったものでした。 というお話を覚えていますが、そのような事がのっているサイトや記事・またはっきりとした事を知っている人はいますか? はっきりとは、覚えていないので・・・聞いた事のある人は教えてください。

  • キリスト教会に行って話を聞いてみたいと思うのですが

    キリスト教会に行って話を聞いてみたいと思うのですが、迷惑ではないでしょうか? 近所の日本キリスト教団(集金目的やカルト的な団体ではないですか?)の教会に行ってみようと考えています。とりあえず日曜日の朝にやっている話を聞いて教訓にしてみたいと思うのですが、聖書を読んだ事はないし、詳しい教えも分かりません。 聞きに行きたいと思った理由は人生の基盤が欲しい、自信のなさや被害妄想を改善したい、過去にいじめられた事や犯した失敗をできる限り忘れたい、という理由です。これは不純だったり、周囲から嫌な目で見られるようなものではないでしょうか? 知り合いには教会に行っているという人はいないのでひとりで行くのは不安です。どのように挨拶をしたらよいのでしょうか? 家族は宗教に対する否定はしていませんが無宗教です。当方15歳女子です。教会でのマナーなど教えて頂けると助かります。

  • キリスト教の「隣人を愛せ」という教えの本質は?

    仏教の教えの本質は、執着からの脱却で、その目的は人生の苦しみから逃れるため、と解釈しています。 では、キリスト教の教えの本質は何でしょうか? 隣人を愛せよと説いていますが、その目的はなんでしょうか? 平和な世の中を作るためでしょうか? 魂の浄化に関わってくるのでしょうか? 物事に執着するなという仏教の教えと、隣人を愛しなさいというキリスト教の教えが、ふと相反する考えのように思えたので質問します。 (仏教で愛を説かないのは、その人物に執着しすぎてしまう恐れがあるからと解釈しています) よろしくお願いします。

  • キリスト教を否定する元信者さんの話を良く聞くのですが、、

    私は、特別な宗教に属することなく生活しています。とても困ったときなど、周りにいる人に少し話すこともあります。 すると、思ったことや意見を言ってくれて、それが、クリスチャンの人だったり、仏教徒の人だったり、新興宗教の人だったり、私のように無宗教の人だったりします。 私は割りと問題を複雑化してしまう傾向があるので、そういう問題に意欲的な人の意見のほうがためになったりします。 そうでない人の話もありがたいと思います。 そのような中で、たまに私も一般的で無理の無い宗教を1つに絞って信仰してみたいという気持ちになったりもします。 それで思っていることがあるのですが、元クリスチャンの人が、キリスト教に欠落があるというような言い方をするのを何度か聞きました。自分は救われなかったというような内容です。また、サガンという作家さんは性格が平坦になりすぎて人間的でないと書いていました。 一度信仰したものの、背を向けて、その宗教のことを良く言わない、、という状態はあまりよくないと思うのですが、それなら、キリスト教はそれを招いているということになるようにも思います。ならば、「すべての人への幸福を約束する」昨日が行き届いていないような。。 しかし、最近クリスチャンの人から良い話を聞いたし、他のクリスチャンの話も、何も無茶なことは言っていないようにも思います。 キリスト教は難しいのでしょうか? 信じてないものは救われない。。教えから背を向けた瞬間に失意を味わう、、、もしそうなら、なんだか少しさびしいような気が。 和国日本人の血がそう思わせているだけでしょうか?

  • キリスト教では親を敬えと教えないのですか?

    仏教では、親を敬い親孝行をすべきだと教えますが、キリスト教ではそのように教えているとは思えません。 親を敬うどころか、親を捨ててキリストに従えと言っています。 キリスト教では神が絶対だからそうなるのだと思いますが、やはり、親を敬い親に感謝し、親を大切にする、などという教えは、キリスト教にはないのでしょうか? もし、あると言うなら、聖書のどこにそんな事が書いてあるか、教えて戴きたく、よろしくお願い致します。

  • キリスト教について

    キリスト教を信仰している方は、 天使が下りてきて突然マリアに子を授けた、 キリストの血をあびた人の目が見えるようになった、 3日後に生き返った などという、エピソードを心底100%で現実にあったこととして信じているものなのでしょうか? 軽視しているとかではないですが、 はたから見ると、にわかには信じがたい話なので、 本当にあった出来事として信じているか、それとも信者の方でもエピソードとして割り切っているのか、知りたいです。 ※宗教の教えがどうかなどと言い争いたいわけではありません。

  • わたしのキリスト教史の理解は正しい?

     キリスト教にとても興味があります。でも、キリスト教にはいろいろな種類があるようで、どうもそれぞれの関係や歴史的経緯がよくわかりません。  わたしが聞いたところでは以下のような歴史的な変遷があったとのことです。 (1)紀元前は「神」の教えを旧約聖書で定め、これを人々は守ることに努力した。 (2)その中でも、より厳格な規律に身をおく者たちがいた(十戒の厳守)。 (3)そこで、その者たちはユダヤ教という教徒を名乗りキリスト教から独立した。 (4)その後、キリストの誕生により新約聖書が作られた。 (5)ところが、キリストとその弟子たちによって作られた新約聖書の解釈について、のちの人々の間でズレが生じ始めた。 (6)そこで、本来の教えを信じ、それに従うべく独立する者たちがさまざまな宗派を作った。 (7)それが、カトリック、プロテスタント、セブンスデイ、などである。 (8)そしてそれらに追随して独立しないで留まったのがバプテストである。 (9)その後、エホバの商人、ものみの塔などが本来の教えを貫徹すべく独立し派生していった。  とまあ、こんな感じで理解してますが、これで正しいのでしょうか? いや、わたしが聞きたいのはあくまでも歴史的流れであり、どの宗派の教えが正しいか否かとは関係ありませんので、それぞれに信仰をお持ちのお方には、どうぞ質問の意図をご理解戴きたく思います。  キリスト教を理解しようとすると、どうしても多くの宗派の存在や多少の教えのズレを無視できません。もともとひとつしかなかったはずの「神」や聖書の教えがどうして分裂していったのかが知りたいのです。できましたら、それぞれの宗派の違いや派生原因なども簡単に教えて戴けると幸いです。  どうか宜しくお願いいたします。

  • キリスト教徒の方に質問

    私は非キリスト教徒です。 でも、ミッションスクールを出てますので、キリスト教には少なからず関心もありますし、理解もあります。 私は学生時代、はじめてキリストの教えに触れたわけですが、それ以前に、信仰というものを訝しく思う思想にも触れています。無神論とでもいいますか。 しかし、それを認めつつも価値観としてキリストの教えを心の中に持ち続けることは、あってもおかしくないし、キリストの生き方に共感しても良いのではないかと思ってます。 そんな私はふと思ったのです。 信者の皆さんは、自分の信仰を極めてみたいと思ったりしないのかな?と。 たとえば神学大に進学して、牧師になってみたい!とか。 どうなのでしょうか?

  • キリスト教について教えてください。

    最近、新約聖書を人からもらって読んでいるのですが、疑問がいくつかあるので教えてください。 イエス・キリストが説いた教えと従来のユダヤ教との違いは何だったのでしょうか。 イエス・キリストが亡くなるとき神よなぜ私を見捨てたのですかと言ったということですが、 イエスは磔刑になったときに神が助けてくれると思っていたということでしょうか。 なぜ聖書にいわゆる神の子であるイエス・キリストが神に見捨てられたという、彼を否定するようなエピソード が残されたのか疑問に感じました。 また新約聖書が編纂されたのはキリストの死後100年後という話ですが、なぜ編纂者は内容が重複しているような話を なんども掲載したのでしょうか。 イエス・キリストは死後3日後に復活して、その後しばらく弟子と過ごしたということですが、イエス・キリストを 裁いた人々がコノヤローまだ生きてたのかっ!ということにはならなかったのでしょうか。 最近バチカンとロシアの正教会が和解したというニュースがありましたが、なぜ対立していたのでしょうか。 質問多数ですが、どうかよろしくお願いいたします。

  • アメリカの「キリスト教」について教えてください。

    神様は一人だと記憶していますが、 各宗教の軌跡(歴史)の違から、争いが起こってしまうのは仕方がないことなのでしょうか・・・ 本題ですが 1.信仰心の度合いにもよるのでしょうが、 キリストの教えの中に「報復」「復習」「目には目を」 というような事をしてもいいことになっているのですか? 2.アメリカは何教の人が多いのですか?やっぱりキリスト教の人が多いのですか? 3.ブッシュさんは何教信者ですか? 世界問題の参考にさせていただきたく思いますので、 よき回答をお願いします。