死刑廃止論賛成の方への質問

このQ&Aのポイント
  • 誰にでも生きる権利が認められているものではあります。しかし、自分勝手な都合で他人の生きる権利を奪う行為に関してはどうなのでしょうか?
  • 死刑が執行される場合、死刑執行人が生きる権利を奪うことが法的に認められます。しかし、許可を得て理由があって生きる権利を奪うのと、許可を得ないで理不尽な理由で奪うのは違いがあります。
  • 大切な家族や友人が理不尽に殺害された場合、真剣に考えた上で死刑についての結論を出してください。
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死刑廃止論賛成の方に、ちょっとだけ質問

誰にでも生きる権利が認められているものではあります。 では、その誰もが認められている生きる権利を、自分勝手な都合で奪ったと言う事に関してはどうですか? 誰にでも生きるを奪う権利はありません。しかし犯人は誰の許可も得ず他人の生きる権利を奪いました。 そして犯人に死刑が下された時点で、その死刑囚と同じ行為を今度は、死刑執行人が生きる権利を奪う事を法的に得て執行します。やっている事は同じでも、許可を得て理由があって生きる権利を奪うのと、許可を得ないで理不尽な理由で奪う違いがあります。この事についてどう思いますか? それと、もし自分の大事な家族友人知人が理不尽な事で殺害された時の事を、是非真剣に考えて下さい。真剣に考えた上で結論を出して下さい。 ※この2点のみに就いての回答をお願いします。話がどんどん広がると、私が質問した内容から外れてしまう可能性があります。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.4

今の私は死刑は廃止か、止むをえないか容易に 決められないでいます。 第一点 ; 死刑容認論者であっても、最愛の人(親、伴侶、        子供など)が人を殺した結果、裁判で「自分勝手        な都合の殺人ゆえ死刑」との判決となった場合、        論理的にもまず受け入れ難いと思います。        自分勝手な都合に見えるかもしれないが、罪一等        を減ずべき情状酌量や心神耗弱と見做し得る余地        があるじゃないかと。 第二点 ; 法と言ったって人の作ったもの。時代や環境変化        で人の価値観は容易に変わる。法が今の世に        そぐわなければ早急に改正か廃止をすべき。          

その他の回答 (4)

  • love_pet2
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回答No.5

自分勝手な都合で奪った、という事に関しては実に残念、としか言いようがない 「許可を得て」「理不尽な理由で」という点については、貴方は「常に多数派は正しく少数派が間違い」という錯覚・誤謬に陥っています。殺人犯にも殺人犯なりの正義と理由があって、為してるんですよ。「理由があれば殺人OK」という発想はテロリズムと同じです 僕にとって、全人類が「大事な家族友人知人」です。貴方も是非、その視点で真剣に考えてみてください 死刑に関するよくある勘違い http://sky.geocities.jp/dwhsg178/sikeikan

回答No.3

1.例えば、殺人犯に対して、同じ殺人の刑(死刑)にするよりも、半分の半殺しの刑が穏当でしょう。 2.死刑で楽にしてあげるのではなく、半殺し、つまり両手両足を切断して終身刑にするのが良いかと思います。 とりあえず、ご指定どおり、二点のみ。

回答No.2

>やっている事は同じでも、許可を得て理由があって生きる権利を奪うのと、許可を得ないで理不尽な理由で奪う違いがあります。この事についてどう思いますか? (1)法務大臣が執行書にサインとハンコ押した以上、執行人はその職務に則って忠実に任務を遂行する義務がある。「権利」ではなく「義務」です。法相の命令に反した行動すると、国家公務員法違反で処罰されます。 (2)理不尽で命を奪うから、法に基づき裁判官の下す死刑判決を受けます。 質問の中で大きな勘違いをしているのは(1)と(2)の違いです。 「許可を得て理由があって生きる権利を奪う」のではありません。先にも述べたとおり、国家公務員としての「職務」の一環に過ぎません。職務上の義務として履行しているに過ぎません。 >それと、もし自分の大事な家族友人知人が理不尽な事で殺害された時の事を、是非真剣に考えて下さい。 http://www29.atwiki.jp/shimaneronten/pages/19.html とか http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/koube.htm とか http://zara1.seesaa.net/article/157604150.html とか http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/josikousei.htm とか http://www.geocities.jp/masakari5910/satsujinjiken07.html なんか読むと、是非死刑にしてもらいたい(遺族ならなおのこと)と思います。 特に島根女子大バラバラ惨殺事件なんてのは 「遺体は四肢が切断され、 乳房がえぐり取られた上、 性器部分も切り取られてグチャグチャになっていました。 そのため、 胴体が発見された当初は、すぐに性別が判断できなかった。 腹部が切られ、 内臓の大部分がなくなっています。 胴体の一部は焼けていて、 血を抜かれ、 皮膚もはいであった。 両腕と右足はまだ見つかっていません」(捜査事情通) にわかには信じがたいが、犯人が肉片を食べた形跡もあるという。 とのこと。 遺族がバラバラにされた平岡都さんの遺体を見た時のショックさ、無念さを考えると想像察するに余りある。

noname#144490
noname#144490
回答No.1

自分の家族、彼女が殺されても死刑を望むことはありません。人を殺した犯人だけの責任ではないからです。人を殺してはいけない。そんなことさえも親から教えてもらえなかった犯人、そんな子供に育てた親、誰の責任でしょうか? 犯人だけを死刑にするのには疑問を感じます。 それから、犯人を死刑にすると いうことは、誰かが人を殺すということです。誰がボタンをおしたかわからないにしても、誰かが殺した。執行人の気持ちを考えると死刑は止めるべきです。たとえ合法でも、人を 殺したことには何の違いもありません。その手で我が子を抱けますか?人殺しの親にしていいのでしょうか?殺す必要がどこにありますか?犯人が死んでも被害者は生き返りません。罪なんて償えません。犯人が自分の罪に気付くことに意味があると思います。その十字架を背負って生きることに意味があると思います。

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